9.ハニートラップ
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いつも通り眠ろうとしたとき、稲穂が離れていくのを感じて目が覚めた。稲穂は真っ直ぐ玄関へ行った。
俺は僅かに落胆を感じながら、稲穂に問いかけた。稲穂は答えなかった。
俺は稲穂に近づく。後ろから抱きしめると、嫌でもその小ささが分かる。まだほんの子どもだ。もちろん俺たちはそういう子どもでさえ風俗に沈めたり薬漬けにしたりすることもあるけれど、稲穂のようにただ真面目に生きてきただけの子までは狙わなかった。
だから、可哀想だ、と思う。俺に縛り付けられる稲穂が。
なんで、と問いかけたとはいえ、答えはある程度分かっていた。案の定、稲穂は予想通りの答えを返してくる。俺は稲穂の首に手をかけた。細くてすぐ折れそうな首だった。
逃げだそうとするなら、利用価値よりリスクの方が高くなる。稲穂は従順だったから何もせずに済んだ。だけど、こんな風に反抗しだしたなら、もう今までのように穏便な手段は使えない。直接体に教え込まないといけなくなる。
手に力を込めながら、俺は一つ一つ稲穂の言葉に反論していった。
「稲穂。外には行かない。そういう約束だろ?」
「……夜だよ。誰もいない」
「でも見ている人がいるかもしれない」
「私、歩かないと、太っちゃう」
「そんなこと気にしなくていいよ。稲穂は太っても可愛いから」
「最近昼夜逆転してきてるし」
「太陽光ライトでも買ってこようか」
「い、家で一人なの、寂しいから」
寂しい。そんな風に言われて、俺は暫し考え込んだ。
そりゃあそうだろう。ずっと家で一人なのだ。でも、稲穂ももう高校生になるくらいの年頃だし、今更そんなこと言うとは思わなかった。
寂しいのは、俺にも解決しようがない。猫でも連れてくるか?いや、稲穂のためだけに飼うのは面倒だ。とそこまで考えて、自嘲する。
可哀想だと言いながら、稲穂の為に猫一匹連れて来ようという気にもならないのだ、俺は。
稲穂の細い首から手を離す。稲穂は可哀想に、カタカタ震えていた。俺が怖いのか、と不意に気がついた。そうか、そうだよな。そうだ……。
そう思われて当然だと分かっていた。なのに、心がチクチク痛み出して。
稲穂は顔を上げて俺を見た。丸い瞳がジッとこちらを見つめた。綺麗な顔。手足もすらっとしてるし、それに対して胸はそこそこあるし。きっと変態親父に高く売れる。
でも、変態親父にどうこうされてる稲穂の姿は、想像したくなかった。綺麗なままでいてほしかった。そして、ずっと俺のそばで、家に帰ってくるのを待ち続けてほしかった。
しょうもない、願望。俺の家族欲しさのままごとに、稲穂をあてがっただけのもの。
「俺がいないと、寂しい?」
そう聞いたのは、少しの打算もあったのかもしれない。そう言われたいという打算。自分でも、馬鹿みたいなと思っていた。
「うん……私、一人が嫌になっちゃった」
稲穂は俺を見たままそう言った。
その瞬間、俺は稲穂をなで回したい衝動に駆られた。
目を伏せて考える。俺は稲穂を好きなのだろうか。なぜ?大した触れあいもしていなければ、稲穂が特別俺に好かれることをした記憶もない。
俺と30㎝以上離れている身長といい、綺麗だけど印象に残らない顔といい、チマみたいな性格といい……俺の好みとは正直近くも遠くもない。第一俺は年下は好きじゃないはずだ。
それなのに、何故だろう。またしょうもないことを言わせたくなるのだ。
「俺と一緒にいるなら、危険な目に遭うことになるよ」
「いいよ。勇気がいいなら、私はどこへでも行くよ」
……ああ、俺、ダメかもしれない。そんな陳腐な言葉に、心が浮き足立っているんだから。
「……分かった。じゃあ、俺、暫く休み取るよ。だから一緒にいよう」
「うん……」
俺は稲穂の頭を撫でて、傷つけないように慎重に抱きしめた。柔らかい体から体温が伝わってくる。俺より少し冷たい。それが心地よかった。
そのまま稲穂を連れて布団に戻る。寝転がった稲穂に毛布を被せて、また抱きしめた。
稲穂はもう眠たくなってきているのか、うつらうつらと目を瞬かせている。
俺はただ黙って稲穂を抱きしめ続けた。なんでそうしたのかは、自分でも分からなかった。稲穂は眠ってしまった。小さな寝息だった。
稲穂が寝ついたのを確認して、俺はそっとその頭を撫でた。小さな体が小さく揺れる。規則的な寝息が聞こえて、それに酷く安堵する自分がいた。いや、自分でもよく分かんないんだけどさ。
勇気、と呼ばれる回数が増えるにつれて、無意識のうちに、俺もこの生活に慣れていってしまったんだろうか。そしてこんな恋みたいな愛みたいな、中途半端な感情まで抱いてしまった。
いつの間にかハニートラップにかかってしまっていたらしい。俺は自嘲して、静かに目を閉じた。明日、親父に休みたいって伝えないとな……。
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