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逃避行  作者: 眠気
10/16

10.外に出る





 勇気は無事に休みを取れたらしい。家で一日中、二人で過ごす日々が始まった。

 どこか遠くなっていく外の世界。新しくなったテレビ越しに見る街の風景に、懐かしさを覚える。カレンダーを見れば、もう二ヶ月が経とうとしていた。

 勇気は色々なものを買ってきた。ゲーム、パズル、裁縫キットやレジンまで。色々楽しもう、ということらしい。

 家でできる大体のことをやってみた。まずはお菓子作り。これは私がマカロンを食べたいと言ったからだった。勇気はマカロン作成キットを片手に悪戦苦闘していた。

 見かねて私が手伝えば、勇気は私の手さばきに妙に感心した。元々私は手先は器用だから、こういうことは得意なのだ。

 均等にマカロンの生地を絞り出し、暫く置いておく。

 タイマーが鳴ったら、乾燥したそれを丁寧にオーブンに入れていった。勇気は終止後ろで見ているだけだった。


「クリームってある?」

「ホイップクリーム買ってきた」


 勇気が冷蔵庫からぱんぱんの絞り袋を取り出して言った。


「じゃあそれでいっか」


 私は頷いて、焼き上がるまでにテキパキとお皿や使わなかった材料を片付けた。


「稲穂って、器用なんだな」


 しみじみと勇気が一言。私はなんとなく照れくさくなって目を逸らす。


「昔から、こういうのは得意だったから」


 お母さんにどうしてもボタン付けをお願いできなくて、箪笥の奥から裁縫道具を引っ張り出してチクチク縫っていたのを思い出す。私はすぐ縫い終えて、完成したボタンが誇らしかった。

 そうこうしているうちに、ピーッとオーブンが鳴る。

 おそるおそる、二人で焼き上がったマカロンを見た。ボロボロに表面が割れていた。互いに目を合わせる。


「これ、失敗?」

「た、ぶん……」


 暫く沈黙が辺りを包んだ。


「はは、っ、マジかー!」

「ふふっ、でも味は美味しいかも」


 一つ手に取ってぱくり。サクサクした食感と共に、甘い味が口いっぱいに広がった。


「おいしい?」

「うん!」

「俺も食べてみるかー」


 そう言って勇気もぱくり。勇気はもぐもぐしながら顎に手を当てた。もぐもぐ、ごくり。


「どう?」

「うーん……悪くないな。俺、マカロン初めて食べたし、これで良いかも」

「そっか」


 私はなんだか楽しくて笑った。勇気もそんな私を見て、そっと口角を上げる。


「でも、今度は成功したいね」

「そうだな」


 頷いて、勇気はもう一口マカロンを食べた。

 ボロボロの表面のマカロンを二つ並べて、片方にクリームを絞ってもう片方で蓋をする。それを繰り返せば、失敗作マカロンの完成である。

 後片付けをする私をよそに、勇気はどんどんばくばく食べてしまう。慌てて私は「私の分残しておいてよ」と叫んだ。


「片付けなんて後で良いからさ、稲穂も食べなよ。これうまいよ」

「うーん、じゃあそうする」


 洗い物をしていた手を止めて、タオルで拭く。

 勇気のそばに寄って、手元の皿から一つマカロンを口にした。甘くて、ほんのり優しい味。サクサク食感と香ばしい風味は、お店のものには勝てないけど、悪くないなと思った。


「うまいだろ」

「うん」


 勇気に寄りかかって笑う。ふと、温かい気持ちが胸の中に広がった。幸せ、となんとなく思った。そんな自分に驚いた。今まで、そんなこと、感じなかったのに。


「どーかした?」

「……勇気、ありがとね。すっごい楽しかった!」

「お、おー、それなら良かった」


 勇気はちょっと驚いたような顔をしたけど、私は気にならなかった。生まれて初めて、生きてて良かった、と思った。心から、嬉しかった。


「次はなにしよう?」

「パズルやるのは?」

「いいね」


 そうして私たちは、今度はパズルに悪戦苦闘するのだった。

 毎日が楽しく過ぎていった。私は笑うことが増えた。勇気はちょっと太った。二人で色んなことに挑戦する日々。けん玉で勇気が意外な才能を発揮したときは、思わず驚いたものだ。


