第十八話「金曜日の怪談処理」
怖い話というものがある。
学校の七不思議とか、夜に呼んではいけない名前とか、鏡の前でやってはいけないこととか。そういう話だ。
私はそういう話を怖いと思ったことがあまりない。怖いと思う前に「処理対象かどうか」を考える癖がついているからかもしれない。
ただ今日は、処理しながら少し背筋が寒くなる案件があった。
寒くなった理由は、怖かったからではない。
……たぶん。
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第一章「金曜の朝」
◆ 朝、業務室
金曜だった。
朝のエグチを食べながら端末を開いた。今日の案件数は二十三件。週末前としては標準的だ。コーヒーを入れた。
一件目を開いた。
◆ 第4444世界線「夜中の十二時に鳴る電話の世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第4444世界線において、全住民の通信端末が毎夜〇時ちょうどに一斉に着信する現象が三年間続いている。発信元は特定できず、着信に応答した住民は翌朝から「昨夜の通話内容」を覚えていないが、行動パターンが微妙に変化していることが確認されている。現在、世界線の住民の行動パターンが緩やかに収束しつつあり、多様性の喪失が進行している」
……毎夜〇時に全員に電話がかかってくる。
詳細を読んだ。発信元を追跡した。発信元は世界線の外だった。正確には、世界線の「設計層」から来ていた。世界線の設計者が仕込んだ定期メンテナンス信号が、住民の通信端末の周波数と偶然一致して「着信」として認識されていた。
メンテナンス信号の周波数を変更した。着信が止まった。
行動パターンの収束については、既に微変化が蓄積していたため、多様性の補正処理を追加で行った。
処理時間:二十六分。
……三年間、毎夜〇時に全員に電話がかかってきていた。内容は覚えていない。でも少しずつ変わっていた。
設計者が意図していなかった副作用だった。設計層からの信号が住民を変えていた。
私もぱんでむの「設計層」から何らかの影響を受けているかもしれない。それに気づかないまま少しずつ変わっているかもしれない。
……気にしても仕方ない。次の案件を開いた。
◆ 第1313世界線「踏んではいけないタイルが存在する世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第1313世界線において、特定の床タイルを踏んだ者が「別の時間軸」に転送される現象が都市部全体で確認されている。タイルは外見上他のタイルと区別がつかず、転送先の時間軸は踏んだ者によって異なる。問題は転送された住民の一部が過去の時間軸に送られた後、過去で行動した結果、現在の時間軸に影響を与えており、因果律が複数箇所で歪んでいる」
……踏んではいけないタイルが都市中にある。
詳細を読んだ。転送タイルの発生原因を調べた。都市の建設時に使用した素材の一部に、別の世界線から持ち込まれた材料が混入していた。その材料が時間軸との接続点になっていた。
転送タイルを特定した。全部で三百十七枚あった。一枚ずつ無効化した。因果律の歪みを補正した。
処理時間:四十一分。今日一番時間がかかった案件だった。
……都市全体に三百十七枚の転送タイルがあった。住民はどれを踏んでもいいか分からないまま三年間歩いていた。
どれを踏めばいいか分からない道を歩き続けた住民たちは、それでも歩いた。
……私も毎日業務室に来ている。来てもいいか分からない日もある。でも来る。まあ、来るのが業務だから。
三件目を開いた。
◆ 第6606世界線「理科室の人体模型が夜中に動く世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第6606世界線において、教育施設に設置された人体構造展示模型が夜間に自律行動を行っていることが確認された。問題は模型が夜間に施設内を移動しているだけでなく、翌朝には必ず元の位置に戻っており、なおかつ施設内の「教育資材の整頓」「照明設備の点検」「植物への水やり」などを行っていることが防犯記録で判明した。害はないが、原因が不明なため教育施設の運営が混乱している」
……人体模型が夜中に整頓をしている。
詳細を読んだ。人体模型の自律行動の原因を調べた。模型の製造過程で使用した素材に、意思を持つ知的生命体の残留思念が混入していた。思念の主は生前、教育者だった。死後も施設を気にかけて、夜中に活動していた。
残留思念に話しかけた。業務端末の翻訳機能を使った。
思念は「施設が心配だった」と答えた。「昼間は邪魔になるから夜だけにしている」とも言った。
害がなく、施設の維持に貢献していたため、活動の継続を許可した。教育施設の運営側に「夜間整頓は自動化システムによるもの」という説明文書を発行した。
