第二十話「どこにも似ていない世界線」
似ているものがある。
昨日処理した世界線と今日処理した世界線。
昔見た何かと、今見ている何か。
名前を知らないものなのに、なぜか知っている気がするもの。
そういうことは、最近よくあった。
でも今日は違った。
朝からずっと、何もかもが初めてだった。
それが、少し怖かった。
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第一章「火曜の朝」
◆ 朝、業務室
火曜だった。
朝のエグチを食べながら端末を開いた。
今日の案件数は二十四件。
昨日より少ない。
コーヒーを入れた。
ブラック。
昨日もブラックだった気がする。
でも、昨日の味は覚えていない。
一件目を開いた。
◆ 第318世界線「時間が横ではなく縦に流れる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第318世界線において、時間が水平ではなく垂直方向へ流れている。住民は時間の流れに沿って上下移動することで過去と未来を行き来している。現在、都市中心部において時間の滝が発生し、複数の時代が同一地点に積層している」
……時間の滝。
詳細を読んだ。
この世界では、時間は一本の線ではなかった。
地面から空へ向かって流れている。
低い場所ほど過去。
高い場所ほど未来。
住民たちは階段やエレベーターを使って時間を移動していた。
問題は、都市中心部にできた巨大な滝だった。
過去の時代が現在へ流れ込み、未来の建物が地面から生えている。
このままでは異なる時代の情報が混線する。
時間流の方向を一本に固定した。
滝が消えた。
古代の建物が消え、未来の建物も消えた。
現在だけが残った。
処理時間:三十一分。
……時間が流れる方向が違う世界線だった。
初めて見た。
不思議なことに、何にも似ていない。
二件目を開いた。
◆ 第81世界線「人間の記憶が植物として発芽する世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第81世界線において、住民が忘れた記憶が植物として発芽する現象を確認。幼少期の記憶は小さな草花として、強い恐怖の記憶は樹木として発生する。現在、都市全体が過去の記憶による森林に覆われている」
……記憶の植物。
詳細を読んだ。
住民が忘れた記憶ほど大きく育つらしい。
忘れたことを忘れていた記憶まで発芽している。
道路脇に、知らない家の庭が生えていた。
誰かが昔見た夕焼けが、巨大な赤い花になっていた。
ある老人の家の前には、一本だけ巨大な木があった。
その木の根元には、誰のものか分からない小さな靴が埋まっていた。
……こういう世界線もある。
記憶の植物化そのものは異常ではない。
問題は森林が都市機能を圧迫していることだった。
植物の成長速度を抑制した。
記憶そのものは消さなかった。
木々はそのまま残った。
処理時間:二十七分。
……記憶を消さずに、邪魔にならないようにする。
それが正しい処理だった。
三件目を開いた。
◆ 第612世界線「全ての住民が自分の名前を持っていない世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第612世界線において、出生時に個人名が付与されない文化が成立している。住民は互いを『昨日会った人』『赤い服の人』『北側に住む人』など、関係性や特徴によって識別している。外部システムによる個体識別との互換性に問題あり」
……名前がない。
詳細を読んだ。
名前がないこと自体は問題ではない。
住民たちはそれで困っていない。
ただ、世界線管理システムが「名前」を必須項目としていた。
つまり住民ではなく、システムの方が困っていた。
必須項目を削除した。
入力欄から「氏名」が消えた。
住民は何も変わらなかった。
処理時間:九分。
……名前がなくても、人は人だった。
少しだけ、考えた。
私にも名前がある。
世達。
この名前がなくなったら、私は私ではなくなるのだろうか。
分からない。
四件目を開いた。
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第二章「似ていないもの」
◆ 午後、業務室
午後になった。
十七件目まで処理した。
どの世界線も、変だった。