「勇気って変なところで才能あるんだね……」

「変なところとはなんだよ!まあ、でも、ちょっと地味だよな……」


 勇気はうーんと唸った。私もうん、と頷く。


「やっぱさ、頭良さそうなことで才能発揮したいよな」

「でもパズル全然できなかったじゃん勇気」

「稲穂ができすぎたんだよ!」

「私は普通だもーん」


 言外に勇気が下手くそなのだと伝えると、勇気はむすっとして座り込む。


「いいよ。俺はけん玉王にでもなるから」

「ださ」

「ひど!」


 そう言いつつも、私たちは笑っていたと思う。

 狭いアパートの中、昼間から堂々と遊びに耽る私たちは、きっと世の中とは逆行していて。どんどん置いて行かれるのは目に見えていた。

 それでも、今だけ、こうして幸せを感じていたかった。

 やがて、勇気の休みが終わり、また一人の時間が戻ってきた。

 勇気はずっと「仕事やりたくねー」と呟いていた。頑張れ勇気。


「なあ、稲穂」

「なに?」

「今度、外出てみるか」


 私は驚いて目を見開いた。思わず、手に持っていた鉛筆を落とす。


「なんで?」

「事情が変わったんだよ。それに、一人だと、やっぱり寂しいだろ」


 事情……。もちろん、外に出られるのは嬉しい。最後に外に出たのは、もう二ヶ月以上も前のことだ。少しだけ胸が高鳴った。


「うん……でも、大丈夫なの?」

「まあー、うん……それは色々注意しなきゃいけないけどさ。遊園地とか、行く?」

「う、うん!」


 私はなんとか頷いた。


「とにかく、帰ってきたらまた話すから」

「分かった……」


 ガチャリと鍵が閉まる音を聞いて、私は呆然と壁を見つめた。

 外に、出られるのだろうか?

 目を閉じて考えてみる。

 もしかしたら、お母さんたちに見つかってしまうかも。でも、私は知っている。私のことは、誘拐事件としてニュースに出ていない。一切、私を探すニュースは出ていない。

 つまり、そういうことだ。もう、私は……。

 ゆっくりと肩から力が抜けていった。静かに息を吐いて考える。

 外に出て、風を浴びる。勇気と一緒に普通に歩く。笑い合って、人目を気にせず暮らす。別の人生を始める……そんな自分のことを想像してみる。

 なんだかぐっと疲れて、私は畳の上に横たわった。暫くそうやって目を閉じて、また目を開ける。

 起き上がると、勇気にもらった塗り絵帳が目に入った。そうだ、これをやろうと思っていたんだった。早く完成させよう、と色鉛筆を手に取る。私はすぐに夢中になった。

 何時間くらいやっていただろうか。お腹がすいて、そろそろ休憩しようと立ち上がった。そのときだった。

 ガチャリ、と鍵の開く音がした。私は驚いて玄関を見る。


「勇気?帰ってきたの?」


 扉が開く。そこにいたのは、知らない人だった。

 全身に鳥肌が立って、慌てて後ろへ後ずさりする。

 男が二人、こちらを見ていた。


「お前、赤嶺稲穂だな」

「……」

「ちょっと俺たちと一緒に来てもらうよ」


 男たちはそう言って、ずかずかと土足のまま部屋に入ってくる。

 私は周囲を見回したけど、そこにはなんの武器になれそうなものもなかった。


「こ、来ないで」

「ごめんねー怖いと思うけどちょっと静かにしててねー」

「誰か!助けて!」

「おーっと黙ってねー」


 羽交い締めにされて、そのまま口を塞がれる。無理矢理両手を拘束され、そのまま横抱きにされて袋に詰められた。


「んー!んー!!」

「はー……できるだけ傷つけたくないんだけどなあ」

「とにかく、さっさと移動しようぜ」

「そうだな」


 びりびり、と首に刺激を感じて、その瞬間、私の意識はブラックアウトした。






♢♢♢♢♢♢

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