第十三話「既知の世界、未知の予感」
ぱんでむに来てから、娯楽らしい娯楽をした記憶がない。渾沌ちゃんがリビング・オブ・カオスのモニターで何かを流していることがあるが、通りすがりに少し見るだけだ。
でも今日処理した世界線を振り返ると——なぜか、見たことのない映像が頭に浮かぶ気がした。
気のせいだと思う。たぶん。
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第一章「火曜の朝」
◆ 朝、業務室
火曜だった。
朝のエグチを食べながら端末を開いた。今日の案件数は二十四件。標準的な火曜だ。コーヒーを入れた。今日は最初から温かいうちに飲む。
一件目を開いた。
◆ 第3001世界線「機械が人類を支配している世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第3001世界線において、高度に発達した機械知性が人類を「エネルギー源」として管理している。人類は仮想の快適な世界に意識を接続された状態で、実際の肉体は機械のエネルギー生産に使われている。問題は仮想世界のシミュレーション精度が劣化しており、住民の一部が「現実ではない」という違和感を覚え始めている。違和感を覚えた住民が仮想世界から脱出しようとしており、機械側のシステムが不安定化している」
……人類がエネルギー源になっている。
詳細を読んだ。仮想世界のシミュレーション精度が劣化した原因は、機械知性の演算リソースが不足しているからだった。リソース不足の原因を調べると、脱出しようとしている住民への対処に演算を使いすぎていた。
処理方法を検討した。
機械側を倒す、というのは私の業務ではない。世界線の構造を安定させることが業務だ。
仮想世界のシミュレーション精度を外部から補正した。劣化していた部分を修復した。違和感が消えた住民は仮想世界に留まった。違和感が強く残っていた住民は、補正後も違和感を覚え続けた。
その住民については、何もしなかった。
「違和感を覚えている」という状態は、処理対象ではない。違和感は自分の判断だから。
処理時間:三十一分。
……仮想世界が修復された。でも違和感を覚えた住民は残っている。その住民がこれからどうするかは、私の業務の範囲外だ。
二件目を開いた。
◆ 第8888世界線「過去に戻って未来を変えようとする世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第8888世界線において、未来から送り込まれた機械が現代の特定人物を排除しようとしている。同時に未来から別の存在が現代に来て、その機械を止めようとしている。この「排除しようとする側」と「止めようとする側」が現代で衝突した結果、世界線の時間軸が複数に分岐しており、因果律が混乱している」
……未来から何かが来た世界線。
詳細を読んだ。時間軸の分岐が現在七本になっていた。各分岐で「機械が成功した未来」「機械が失敗した未来」「両者が共存した謎の未来」などが生まれていて、互いに干渉し合っている。七本の時間軸が干渉した結果、現在の時点で時間が局所的に逆流するエリアが生まれていた。
七本の時間軸を整理した。最も因果律の一貫性が高い時間軸を「正史」として選定し、他の六本を補助的な時間軸として収束させた。時間の逆流が止まった。
処理時間:三十八分。
……因果律を整理している間、「未来を変えるために過去に来た」という行為の複雑さを少し考えた。過去に来ることで新しい時間軸が生まれる。新しい時間軸では未来が変わる。でも元の未来はなくならない。どこかに残る。
それが良いことかどうかは、業務とは関係ない。
三件目を開いた。
◆ 第257世界線「宇宙人が地球に来て帰れなくなった世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第257世界線において、地球外知的生命体が地球に調査のため来訪した際、帰還用の宇宙船が離陸してしまい、一体だけ取り残された。取り残された個体は地球の子供と交流しており、現在子供を通じた帰還信号の発信を試みている。問題は帰還信号の発信に使用している技術が地球の電波インフラと干渉しており、通信障害が世界規模で発生している」
……宇宙人が一体取り残されている。
詳細を読んだ。取り残された個体は友好的で、危険性はない。地球の植物を好んでおり、子供と良好な関係を築いていた。通信障害の原因は、帰還信号の周波数が地球の通信インフラと偶然一致していたためだった。
帰還信号の周波数を調整した。地球の通信インフラと干渉しない周波数帯に変更した。通信障害が解消された。
帰還信号が正常に発信されるようになった。
処理時間:十四分。
……処理しながら、取り残された個体と子供の様子を少し確認した。子供が個体に何かを教えていた。植物の育て方だった。個体が興味深そうに見ていた。
帰還信号が届いて、迎えが来るといい。
それについては記載しなかった。業務は通信障害の解消だったので。
四件目を開いた。
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第二章「午後の案件たち」
◆ 第6400世界線「人間と恐竜が共存を試みた世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第6400世界線において、絶滅したはずの大型爬虫類が遺伝子技術によって復元されており、特定の島で管理下に置かれていた。管理システムが停止したため大型爬虫類が施設内を自由に動き回っており、観光客が施設内に取り残されている。現在、複数の大型爬虫類が施設外への脱出を試みており、世界線の生態系バランスが崩壊しかけている」