処理時間:十八分。
……死後も施設を気にかけて整頓している教育者の思念がいた。害がないので活動継続を許可した。
業務として処理したが、少し違う感触がある案件だった。迷惑でも害でもない。ただ、続けていた。
四件目を開いた。
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第二章「午後の案件たち」
◆ 第9999世界線「後ろを振り返ってはいけない廊下の世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第9999世界線において、ある建物の特定の廊下を歩く際に後ろを振り返った者が、振り返った瞬間から「自分が歩いてきた過去」を物理的に失う現象が報告されている。過去を失った住民は直近の記憶から順に消え、最終的に「今この瞬間」しか存在しない状態になる。現在、当該建物の廊下を通過した住民の三十七名が過去を持たない状態で生活しており、社会適応に困難をきたしている」
……振り返ると過去が消える。
詳細を読んだ。廊下の構造に問題があった。廊下の建材が「観測の逆転」という特殊な性質を持っており、後方を観測した瞬間に後方の時間軸との接続が切断される設計になっていた。設計上のバグだ。
廊下の建材を補正した。観測の逆転機能を無効化した。
過去を失った三十七名の記憶を復元した。記憶データは世界線のバックアップに保存されていた。全員に復元できた。
処理時間:三十一分。
……振り返ったら過去が消えた人が三十七名いた。過去が消えた状態で「今この瞬間」だけで生活していた。
過去を復元した。記憶が戻った。
でも処理しながら少し考えた。
過去がない状態で「今この瞬間」だけで生きていた三十七名は、その間どんな感触で生きていたんだろう。怖かったのか。あるいは、軽かったのか。
答えは聞かなかった。業務だったので。
五件目を開いた。
◆ 第3939世界線「使われていない教室に入ると出られなくなる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第3939世界線において、教育施設内の長期間使用されていない教室が「閉鎖空間」化しており、入室した者が物理的に退室できなくなる現象が確認されている。現在、複数の教育施設で合計二百四十名が閉鎖空間に閉じ込められており、外部との通信は可能だが物理的な救出ができていない。閉鎖空間内は時間の流れが外部の千倍速く進んでおり、内部では数年が経過しているが、外部ではまだ数日しか経っていない」
……閉鎖空間の中で時間が千倍速い。
詳細を読んだ。外部で数日、内部では数年が経過していた。二百四十名の現在の状態を確認した。
……内部ではすでに数年が経っていた。閉じ込められた時点では子供だった生徒が、大人になっていた。内部で独自のコミュニティが形成されていた。農業を始めていた。教育システムを作っていた。記録を残していた。
閉鎖空間の境界を解除した。外部との接続を回復した。
二百四十名が出てきた。外部では数日しか経っていないが、彼らにとっては数年だった。
処理時間:三十七分。
……閉じ込められた数日の間に、内部では数年分の生活があった。農業があった。教育があった。記録があった。
出てきた時、彼らにとってここは「戻ってきた場所」ではなく「新しい場所」だったかもしれない。数年分の生活がある場所を出て、数日前の世界に戻ってきた。
どちらが「元の場所」かは、外側の時間では決まらない。
六件目を開いた。
◆ 第5050世界線「音楽室のピアノが勝手に鳴る世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第5050世界線において、教育施設の音楽室に設置されたピアノが、誰も演奏していない状態で音楽を奏でる現象が報告されている。問題はピアノが奏でる音楽が、聴いた者の「最も忘れたい記憶」を強制的に想起させる作用を持ち、音楽室付近を通過した住民が次々と記憶の反芻状態に陥り、日常生活に支障をきたしている」
……ピアノが最も忘れたい記憶を思い出させる。
詳細を読んだ。ピアノの音楽の発生源を調べた。ピアノの弦に、感情記録素材が使われていた。製造過程で混入したもので、製造者の記憶——特に後悔の記憶——が弦に定着していた。それが共鳴して、聴いた者の後悔の記憶を呼び起こしていた。
弦の感情記録を消去した。ピアノが通常の楽器に戻った。
処理時間:十六分。
……製造者の後悔の記憶が弦に残っていた。その記憶が他者の後悔を呼び起こしていた。
消去した。
消去してから少し思った。製造者はその後悔を弦に込めるつもりはなかった。でも込められていた。そして百年後に別の世界線のクルーが消去した。
製造者がそれを知ることはない。
まあ、そういうものか。
