第二十四話「私が見たから」
月曜日。
十九件。
少ない。
私はエグチの包みを開いた。
紙が、少し油で透けていた。
土日は仕事がなかった。
第7世界線は二回見た。
土曜日、一回。
日曜日、一回。
業務ではない。
だから記録も残していない。
女性は土曜日に布団を干していた。
日曜日は家にいなかった。
それだけ。
私はエグチを食べた。
一件目を開いた。
◇
第418世界線。
異常内容。
街の中で、誰か一人が必ず「見られている」と感じる。
対象者は毎日変わる。
監視設備なし。
追跡者なし。
超常的な視線も検出されない。
ただ、その日の対象者だけが、
「誰かが見ている」
と確信する。
私は映像を開いた。
駅前。
朝。
人が多い。
一人の女性が歩いていた。
何度も振り返る。
後ろには学生。
会社員。
自転車。
犬。
誰も彼女を見ていない。
女性は歩調を速めた。
信号で止まった。
ガラス張りの店に、自分の姿が映っていた。
その自分からも目を逸らした。
私は再生速度を落とした。
異常判定。
軽度。
生活影響。
対象者によって差あり。
平均持続時間、二十三時間五十九分。
午前零時になると消える。
翌日は別の誰かへ移る。
処理方法。
現象除去。
三分。
私は押しかけた。
止めた。
女性が家へ帰るところだった。
鍵を閉める。
カーテンを閉める。
電気を点ける。
それでも落ち着かない。
冷蔵庫を開けた。
閉めた。
また開けた。
何も取らない。
その時、電話が鳴った。
女性は肩を跳ねさせた。
画面を見る。
出る。
「もしもし」
少し間。
「……うん」
また間。
「今日、泊まっていい?」
映像はそこで切れた。
私は現象を除去した。
理由欄。
「日常生活への継続的な侵害を確認したため」
保存。
三分。
終わった。
簡単だった。
今日は簡単な日なのかもしれない。
◇
五件目。
第266世界線。
異常内容。
住民が、自分の記憶にない写真を一枚ずつ持っている。
写真自体は普通。
知らない旅行先。
知らない部屋。
知らない人。
ただし。
写真の中には必ず本人が写っている。
私は一枚開いた。
海辺。
青い服の男性。
隣に女の子。
二人とも笑っている。
男性への聞き取り。
「この子は誰ですか?」
「知りません」
「撮影地は?」
「知りません」
「この服は?」
「持っていません」
「写真をどうしたいですか?」
男性は少し考えた。
「捨てたくはないです」
私は次を開いた。
老婦人。
知らない台所。
知らない猫。
でも老婦人は写真を額に入れていた。
次。
少年。
雪山。
少年は写真の裏に、
いつか行く。
と書いていた。
私は一覧へ戻った。
異常除去。
写真消去。
記憶照合。
原因探索。
どれも可能。
私は処理しなかった。
経過観測。
理由。
「現時点で重大な害を確認できないため」
保存。
次。
◇
十一件目。
第781世界線。
開いた瞬間。
私は手を止めた。
田舎だった。
川。
低い家。
畑。
縁側。
違う世界だった。
第7世界線ではない。
番号も違う。
でも。
一瞬。
そう見えた。
異常内容。
住民が死者のために毎晩、一席だけ食卓を空ける。
誰かが死んだ家ではない。
全世帯。
例外なく。
一席。
食器を置く。
料理も盛る。
食べない。
朝になったら捨てる。
それだけ。
私は資料を読んだ。
起源、不明。
住民は全員、
「昔からそうしている」
と答える。
誰の席か聞くと。
「分からない」
何のためか聞くと。
「そうするものだから」
私は映像を開いた。
四人家族。
夕飯。
焼き魚。
味噌汁。
漬物。
五つ目の茶碗。
誰も触らない。
子どもが箸を伸ばした。
母親が手首を軽く押さえた。
「そこはだめ」
「なんで?」
「だめだから」
子どもは不満そうに自分の皿へ戻った。
私は再生を止めた。
頭の中に。
二つの湯呑みが浮かんだ。
昨日ではない。
数日前の夜。
第7世界線。
誰もいない席。
置かれた湯呑み。
私は処理画面を開いた。
異常除去。
慣習消去。
原因追跡。
経過観測。
手が止まった。
……残していい。
そう思った。
その直後。
