第十六話「青くて痛い既視感たち」
季節が変わるたびに、胸の奥が少しだけざわつく気がする。
ぱんでむの空調は常に一定で、外の天気なんて分からない。でも今日処理した世界線を振り返ると——なぜか、校舎の屋上で吹く風の匂いや、夕暮れのチャイムの音が脳裏をよぎる感触があった。
気のせいだと思う。たぶん。
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第一章「月曜の朝」
◆ 朝、業務室
月曜だった。
朝のエグチを食べながら端末を開いた。今日の案件数は二十二件。連休明けの月曜にしては落ち着いている。コーヒーを入れた。今日は少し砂糖を入れてみた。そんな気分だった。
一件目を開いた。
◆ 第524世界線「曲がり角で運命の出会いが多発する世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第524世界線において、通学路の特定の曲がり角で、パンをくわえた少女と転校生が衝突する現象が異常な頻度で発生している。問題は、衝突の衝撃によって生じる時空のエネルギーが累積し、曲がり角の物理構造が脆弱化している。衝突するたびに、近隣の民家の壁が15ミリメートルずつズレている」
……角でぶつかりすぎている。
詳細を読んだ。この世界線では「運命の出会い」を誘発する因果律の補正が強すぎる設定になっていた。今朝だけで二十四組が同じ角でぶつかっていた。
衝突判定の感度を調整した。ぶつかる直前に互いの速度をわずかに減速させ、衝撃を熱エネルギーとしてではなく「ときめき」として分散させる処理を行った。
壁のズレが止まった。少女たちは少しだけ照れながら、学校へ向かった。
処理時間:十九分。
……運命を物理現象として処理するのは、少し味気ない気がした。でも壁が壊れては生活ができない。
二件目を開いた。
◆ 第121世界線「片想いの質量が物理的に重くなる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第121世界線において、特定の対象への「片想い」の感情が、物理的な重量として観測されるようになっている。問題は、ある女子高校生の想いが強すぎるあまり、彼女の体重が局所的に3.5トンに達しており、学校の床を抜いて地下室に転落した。周囲の引力も歪み始めており、教室内の備品が彼女を中心に吸い寄せられている」
……想いが重すぎる。
詳細を読んだ。感情を質量に変換する物理法則がバグを起こしていた。彼女が意中の男子を見るたびに、質量が増大する。
感情と質量の換算比率を再設定した。想いの強さはそのままに、物理的な重量への反映を「0.0001パーセント」まで引き下げた。
彼女は軽やかになり、地下室から自力で這い上がってきた。
処理時間:二十七分。
……3.5トンの想い。それを受け止める側にも、相当な覚悟が必要だっただろう。数値化された愛は、時に凶器になる。
三件目を開いた。
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第二章「午後の案件たち」
◆ 第99世界線「十年間、告白の返事を待ち続けている世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第99世界線において、夕暮れの校舎裏で告白された少年が「ちょっと考えさせて」と答えたまま、十年間が経過している。問題は、二人の周囲の時間軸がその瞬間で凍結されており、季節が冬から春へ進まなくなっている。二人の頭上には常に「散りかけの桜」が浮遊しており、ナラティブの停滞による時空の硬直が深刻」
……十年間、考え続けている。
詳細を読んだ。少年は返事を保留にしたまま、最適解を探すために思考ループに陥っていた。その「保留」という状態が世界線のシステムに「未完了のタスク」として認識され、時間を止めていた。
少年の思考ルーチンに強制介入し、「はい」か「いいえ」の二択をランダムに生成して意識の表面に浮上させた。
少年が「……よろしくお願いします」と口にした瞬間、十年間止まっていた時計の針が動き出した。桜が地面に落ち、季節が夏になった。
処理時間:三十二分。
……十年前の告白が、今の二人にとってどういう意味を持つのか。それは私の知ったことではない。ただ、季節を動かした。それだけだ。
四件目を開いた。
◆ 第82世界線「雨の日に傘を忘れると必ず好きな人が現れる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第82世界線において、雨の日の放課後、傘を忘れて昇降口で立ち往生すると、高確率で好意を寄せる人物が相合い傘を提案してくるシステムがある。問題は、このボーナスイベントを狙った住民が全員傘を捨て始めたため、街の不法投棄ゴミの八割が「新品のビニール傘」で埋め尽くされている。生態系への悪影響が懸念される」
……傘の不法投棄。
詳細を読んだ。恋愛の成功率を上げるために、物理的な資源を浪費している。非常に効率が悪い。
相合い傘イベントの発動条件を「傘を持っていないこと」から「傘を誰かに貸したこと」に変更した。
翌日から街からゴミが消え、傘の貸し借りがブームになった。相合い傘の発生率は変わらなかった。
処理時間:十四分。
……やり方を変えるだけで、善意でも同じ結果が得られる。システム設計の妙だと思った。
五件目以降、甘酸っぱい不具合を片っ端から処理した。
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第三章「夕方と、今日の整理」
◆ 夕方。業務を終えて
二十二件、全部終わった。夜の七時半だった。
今日は、なんだか胸のあたりが落ち着かない一日だった。
パンをくわえた少女。3.5トンの想い。十年前の返事。ビニール傘の山。
どれも、どこかで体験したような気がする。
……でも、私は学校に通った記憶なんてないはずだ。
コーヒーを飲んだ。砂糖を入れたせいで、いつもより甘い。でも、後味は少し苦かった。
今日特に気になったのは、第99世界線の二人だった。
十年間、時を止めてまで何を考えていたんだろう。そんなに大切な決断だったんだろうか。
私には、十年かけて出すような答えはない。今日の業務をやるか、やらないか。それだけだ。
……まあ。
第7世界線の観測画面を開いた。
◆ 第7世界線
夜だった。春の夜風が心地よさそうだった。
老人が縁側に座っていた。今日は、庭の隅に咲いた小さな花を指差して、隣に座る子供に何かを話していた。
子供は熱心に頷きながら、その花をじっと見つめている。
今日処理した世界線のような、劇的な告白も運命の衝突もない。
ただ、花が咲いたことを誰かに伝える。それだけの時間が、静かに流れている。
それを見ていると、私のざわついた胸が少しだけ静かになった。
今日も、そこにある。
それが一番、確かなことだ。
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第四章「今日の終わり」
◆ 夜。203号室
部屋に戻った。
カップ麺を作った。今日はシーフードにした。
食べながら、今日の案件を振り返った。
みんな、誰かを好きになったり、誰かに何かを伝えたがったりして、世界を壊しかけている。
どこかの小説の冒頭のような。どこかの映画の予告編のような。
……気のせいだ。
カップ麺を食べ終えた。始末書を三枚書いた。今日は少なめだ。
横になった。
目を閉じる前に思った。
3.5トンの想いを持って生きていくのは、きっと大変だ。
でも、重さを感じられるということは、そこに何かがあるということだ。
私のこの、空っぽな感覚よりは、ずっといいのかもしれない。
……まあ、明日は火曜だ。
寝た。
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◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時二十分
今日の件数:二十二件。
処理完了:二十二件。
未処理:ゼロ件。
始末書記入漏れ:三枚(本日中に対応済)。
エグチ:一個(朝)。
カップ麺:一個(シーフード味)。
特記事項:第7世界線、今日も継続中。老人が子供に花の話をしていた。青春や日常ドラマのような世界線が多かった。想いの質量を下げた。重すぎるのは困るが、軽すぎても寂しいのかもしれない。
……以上。