七件目を開いた。
◆ 第8080世界線「存在してはいけない教室がある世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第8080世界線において、ある教育施設の建物の構造上「存在できないはずの部屋」が存在することが建築調査で確認された。建物の設計図にない部屋で、外部から計測すると存在できる空間がないはずの場所に部屋がある。内部に入ることは可能で、中には机と椅子が一セットあり、黒板に文字が書かれている。文字の内容は「この部屋に入った理由を思い出してください」。入室した者は全員、入室した理由を覚えていない」
……存在できない部屋に入ると理由を忘れる。
詳細を読んだ。部屋の構造を分析した。部屋は別の世界線の空間が「折り畳まれて」収納されていた。物理的には存在できないが、別の空間を参照しているため存在できていた。
「この部屋に入った理由を思い出してください」という黒板の文字の出所を調べた。
文字は自動生成されていた。部屋に入った者の記憶から「入室の動機」を抽出しようとする機能が設計されていたが、抽出に失敗し続けていた。入室者が理由なく入室しているためだった。
……全員、理由なく入っていた。
特に危険ではなかったので、部屋はそのままにした。黒板の自動生成機能だけ停止した。
処理時間:二十一分。
……「この部屋に入った理由を思い出してください」という問いに、全員が答えられなかった。理由がなかったから。
なんとなく入った部屋が、なんとなく存在していた。
……私がぱんでむに来た理由も、よく覚えていない。気づいたらいた。渾沌ちゃんに連れてこられた、という経緯はあるが、なぜ来ることにしたかは記憶が曖昧だ。
「ここに来た理由を思い出してください」と聞かれたら——私も答えられないかもしれない。
八件目を開いた。
◆ 第2525世界線「鏡の中に別の世界がある世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第2525世界線において、鏡の反射面が「別空間への入口」になっていることが物理的に証明された。鏡の中の空間は外見上は現実世界の鏡像だが、鏡像の住民は独立した意思を持って行動しており、現実世界の住民の行動を模倣しているのではなく独立した生活を営んでいる。問題は鏡の中の住民が最近「こちら側に来たい」という意思を示し始めており、複数の鏡で境界侵犯の試みが起きている」
……鏡の中の住民がこちらに来ようとしている。
詳細を読んだ。鏡の中の住民の動機を確認した。「なぜこちら側に来たいのか」を調べた。
理由は一つだった。「こちら側の方が食べ物がおいしそうだから」。
……食べ物。
詳細を確認した。鏡の中の世界では食料の種類が極めて限られていた。鏡の外の世界の食事を観察し続けた結果、渡ってきたくなったらしい。
境界の強化処理を行った。鏡の境界侵犯を防止した。
同時に、鏡の中の世界の食料多様化を支援する処理を行った。いくつかの食材の概念を鏡の中に送り込んだ。
処理時間:二十九分。
……食べ物がおいしそうだから渡ってきたかった。食べ物の概念を送り込んだ。
鏡の中の住民がおいしいものを食べられるようになったといい。確認はしなかった。業務なので。
でも少し、おいしそうに食べているといいと思った。
九件目を開いた。
◆ 第1122世界線「七人目が現れる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第1122世界線において、六人で集まると必ず「七人目」が現れる現象が世界線全体で報告されている。七人目の外見は六人のうちの誰かに似ているが、記憶を持たず、名前を持たず、翌朝には消えている。問題は七人目が消える際に、六人の記憶の一部を持ち去ることが判明しており、住民の集合的な記憶が少しずつ欠損していっている」
……六人集まると七人目が来て、記憶を持ち去っていく。
詳細を読んだ。七人目の正体を分析した。七人目は世界線の「記憶欠損」を自動補修しようとするシステムが誤作動したものだった。欠損した記憶を補修するために世界線の別の場所から記憶を持ってこようとするが、補修先と取得先が逆になっていた。補修するはずが、持ち去っていた。
システムの誤作動を修正した。記憶の補修が正しい方向で行われるようになった。持ち去られた記憶を可能な範囲で復元した。
七人目は現れなくなった。
処理時間:三十四分。
……六人集まると来ていた七人目は、記憶を補修しようとしていた。でも逆方向に動いていた。善意の誤作動だった。
修正した。七人目は来なくなった。
六人で集まっても七人目が来ない世界になった。
……それが良いことかどうかは、少し複雑だ。七人目は誰かに似ていた。記憶を持ち去っていたが、夜の間だけそこにいた。翌朝には消えていたが、来ていた。