時間が縦に流れる。
記憶が植物になる。
名前が存在しない。
雨が降るたびに家の中の家具が少しずつ増える世界線。
住民全員が眠ると都市が移動する世界線。
音を食べる生物がいる世界線。
夢の中でだけ重力が存在する世界線。
毎日違う人物が同じ人生を引き継ぐ世界線。
どれも初めてだった。
既視感がない。
以前どこかで見たような気がしない。
読んだこともない。
聞いたこともない。
似たような話すら思いつかない。
十九話までの案件は、どこかに似ていた。
今日の案件は、どこにも似ていない。
それが妙に気になった。
十八件目を開いた。
◆ 第9001世界線「昨日まで存在しなかった色が発生した世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第9001世界線において、既存の可視光スペクトルに分類不能な色彩が発生。現在、当該色を認識可能な住民と認識不能な住民の間で知覚差異が発生している」
……新しい色。
詳細を読んだ。
色として見えている。
でも、名前がない。
RGB値にも変換できない。
写真にも写らない。
ただ、見える人には見える。
その色を見た住民たちは、それぞれ違う感想を述べていた。
「冷たい」
「懐かしい」
「食べられそう」
「怖い」
「何とも思わない」
共通する説明はなかった。
色を削除しようとした。
できなかった。
そもそも、どの属性にも登録されていない。
削除対象として認識できない。
しばらく考えた。
結局、処理を中止した。
「異常判定不能。現状維持」
そう記録した。
処理時間:四十一分。
……処理できなかった。
珍しい。
でも、不思議と嫌ではなかった。
十九件目を開いた。
◆ 第404世界線「世界の外側が存在しない世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第404世界線において、世界の外側という概念が存在しない。境界、外部、別世界、観測者という概念が定義されておらず、外部からのアクセスも成立しない」
……外側がない。
詳細を読んだ。
いつもの管理画面から接続しようとした。
接続できなかった。
管理権限を確認した。
権限がない。
システム管理者権限を確認した。
存在しない。
世界線そのものに「外部」という概念がないため、外側から操作するという行為自体が成立しない。
私はしばらく画面を見ていた。
初めてだった。
私たちが管理できない世界線。
でも、世界線は正常に存在している。
住民も生活している。
空もある。
海もある。
誰も困っていない。
だから、処理しなかった。
「異常なし」
そう記録した。
処理時間:六分。
二十件目を開いた。
画面が白かった。
概要欄がない。
世界線番号もない。
異常内容もない。
ただ、一行だけ表示されていた。
【この世界線を処理したことがありますか?】
私は画面を見た。
……ありません。
そう入力しようとした。
手が止まった。
なぜか。
答えが分からなかった。
私は、この世界線を知らない。
見たこともない。
記録にもない。
でも。
知らない、と断言することだけができなかった。
端末の時計を見た。
午後六時十二分。
少し考えた。
「不明」
と入力した。
送信。
画面が消えた。
案件は処理済みになった。
処理時間:三分。
……三分。
短すぎる。
二十一件目を開いた。
普通の世界線だった。
普通の街。
普通の道路。
普通の家。
普通の人。
問題なし。
処理時間:一分。
二十二件目。
普通。
二十三件目。
普通。
二十四件目。
普通。
全部終わった。
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第三章「第7世界線」
◆ 夕方。業務終了後
二十四件、全部終わった。
夜の七時三分だった。
今日は処理が早かった。
でも、何となく席を立てなかった。
端末を見た。
今日の案件一覧。
時間が縦に流れる世界線。
記憶が植物になる世界線。
名前のない世界線。
新しい色の世界線。
外側のない世界線。
そして。
番号のない世界線。
私はしばらく一覧を眺めていた。
それから、第7世界線を開いた。
夜だった。
春の夜。
いつもの景色。
川がある。
家がある。
道がある。
木がある。
老人がいた。
縁側に座っていた。
いつもと同じ。
空を見ている。