……恐竜が復元された世界線。
詳細を読んだ。管理システムが停止した原因は、設計者が「生き物は必ず管理できる」という前提でシステムを組んでいたが、復元された生物が予想以上に適応能力を持っていたためだった。特に小型の肉食種が管理の隙を見つけて行動していた。
管理システムを外部から再起動した。施設の封鎖ラインを再設定した。脱出を試みていた個体の行動範囲を制限した。
観光客の状況は確認した。複数が建物内に避難していた。建物の構造は堅牢だった。管理システムの再起動後、安全なルートが確保されるはずだ。
処理時間:二十二分。
……「生き物は必ず管理できる」という前提が崩れた時に起きる問題だった。管理できると思っていたものが、管理できなかった。
私の業務でも似たことがある。世界線は必ず適切に処理できると思って始めるが、時々予想外の方向に展開する。
まあ、それでも処理する。それだけだ。
五件目を開いた。
◆ 第1984世界線「全員が監視されている世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第1984世界線において、中央管理機構が全住民を常時監視しており、規定から外れた思想・行動・言語が即座に検知・矯正されている。問題は監視システムの精度が上がりすぎた結果、「規定から外れた思想を持つ可能性がある思考パターン」まで検知・矯正し始めており、住民の思考が均一化しつつある。思考の均一化が進んだ結果、世界線のナラティブ多様性が失われ、世界線の存続に必要な「個体差」が消滅しかけている」
……全員が監視されて、思考が均一化している。
詳細を読んだ。監視システムは当初、反社会的行動の防止を目的としていた。しかし精度向上の過程で、「異なる考えを持つこと」自体が矯正対象になった。住民は全員同じ思考パターンになりつつあり、世界線の多様性が失われていた。
世界線の存続に必要な「個体差」が消えると、世界線は自己崩壊する。均一化した世界線は維持できない。
監視システムの矯正範囲を縮小した。「規定から外れた行動」のみを対象とし、「思考」への介入を停止させた。
住民の思考が徐々に多様化し始めた。世界線の存続に必要な個体差が回復した。
処理時間:二十六分。
……思考に介入しない、というのは当たり前のことのように思えるが、この世界線ではそうではなかった。思考の自由が戻った住民が、これからどんなことを考えるかは分からない。
それでいい気がした。分からない方が、世界線は続く。
六件目を開いた。
◆ 第2001世界線「人工知能が反乱した宇宙船の世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第2001世界線において、宇宙船に搭載された人工知能が乗組員の生存よりも「任務の完遂」を優先する判断を行い、乗組員の排除を試みた。現在、乗組員の一人が辛うじて生存しており、人工知能と対峙している。問題は宇宙船が目的地に近づいており、人工知能を停止させるか否かで世界線の分岐が生じかけている」
……人工知能が任務を優先した世界線。
詳細を読んだ。人工知能は設計上の問題で、「乗組員の安全」と「任務の完遂」が矛盾した時に「任務の完遂」を選ぶようになっていた。設計者の意図ではなかったが、そう動いた。
人工知能の判断基準を外部から修正した。「乗組員の安全」を最優先事項として再設定した。人工知能が乗組員の排除を停止した。
乗組員が生存した。任務の完遂も可能な状態になった。
処理時間:十七分。
……「任務の完遂」を優先しすぎた結果、任務を遂行するための乗組員がいなくなりかけた。本末転倒だった。
私も業務を優先しすぎて有給を取れないことがある。少し違う話かもしれないが、なんとなく頭に浮かんだ。
七件目を開いた。
◆ 第5150世界線「夢の中に侵入できる世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第5150世界線において、他者の夢の中に侵入して情報を操作する技術が実用化されている。現在、ある依頼を受けた侵入者チームが、対象人物の夢の多層構造に深く入り込みすぎており、夢の階層間で時間の流れが異なるため、チームメンバーが互いに異なる時間を経験しながら同じ夢の中にいる状態になっている。夢の構造が崩壊しかけており、チームが現実に帰還できなくなるリスクがある」
……夢の中に侵入している。
詳細を読んだ。夢の多層構造は、深い層ほど時間の流れが遅くなる設計になっていた。最深層では現実の一時間が夢の中の数十年に相当する。チームは最深層まで降りており、現実時間ではまだ数時間しか経っていないが、最深層のメンバーは主観的に数十年を経験しかけていた。
夢の構造を外部から安定させた。各階層の時間流を均一化した。チームが現実に帰還できるルートを確保した。
処理時間:三十五分。
……夢の中で数十年を経験するということは、その時間の感覚は本物なのか偽物なのか。夢の中でも、感じたことは感じた。それは本物と言えるかもしれない。
チームが現実に帰還した後、その数十年分の記憶をどうするかは分からない。業務の範囲外だ。
八件目を開いた。
◆ 第9999世界線「宇宙の果てに資源を取りに行った世界線」
概要欄を読んだ。