修正は正しかった。でも来なくなった。
まあ、業務だった。
十件目を開いた。次に進んだ。
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第三章「夕方と、今日の整理」
◆ 夕方。業務を終えて
二十三件、全部終わった。夜の九時だった。
今日も、どこかで聞いた気がする世界線だった。
夜中の〇時に電話がかかってくる世界。踏んではいけないタイルが都市中にある世界。夜中に整頓する人体模型がいる世界。振り返ると過去が消える廊下。使われていない教室に閉じ込められた二百四十名。勝手に鳴るピアノ。存在できない部屋と理由のない入室者。鏡の中の食べ物が欲しい住民。六人目が集まると来る七人目。
全部、学校の怪談みたいな話だった気がする。
……学校の怪談、という言葉も自然に出てきた。どこで覚えたんだろう。
コーヒーを飲んだ。今日もぬるかった。忙しい日はコーヒーが冷める。
今日特に気になったのは二つあった。
一つは第8080世界線の「この部屋に入った理由を思い出してください」という黒板の文字だ。全員が理由なく入っていた。問いに誰も答えられなかった。
私がぱんでむに来た理由も、よく覚えていない。でも今日、退職願を書かなかった。昨日も書かなかった。今週はまだ書いていない。
もう一つは第1122世界線の七人目だった。誰かに似た姿で来て、朝には消えていた。記憶を持ち去る誤作動だったが、夜の間だけそこにいた。
夜の間だけそこにいる何かが、毎晩来ていた。それが来なくなった。
……修正は正しかった。でも少し、静かになった気がした。
第7世界線の観測画面を開いた。
◆ 第7世界線
夜だった。葉が出始めた木が、今日は少し大きくなっていた。春が深くなっている。
老人が縁側にいた。今日は子供と犬も一緒だった。三者が縁側に並んでいた。何かを食べている。湯気が出ていた。
夜の縁側に三人いる。温かいものがある。
今日もここにある。
確認した。
……今日、「この部屋に入った理由を思い出してください」という問いのことを考えた。
私が第7世界線を毎晩見る理由は——「今日もここにある」という確認のためだと先週気づいた。
なぜ確認するのかは、まだ言葉にならない。
でも今日、三人が縁側に並んでいるのを見て、少しだけ分かった気がした。
ここにある、ということが——嬉しいのかもしれない。
嬉しい、という言葉が自分に使えるか分からない。でも今日、その感触に一番近い言葉は「嬉しい」だった。
まあ、今日はここまでだ。
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第四章「今日の終わり」
◆ 夜。203号室
部屋に戻った。
カップ麺を作った。今日は醤油にした。食べながら今日の案件を振り返った。
学校の怪談が宇宙規模になった世界線だった。
……学校の怪談が宇宙規模、という言葉も自然に出てきた。どこで——まあ、いい。気のせいだ。
カップ麺を食べ終えた。
始末書を三枚書いた。ラックに入れた。
机の前で少し座っていた。
今週は退職願を一度も書いていない。月曜から金曜まで、一度も書かなかった。今週初めて気づいた。
書こうと思わなかったわけではない。ただ、書かなかった。
今日、第8080世界線の黒板が「この部屋に入った理由を思い出してください」と言っていた。全員が答えられなかった。理由がなかったから。
私もぱんでむに来た理由は答えられない。でも今週、退職願を書かなかった。
理由があって来たわけではないかもしれない。でも理由があって残っているかもしれない。
……あるいは、理由がなくても残っているのかもしれない。
どちらが正しいか分からない。でも残っている。今週も。
横になった。
目を閉じる前に思った。
第7世界線の三人が縁側で温かいものを食べていた。それを見て、嬉しかったかもしれない。
嬉しいという感触が自分にあることを、今日初めて確認した。
なんでやってるの、という渾沌ちゃんの問いが、今日は遠かった。
遠いまま、寝た。
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◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時三十分
今日の件数:二十三件。
処理完了:二十三件。
未処理:ゼロ件。
始末書記入漏れ:三枚(本日中に対応済)。
退職願:今週は一度も書かなかった。
エグチ:一個(朝)。
カップ麺:一個(醤油味)。
コーヒー:今日もぬるかった。
特記事項:第7世界線、今日も継続中。葉が大きくなっていた。三人が縁側で温かいものを食べていた。それを見て嬉しかったかもしれない。嬉しいという感触が自分にあることを今日確認した。今週は退職願を一度も書かなかった。
……以上。