私は画面を見ながら思った。
……今日も、そこにある。
いつもの確認だった。
でも。
今日は、少し違った。
老人がこちらを見た。
画面越しなのに。
こちらを。
私は動かなかった。
老人は立ち上がった。
ゆっくり歩いた。
縁側から庭へ。
庭から道へ。
川の方へ。
いつもなら、そこで画面を閉じる。
でも今日は閉じなかった。
老人が川の前で立ち止まった。
そして。
画面のこちらを見た。
口が動いた。
音声はない。
でも、何を言ったのか分かった。
「今日は遅かったね」
私は固まった。
そんな記録はない。
第7世界線からこちら側への通信機能は存在しない。
そもそも、老人が私を認識する理由がない。
私は端末の接続状態を確認した。
正常。
監視権限。
正常。
外部通信。
なし。
なのに。
老人がもう一度口を動かした。
今度は、少し笑っていた。
「お疲れさま」
私は何も入力できなかった。
ただ、画面を見ていた。
老人はそれ以上何も言わなかった。
川を見た。
いつものように。
風が吹いた。
木の葉が揺れた。
春の夜だった。
私は画面を閉じた。
閉じた後も、しばらく手を端末の上に置いていた。
今日処理した世界線には、既視感がなかった。
どこにも似ていなかった。
でも、第7世界線だけは違った。
いつもと同じだった。
同じであることが、今日だけは少し怖かった。
私は立ち上がった。
帰ろうと思った。
その時。
端末が一度だけ点灯した。
画面には何も表示されていなかった。
ただ、一行だけ。
今日の二十件目と同じ質問が出ていた。
【この世界線を処理したことがありますか?】
私は画面を見た。
第7世界線。
毎日見ている。
何度も見ている。
老人がいて。
川があって。
季節が変わって。
今日もそこにある。
だから私は、入力した。
「はい」
送信。
画面が消えた。
何も起きなかった。
……それでいい。
そう思った。
少なくとも、今日は。
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第四章「今日の終わり」
◆ 夜。203号室
部屋に戻った。
カップ麺を作った。
今日は醤油味。
食べながら、今日の案件を振り返った。
変な一日だった。
時間が縦に流れていた。
記憶が植物になっていた。
名前がなかった。
新しい色があった。
外側がなかった。
番号すらない世界線もあった。
どれも、初めてだった。
十九話まで感じていた「どこかで見た気がする」という感覚は、今日はなかった。
それなのに。
第7世界線だけは。
ずっと同じだった。
老人。
縁側。
川。
春。
毎日同じ。
毎日そこにある。
私はカップ麺の汁を飲んだ。
少し冷めていた。
……今日、老人に話しかけられた。
業務記録には書かないことにした。
理由は分からない。
でも。
書いてしまうと、何かが変わる気がした。
記録すると、確定する。
私はそういう仕事をしている。
だから今日は、書かない。
そう決めた。
カップ麺を食べ終えた。
始末書を四枚書いた。
全部ラックに入れた。
横になった。
目を閉じる前に思った。
今日、初めて処理できなかった世界線があった。
でも、処理できないことが異常とは限らない。
外側がなくても。
名前がなくても。
知らない色があっても。
そこに世界があるなら。
それでいい。
たぶん。
私は目を閉じた。
そして最後に一つだけ思った。
明日、第7世界線を開いたら。
老人は、またいるだろうか。
……いると思う。
今日もいたから。
寝た。
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◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時二十七分
今日の件数:二十四件。
処理完了:二十四件。
未処理:ゼロ件。
始末書記入漏れ:四枚(本日中に対応済)。
エグチ:一個(朝)。
カップ麺:一個(醤油味)。
特記事項:
第318世界線、時間の流れを垂直方向から水平方向へ補正。
第81世界線、記憶植物の成長速度を抑制。
第612世界線、個人名を必須項目から除外。
第9001世界線、新規色彩について処理不能。現状維持。
第404世界線、外部概念なし。異常なし。
第7世界線、継続中。
老人が縁側にいた。
……今日は、こちらを見ていた。
以上。




