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第二十一話「処理しないでください」


 朝だった。


 水曜日。


 朝のエグチを食べながら、端末を開いた。


 今日の案件数は二十六件。


 普通だった。


 昨日までなら。


 私は昨日のことを少しだけ思い出した。


 番号のない世界線。


 処理したことがあるのかと聞かれた。


 私は「不明」と答えた。


 それで終わった。


 ……たぶん。


 端末の画面を見た。


 案件一覧には、何も残っていない。


 未処理もない。


 警告もない。


 システムは正常だった。


 だから、エグチを食べた。


 今日も仕事をする。


 それだけだった。


───────────────────────


第一章「処理してください」


◆ 朝、業務室


 一件目。


 第241世界線。


 「住民全員が、自分たちは異常な存在だと認識している世界線」


 概要欄を読んだ。


「【報告】第241世界線において、全住民が自身の存在を『世界の正常な状態ではない』と認識している。住民は日常生活を営んでいるが、全員が『いつか処理される』ことを予測している」


 ……いつか処理される。


 詳細を読んだ。


 住民は普通に生活していた。


 学校へ行く。


 仕事をする。


 買い物をする。


 恋人と会う。


 夜になれば眠る。


 ただし、全員が知っている。


 自分たちは異常存在である。


 だから、いつか管理側から処理される。


 そう考えている。


 面白いのは、誰もそれを恐れていないことだった。


 むしろ、


「処理されるなら、それは正しいことです」


「異常なものが正常な状態へ戻るだけです」


「その前に、やりたいことをやっておきます」


 そういう反応が多い。


 私はしばらく画面を見た。


 ……何を処理すればいいんだろう。


 異常内容:


「自己認識」


 対象:


「住民全員」


 処理方法:


「自己認識の正常化」


 私は処理ボタンの上にカーソルを置いた。


 少し考えた。


 押さなかった。


 もう一度、詳細を読んだ。


 住民たちは苦しんでいるわけではない。


 自分たちを異常だと思っている。


 でも、その認識によって生活が壊れているわけでもない。


 むしろ、


「いつか処理される」


という前提を持ちながら、それでも今日を普通に生きている。


 ……第502世界線と少し違う。


 あの村人たちは、人間であることをやめることを望んでいた。


 私は、それを正常として認めた。


 なら。


 この人たちが、


「自分たちは異常だ」


と思っていることも。


 それだけで異常なのだろうか。


 私は処理方法を変更した。


 自己認識の書き換え。


 ではなく。


 「現状維持」。


 処理時間:十二分。


 完了。


 住民たちは、そのまま生活を続けた。


 ……これでいいと思う。


 二件目を開いた。


◆ 第88世界線「幸福度が常に100%の世界線」


 概要欄を読んだ。


「【報告】第88世界線において、全住民の幸福度が常時100%に固定されている。飢餓、病気、事故、死別などが発生しても幸福度は変化しない」


 ……幸福度100%。


 今度は、かなり分かりやすい異常だった。


 詳細を読んだ。


 ある女性が、夫の死亡通知を受け取っていた。


 泣かなかった。


 笑っていた。


「大丈夫です」


 そう言っていた。


 その直後、本人の幸福度が100%であることを確認した。


 私は画面を見た。


 幸福。


 幸福ならいい。


 昨日までなら、そう考えたかもしれない。


 第502世界線では、住民たちは魚になることを望んでいた。


 幸福だった。


 だから私は、人間という分類そのものを変更した。


 でも。


 この世界では違う。


 幸福であることが、本人の選択なのか分からない。


 私は幸福度の発生原因を調べた。


 結果。


 幸福度は住民の意思ではなく、世界線そのものに固定されていた。


 つまり、


「悲しむことができない」


 ということだった。


 ……。


 それは幸福なのだろうか。


 私は処理画面を開いた。


 選択肢。


 A:幸福度100%を維持。


 B:幸福度を通常値へ戻す。


 C:住民本人に選択させる。


 私はCを選んだ。


 幸福度固定を解除。


 ただし、幸福度を強制的に下げることもしない。


 住民が悲しむなら悲しめる。


 笑いたければ笑える。


 幸福を選ぶこともできる。


 選択できる状態へ戻す。


 処理時間:三十四分。


 完了。


 女性は、しばらく何も言わなかった。


 そして。


 泣いた。


 私は画面を閉じた。


 ……。


 泣けるなら、その方がいい。


 そう思った。


 でも、それが正しいかどうかは分からなかった。


 三件目。


 開いた。


 普通の世界線だった。


 異常なし。


 四件目。


 普通。


 五件目。


 少し異常。


 でも問題なし。


 午前中だけで十三件処理した。


 コーヒーを二杯飲んだ。


 少し冷めていた。


───────────────────────


第二章「正常という言葉」


◆ 午後、業務室


 午後の案件は少なかった。


 十四件目。


 第712世界線。


「【報告】住民の約半数が『自分の身体を本来のものではない』と主張している」


 身体的には正常。


 検査結果も正常。


 しかし本人たちは、


「この身体は自分ではない」


と言っている。


 私は詳細を読んだ。


 身体は正常。


 記憶も正常。


 人格も正常。


 生活にも問題はない。


 ただ。


 本人だけが違和感を持っている。


 私は処理画面を開いた。


 自己認識補正。


 ……。


 やめた。


 今日は、こういう案件が多い。


 「正常」の意味が分からない。


 私は案件を一つずつ処理している。


 異常を見つける。


 原因を調べる。


 必要なら修正する。


 でも。


 修正する必要があるのは、世界なのか。


 それとも。


 世界を見ている側なのか。


 私は少し考えた。


 そして、本人たちへの確認を行った。


「この状態を変えたいですか?」


 回答。


「変えたい人もいます」


「変えたくない人もいます」


「分からない人もいます」


 私は、


「分からない」


を選択肢として残した。


 異常判定を解除。


 処理完了。


 処理時間:二十二分。


 ……最近、処理の仕方が少し変わってきた気がする。


 以前なら、


「正常に戻す」


だった。


 今は、


「本人がどうしたいか」


を確認する。


 ただ。


 それだけでは足りないことも、今日分かった。


 幸福度100%の世界線。


 本人たちは幸福だった。


 でも、幸福を選べなかった。


 だったら。


 本人の意思を尊重するだけでも不十分なのかもしれない。


 自由に選べること。


 選んだ結果を引き受けられること。


 その両方が必要なのかもしれない。


 ……。


 少し難しい。


 私は次の案件を開いた。


───────────────────────


第三章「秩序ちゃん」


◆ 夕方。業務終了前


 二十六件目。


 最後の案件を処理した。


 端末を閉じた。


 今日は始末書が四枚。


 普通。


 私は書類を持って秩序ちゃんのところへ向かった。


 秩序ちゃんは端末を見ていた。