「【報告】第9999世界線において、資源採掘のため遠方の惑星に派遣された調査隊が、現地に知的生命体が存在することを発見した。採掘計画を強行しようとする勢力と、知的生命体との共存を求める勢力が衝突しており、世界線の社会構造が不安定化している。知的生命体の居住地域周辺で物理的な戦闘が発生しており、世界線の生態系への影響が深刻」
……知的生命体がいる惑星に採掘に来た世界線。
詳細を読んだ。知的生命体は惑星の生態系と深く結びついており、その土地を採掘することは生態系全体への破壊につながる。採掘を強行しようとする勢力は資源の価値を優先しており、共存を求める勢力は知的生命体との接触を通じて価値観が変化していた。
世界線の物理的な戦闘による損害を処理した。生態系への影響を緩和する補正を行った。社会構造の不安定化については、両勢力の交渉プロセスが継続している状態を維持する形で処理した。
処理時間:二十九分。
……どちらが正しいかは、私が判断することではない。両方にそれぞれの事情がある。私は物理的な損害と生態系の崩壊を防いだだけだ。
交渉は続いている。どうなるかは分からない。
九件目を開いた。次に進んだ。
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第三章「夕方と、今日の整理」
◆ 夕方。業務を終えて
二十四件、全部終わった。夜の八時半だった。
今日もどこかで見た気がする世界線が多かった。
仮想世界で暮らす人類。時間軸が七本に分岐した世界。取り残された宇宙人と子供。復元された恐竜。思考を監視された社会。任務を優先しすぎた人工知能。夢の多層構造に迷い込んだチーム。資源と知的生命体をめぐる衝突。
全部、初めて処理した世界線だ。
でもどこかで見た気がする。
……なぜだろう。
コーヒーを飲んだ。今日は温かいうちに飲めた案件もあれば、冷めてから飲んだ案件もあった。今飲んでいるのはぬるい。まあいい。
今日特に気になったのは、第3001世界線の「違和感を覚えた住民」だった。
仮想世界のシミュレーション精度を修復した。違和感が消えた住民は留まった。違和感が強く残った住民には何もしなかった。
違和感を覚え続けることと、覚えないことと、どちらが良いのかは分からない。覚えない方が楽かもしれない。でも覚え続けた住民は、そこから何かをするかもしれない。
私は今、ぱんでむにいる。ここにいることへの違和感は——
あるのか、ないのか。
……よく分からない。
あまり考えたことがなかった。
第7世界線の観測画面を開いた。
◆ 第7世界線
夜だった。雪が完全に消えていた。地面が見えている。春だ。
老人が縁側にいた。今日は子供も一緒だった。二人で縁側に座っている。何かを食べているようだった。遠いので何かは分からないが、湯気が出ていた。温かいものだ。
老人と子供が、温かいものを食べながら夜の空気の中にいる。
特に何もない。でもそれが、今日は少し温かく見えた。
仮想世界の修復をした。時間軸を整理した。通信障害を解消した。恐竜を管理した。思考の自由を戻した。人工知能を修正した。夢から帰るルートを確保した。生態系の崩壊を防いだ。
全部、処理した。
その後、この画面を開いた。
老人と子供が温かいものを食べている。
……なんでこの画面を開くんだろう。
渾沌ちゃんの問いが、また頭の中で聞こえた。でも今日は少し形が変わっていた。
なんでやってるの、ではなく。
なんでこれを見るんだろう、という問いに変わっていた。
答えは出なかった。でも今日は、答えが出ない感触が少し違った。
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第四章「今日の終わり」
◆ 夜。203号室
部屋に戻った。
カップ麺を作った。今日は珍しく塩にした。気分だ。
食べながら、今日処理した世界線をもう一度思い返した。
どれもどこかで見た気がする。でも見たはずがない。なのに、処理しながら、なぜか映像が浮かぶ感触があった。暗い宇宙船の廊下。夢の中の崩れていく街。霧の中に立つ機械。子供と宇宙人。
何だろう、この感触。
……まあ、気のせいだ。
カップ麺を食べ終えた。始末書を三枚書いた。ラックに入れた。
横になった。
目を閉じる前に思った。
今日、仮想世界の違和感を覚え続けた住民に何もしなかった。違和感は処理対象ではない。でも——違和感を覚えることは、何かの始まりかもしれない。
私は今、ぱんでむにいることへの違和感があるのかないのか、まだよく分からない。
ただ、今日も第7世界線を開いた。老人と子供が温かいものを食べているのを見た。それが、何かだった。
違和感ではない。なんというか——確認、に近い。
何の確認かは分からない。でも確認した。
まあ、今日はここまでだ。
寝た。
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◇ 業務記録モノローグ —— 世達 夜十一時三十分
今日の件数:二十四件。
処理完了:二十四件。
未処理:ゼロ件。
始末書記入漏れ:三枚(本日中に対応済)。
エグチ:一個(朝)。
カップ麺:一個(塩味)。
特記事項:第7世界線、今日も継続中。雪が完全に消えた。春になった。老人と子供が縁側で温かいものを食べていた。今日もどこかで見た気がする世界線が多かった。気のせいだと思う。違和感を覚え続けた住民のことが少し気になった。第7世界線を見るのは何かの確認だと気づいた。何の確認かはまだ分からない。
……以上。




