11.夜はまだ長い
いつも通りくそみたいな仕事を片付ける。
ギャンブル依存症で借金を繰り返した挙げ句組の金に手を出したバカを豚のエサにして、クスリ欲しさに密告したアホを山に埋めた。ホストにハマった女を風俗漬けにして、指詰めた組員の指をホルマリン漬けにした。
汚いものを見すぎた自分もまた汚い存在であることは間違いない。それでも、普通の、例えば稲穂と真面目に暮らすみたいな……そういうことを想像してしまう自分がいた。
つくづく、俺は馬鹿なんだろう。こんな世界に身を置いたのは自分のせいじゃない。でも、最後に決めたのは俺自身だ。それに今更後悔するなんて、本当に、馬鹿だ。
もうそろそろ稲穂に会いたくなってきたけど、まだ我慢だ、と最後の仕事に取りかかる。
組は分裂している。俺の仕事も組の内部分裂をギリギリで抑えるような仕事が多くなってきた。これもそのうちの一つだ。
事前に伝えられていた場所に行く。時計を見ながら、相手が来るのを待つ。現れたのは、俺のよく知る組員だった。
「太一」
俺はニコッと笑って声をかけた。
太一はびくりと体を震わせ、こちらを見てさっと顔を青ざめる。
そりゃそうだ。本来なら、コイツは今頃、麻薬の売人と会うはずだったんだから。
うちの組は麻薬を扱っていない。そういうのは別の組がやると決まっていて、それを崩したらその組から反感を買うのは間違いない。
なのになぜコイツがそれをやったのか?答えは簡単。弱みを握られたからだ。紛れもない、神崎隆太がそう仕向けた。
俺等……つまり若頭派の中でも、太一はそれなりに親父から信用されていた。
そんな奴が、組に悪影響を及ぼすようなことをしたとなれば、必然的に親父も疑われ、適当な理由をつけて組から追い出される可能性も出てくる。
というわけで、俺はここでコイツが麻薬の売人と会うのを事前に阻止し、説得する役を任されていた。
「な、なんでお前がおるんや」
太一は関西出身だった。明るくて単純だが、嘘をつかない男だった。
俺も、よく一緒に仕事をしていたから、正直ショックは大きかった。
そんな気持ちも、心の奥に押し込めて。俺はゆっくりと太一に近づく。
「話は聞いた。お前、嫁が病気なんだって?医療費は超高額。悩んでいたところに、神崎が近づいた。『今度新しい事業をやる。もしお前が成功したら、嫁の医療費なんて軽く払えるくらいの金が得られる』そんな風に言われたら、確かにやりたくなるよなー」
「す、すまん、親父に散々世話になってたのに……でも、俺、どうしても金が今すぐ必要なんや! 嫁が、嫁が……っ」
太一は拳を握りしめ、必死に叫んだ。俺はそれを見て、本当に馬鹿だ、と思った。俺も、お前も。
「分かった。よーし、それなら親父にかけあってみよう。だから麻薬の件はなしだ、な?」
「や、やけど、俺、成功しないと嫁殺す言われてるんや……な、な、見逃してくれや」
「お前、利用されてるんだよ。いい加減気づけよ。これで仮にお前が成功しても、神崎はお前に一円も払わねえだろうよ。その前にお前は組から追い出されるからな」
そこまで言い切って、俺は太一に一気に距離を詰めた。
後ずさりしようとする太一の襟を掴んで引っ張る。
「や、やろうってのか」
「お前がその気ならな。でもな、俺だってこんなことしたくねぇんだよッ!!」
俺は太一をぐらぐら揺らして怒号を響かせた。
太一は目を丸くして固まる。
「お前、自分が何してるのか分かってんのか!このままじゃ親父にも迷惑かけることになるんだぞッッ!」
鼻の先がぶつかりそうなほど顔を近づけて、俺は叫んだ。
空気がびりびりと震えた。俺ははーーっと大きくため息を吐いて、太一を下ろす。
どさり。太一はそのまま地面に座り込んだ。呆然としたようにこちらを見つめながら、腰を抜かしたらしい。起き上がりもしない。
そんな太一に、俺は真っ直ぐ目線を合わせた。……が、すぐに逸らして天井を向く。真っ白な天井にチカチカと蛍光灯が点灯していた。
「お、おれは、おれは……」
「太一、逃げろ。早く嫁を連れてどっか遠いところまで行け。金はこの口座から引き落とせ。お前のために、親父が用意した」
言葉を吐き捨てる。太一はメモを受け取り、ごくりと唾を飲んでそれを眺めていた。
俺はもう、こいつと会うことはないのか、と思った。そうすると途端に悲しくなった。だが、もうこれは親父が決めたことで、どうすることもできない。
「ほら、はやく行けよ」
そう言って軽く足で小突くと、太一は慌てて立ち上がり、そのまま勢いよく走り出す。
部屋を出る直前、一瞬だけこちらを見た顔は泣きそうで、俺も少しだけ涙が目ににじんだ。
あー、早く帰りてーな。
稲穂のことばかり考えて、車を走らせた。もちろん、尾行している連中がいないのは確認していた。
いつも通りのアパート。ふと、電気がついていないことに違和感を覚える。もう辺りは真っ暗なのに。寝ているんだろうか。
微かな警戒心と共に、二階まで階段を上り、端の部屋まで行った。
ドアノブに手をかける。くるりと回せば、それは呆気なく開いた。
開いた?なぜ?俺は鍵をかけて出たのに。
違和感がどんどん大きくなる。俺は勢いよく扉を開けた。
中は薄暗くてよく見えない。
「稲穂、おーい!寝てるのか?」
電気をつける。明るくなった室内に、やはり、人の気配はない。
俺は心臓がドクドクと鼓動するのを感じた。慎重に、辺りを見渡す。風呂場を見たが、誰もいない。トイレも見たが、いない。
……いない。どこにも。机には、概ね完成した塗り絵帳が、片付けられていない色鉛筆と共に乱雑に置かれていた。
神崎。
瞬間、脳裏によぎった一つの言葉。
やられた……!俺は全身が沸騰するような感覚に襲われ、カッと目を見開いて頭を抱えた。
「どこだ、いつ気づかれた、なんで知られた」
あれほど警戒していたのに、こんなに呆気なく奪われるなんて。
失敗した。怪しまれないようにあえて警備をつけていなかった。その結果がこのざまだ。
「……とにかく、親父に連絡だ」
俺は顔を上げ、携帯を取り出した。
夜はまだ長い。
♢♢♢♢♢♢♢