「世達ちゃん」


「はい」


「今日、第241世界線の処理方法を変更しましたね」


「しました」


「規則上は、自己認識の正常化が推奨されています」


「そうですか」


「はい」


「でも、あの人たちは困っていませんでした」


「……そうですね」


「だから、変えませんでした」


 秩序ちゃんはしばらく黙っていた。


「それは、世達ちゃんの判断です」


「はい」


「規則違反ではありません」


「よかったです」


「ただし」


「はい」


「判断記録には理由を書いてください」


「……始末書ですか?」


「違います」


「よかった」


「判断理由です」


「それなら書けます」


 私は端末を開いた。


 理由。


 入力欄。


 少し考えた。


 最初は、


「住民が幸福だったため」


と書こうとした。


 やめた。


 幸福だけでは足りない。


 次に、


「住民が望んでいなかったため」


と書こうとした。


 これも少し違う。


 最終的に、こう書いた。


「現時点で、変更する必要性を確認できなかったため」


 保存。


 秩序ちゃんが画面を見た。


「……なるほど」


「何か変ですか?」


「いえ」


 秩序ちゃんは少しだけ笑った。


「以前の世達ちゃんだったら、別の理由を書いていた気がします」


「そうですか?」


「はい」


「……よく分かりません」


「それでいいと思います」


 秩序ちゃんはそれ以上言わなかった。


 私は始末書を書いた。


 四枚。


 ラックに入れた。


───────────────────────


第四章「第7世界線」


◆ 夜。業務終了後


 今日は疲れた。


 203号室へ帰る前に、第7世界線の観測画面を開いた。


 夜だった。


 春。


 老人が縁側にいた。


 今日は何もしていなかった。


 ただ座っていた。


 空を見ていた。


 私はしばらく画面を見ていた。


 今日の案件を思い出した。


 異常だと思っていた人たち。


 幸福すぎる人たち。


 自分の身体を自分ではないと思う人たち。


 全部。


 「正常」を決める話だった。


 第7世界線は。


 正常なのだろうか。


 私は考えた。


 老人は普通に暮らしている。


 春が来る。


 夜になる。


 星が見える。


 それだけ。


 でも。


 私は第7世界線のことを毎日確認している。


 なぜだろう。


 異常があるからではない。


 処理する必要があるからでもない。


 ……。


 処理する必要がないから。


 そう思った。


 少しだけ。


 その考えが怖かった。


 今まで私は、


「異常があるから処理する」


と思っていた。


 でも。


 「処理する必要がないから残している世界」があるなら。


 それは。


 私が自分で選んでいるということになる。


 私は画面を閉じなかった。


 老人が立ち上がった。


 縁側から庭へ出た。


 空を見た。


 それから、家の中へ戻った。


 今日はそれだけだった。


 私は観測を終了した。


 ……明日も見る。


 理由は分からない。


 でも。


 明日も見る。


───────────────────────


第五章「203号室」


◆ 夜。203号室


 部屋に戻った。


 カップ麺を作った。


 今日は醤油味。


 食べながら、今日のことを考えた。


 「幸福ならいい」


 これは違う。


 「本人が望むならいい」


 これも、たぶん足りない。


 じゃあ何ならいいのか。


 まだ分からない。


 私は、こういう時に退職願を書く。


 机の引き出しを開けた。


 白い紙。


 ペン。


 いつもの組み合わせ。


 紙を一枚取り出した。


 「退職願」


 ここまで書いた。


 止まった。


 今日は続きを書かなかった。


 紙を折った。


 捨てなかった。


 引き出しに戻した。


 ……。


 何となく。


 今日は捨てない方がいい気がした。


 カップ麺を食べ終えた。


 容器を捨てた。


 横になった。


 目を閉じる前に思った。


 今日の私は。


 異常を正常に戻さなかった。


 幸福を幸福のままにしなかった。


 本人の意思だけにも任せなかった。


 何が正しいのかは、まだ分からない。


 でも。


 分からないまま残しておくことも、処理の一つなのかもしれない。


 ……。


 たぶん。


 明日はもう少し分かる。


 そう思って、目を閉じた。


───────────────────────


◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時十八分


 今日の件数:二十六件。


 処理完了:二十六件。


 未処理:ゼロ件。


 始末書記入漏れ:四枚(本日中に対応済)。


 退職願:一枚書き始めた。提出せず。


 エグチ:一個。


 カップ麺:一個(醤油味)。


 コーヒー:二杯。少し冷めていた。


 特記事項:


 第241世界線。


 住民の自己認識を変更せず、現状維持。


 第88世界線。


 幸福度固定を解除。住民自身が幸福状態を選択可能な状態へ移行。


 第712世界線。


 自己認識の違和感を修正せず、経過観測。


 第7世界線、今日も継続中。


 老人は縁側に座っていた。


 今日は何もしていなかった。


 ……それでいいと思う。


 以上。

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