第十五話「神話と予言と既視感」
子供の頃に読んだ図鑑がある、という人がいる。
私にそういう記憶があるかどうかは、よく分からない。ぱんでむに来る前のことはあまり覚えていない。
でも今日処理した世界線を振り返ると——なぜか、古い羊皮紙の匂いが鼻先を掠める気がした。
気のせいだと思う。たぶん。
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第一章「木曜の朝」
◆ 朝、業務室
木曜だった。
朝のエグチを食べながら端末を開いた。今日の案件数は二十三件。標準的な木曜だ。コーヒーを入れた。今日も最初から温かいうちに飲む作戦を継続している。
一件目を開いた。
◆ 第444世界線「巨大な建造物を作り続ける古代文明の世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第444世界線において、砂漠地帯の文明が数千年にわたり「王の墓」とされる四角錐の巨大建造物を造営し続けている。問題は建造の情熱が加速しすぎた結果、墓のサイズが山脈を超え、周辺の気流を乱している。異常気象により、下流の農耕地帯が万年干ばつ状態に陥っている」
……ピラミッドが大きくなりすぎている。
詳細を読んだ。住民は「高く造れば造るほど神に近づける」と信じている。構造的には安定しているが、環境への負荷が限界だった。
建造物の高さを固定するのではなく、住民の「満足度」を外部から補正した。現在の高さで「神に届いた」という確信を住民の意識に植え付けた。
工事が終了した。住民は祭りを始めた。気流が安定し、雨が降り始めた。
処理時間:二十六分。
……「神に届いた」という確信があれば、それ以上積む必要はなくなる。物理的な限界よりも先に、精神的な限界が解決した例だった。
二件目を開いた。
◆ 第10世界線「神々が山の上に住んで喧嘩している世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第10世界線において、山頂に住まう複数の高次元生命体(神)が、地上の人間に介入してトラブルを引き起こしている。問題は主神とされる個体の浮気問題に端を発した嵐が止まらず、世界線の海洋面積が三割増加している。生態系が水没の危機にある」
……神様の浮気で洪水が起きている。
詳細を読んだ。主神の配偶者が怒るたびに落雷と豪雨が発生する。神々のプライベートな感情が物理現象に直結する設計仕様だった。
神々の感情と気象の同期設定を解除した。神々がどれだけ喧嘩しても、空は晴れたままであるように物理法則を切り離した。
嵐が止んだ。水が引き始めた。
処理時間:二十二分。
……神様も大変だ。感情を隠す場所が空しかなかったのだから。でも、迷惑をかけられる人間はもっと大変だ。
三件目を開いた。
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第二章「午後の案件たち」
◆ 第666世界線「予言が必ず当たる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第666世界線において、特定の予言者の言葉が百パーセント現実化している。問題は予言者が「明日、世界は終わる」と口走ってしまったこと。世界線のナラティブ構造がその言葉を「確定した未来」として認識し、物理的な崩壊プロセスのカウントダウンを開始した。残り二十時間」
……あと二十時間で世界が終わる。
詳細を読んだ。予言者の能力は「未来を見る」のではなく「言葉にしたことを物理的に確定させる」性質のものだった。
予言の「解釈」を外部から拡張した。「世界」の定義を「この宇宙全体」から「予言者が今座っている椅子」に変更した。
椅子が粉々に砕けた。カウントダウンが停止した。宇宙は存続した。
処理時間:三十九分。
……椅子一つで済んでよかった。予言者は驚いて、しばらく黙っているらしい。
四件目を開いた。
◆ 第55世界線「夜になると吸血鬼が歩き回る世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第55世界線において、不死の吸血鬼と、それを狩る一族の抗争が四百年続いている。問題は吸血鬼側が日焼け止めの開発に成功し、昼間も行動可能になったこと。対抗手段を失った狩人側が絶滅の危機にあり、世界線のナラティブ・バランスが崩壊している」
……吸血鬼が日焼け止めを塗った。
詳細を読んだ。日焼け止めの成分は、この世界線の独自の薬草から作られていた。
薬草の成分に「吸血欲求を著しく低下させる」副作用を追加した。吸血鬼たちは昼間も歩けるようになったが、同時に人間を襲う意欲を失った。
抗争が終了した。吸血鬼たちはカフェを開き、人間と一緒にトマトジュースを飲むようになった。
処理時間:十八分。
……日差しを克服した代わりに、戦う理由もなくなった。平和な解決だった。
五件目以降を処理した。
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第三章「夕方と、今日の整理」
◆ 夕方。業務を終えて
二十三件、全部終わった。夜の八時十五分だった。
今日も、どこかで見た気がする世界線が多かった。
空まで届く墓。怒る神々。外れない予言。昼間を歩く吸血鬼。
全部、今日初めて処理した世界線だ。
でもどこかで見た気がする。
コーヒーを飲んだ。今日は温かかった。
今日特に気になったのは、第666世界線の予言者だった。
「世界が終わる」という言葉の定義を「椅子」に変えることで、世界を救った。言葉の意味ひとつで、現実の形が変わった。
私が毎日書いている業務記録も、どこかで何かを確定させているのだろうか。
……分からない。
第7世界線の観測画面を開いた。
◆ 第7世界線
夜だった。春の夜だ。風が吹いている。
老人が縁側にいた。今日は一人だった。庭にある古い石碑を眺めていた。
あの石碑には何が書いてあるんだろう。
昔の誰かが書いた、何かの記録かもしれない。老人はそれを毎日、確かめるように見ている。
私も、画面の向こうの老人を確認する。
今日もそこにいる。
それだけで、私の木曜日が着地する気がした。
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第四章「今日の終わり」
◆ 夜。203号室
部屋に戻った。
カップ麺を作った。今日は味噌にした。
食べながら、今日の案件を振り返った。
神話や伝説のような世界線が多かった。
どこかで読んだ図鑑。どこかで聞いた伝説。そういうものが、処理しながらずっと頭の隅にあった。
……気のせいだ。
カップ麺を食べ終えた。始末書を三枚書いた。ラックに入れた。
横になった。
目を閉じる前に思った。
予言の解釈を椅子に変えた。世界は守られたが、椅子は壊れた。
私もいつか、自分の毎日の定義を書き換えられるだろうか。
……まあ、今は業務がある。
それでいい。
寝た。
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◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時十分
今日の件数:二十三件。
処理完了:二十三件。
未処理:ゼロ件。
始末書記入漏れ:三枚(本日中に対応済)。
エグチ:一個(朝)。
カップ麺:一個(味噌味)。
特記事項:第7世界線、今日も継続中。春の夜。老人が石碑を見ていた。神話や伝説のような世界線が多かった。予言の解釈を「椅子」に変更。世界は守られた。私もいつか、自分の定義を書き換えたいと思った。
……以上。