指を引いた。
違う。
私は資料を最初から読み直した。
生活影響。
食料廃棄。
年間推定、世界全体で約三億食分。
低所得層にも同一慣習あり。
飢餓地域。
あり。
それでも空席分を捨てる。
映像。
別の家。
父親が鍋の底をさらっていた。
子どもの皿は少ない。
空席の皿には同じ量が盛られている。
朝。
母親がそれを捨てた。
私は異常除去を押した。
確認。
実行。
食卓の五つ目の皿が消えた。
子どもが鍋を覗いた。
母親が、昨日まで空席だった場所へ座った。
私は画面を閉じた。
手のひらに。
少し汗があった。
◇
昼。
コーヒーを持ったまま、第7世界線を開いた。
個人端末。
業務画面ではない。
女性が庭にいた。
草を抜いている。
縁側には何もない。
私は三十秒くらい見た。
閉じた。
業務端末へ戻った。
第781世界線の処理記録が残っていた。
理由。
「食料廃棄による生活上の重大な不利益が発生しているため」
正しい。
たぶん。
私は保存した。
◇
午後。
第十六世界線。
第十七世界線。
第十八世界線。
順調だった。
十九件目。
最後。
第104世界線。
異常内容。
そこに暮らす人間は、他人の生活を一日一回だけ見ることができる。
相手は選べない。
時間も選べない。
一日十秒。
知らない誰かの日常が視界に入る。
台所。
道路。
仕事。
寝室。
泣いているところ。
笑っているところ。
何でもある。
見る側は干渉できない。
見られる側は気づかない。
害の報告。
ほぼなし。
社会への影響。
軽微。
住民の大半は慣れている。
私は画面を見た。
十秒。
知らない誰か。
干渉できない。
ただ見る。
処理画面。
異常除去。
経過観測。
処理不要。
私は。
処理不要を押した。
理由。
「重大な障害を確認できないため」
確認。
その瞬間。
昨日の第7世界線が浮かんだ。
女性。
草を抜いていた。
私は見ていた。
女性は知らない。
私は閉じた。
十秒ではなかった。
もっと長かった。
指が止まった。
処理確認画面には、
【確定】
だけが残っていた。
押せなかった。
◇
「世達ちゃん」
背後から声がした。
私は画面を閉じた。
少し早かった。
秩序ちゃんが、始末書の束を持っていた。
「十九件、終わりましたか?」
「まだです」
「珍しいですね」
「はい」
秩序ちゃんは机の端へ紙を置いた。
紙の角がきれいに揃っていた。
「何かありましたか?」
「分かりません」
「そうですか」
秩序ちゃんは帰ろうとした。
「秩序ちゃん」
「はい」
「自分がやっていることと似ている世界線を、処理できますか?」
秩序ちゃんはすぐに答えなかった。
書類の一番上が、空調で少しめくれた。
指で押さえた。
「世達ちゃん」
「はい」
「それを聞いている時点で、今は判断しない方がいいと思います」
私は画面を見た。
「はい」
「明日に回しますか?」
「いいえ」
自分でも少し早かった。
秩序ちゃんが私を見た。
「今日は私が決めません」
「……そうですか」
「別の担当者に回します」
私は第104世界線を再割当した。
受理。
一覧から消えた。
十九件目。
未処理。
でも。
私の未処理ではなくなった。
「始末書ですか?」
「いえ」
「よかった」
「ただ」
秩序ちゃんが、机に置いた紙束を持ち上げた。
「この十一枚は昨日の分です」
「……忘れてました」
「知っています」
持っていかれた。
◇
夜。
203号室。
カップ麺。
塩味。
湯気で個人端末の画面が少し曇った。
第7世界線。
接続。
夜。
縁側。
女性はいなかった。
家の中に灯りがある。
私は見ていた。
一分。
二分。
三分。
窓の向こうを、人影が横切った。
それだけ。
私は接続を切った。
今日。
第104世界線を処理しなかった。
残したわけではない。
自分で決めなかった。
それでいい。
たぶん。
カップ麺を食べた。
少しぬるかった。
個人端末が鳴った。
業務通知ではない。
世界線観測サービスからの自動通知。
【第7世界線から、あなたへの観測要求があります】
箸が止まった。
画面には。
【許可】
【拒否】
二つだけあった。




