3.遊園地
話題を変えようと考えていると、勇気からまた良い匂いが漂ってきた。
「勇気って良い匂いするよね。もしかしてシャネルのエゴイストつけてる?」
「なんで分かったの!? 怖いんだけど」
「えっ、ホントに? 適当に言ったのに」
なんとなく思い出した香水を口に出すと、勇気にドン引きされた。
流石にキモかったな、私。
「な、なんだ。適当に言ったのか。でも当たってんのすげーな」
「そう? 私のお父さんがつけてたんだよね。お母さんがプレゼントしてくれた、って」
「ふーん。香水プレゼントするなんて、洒落てんな」
「まあ、元はお父さんのアイディアだったんだけどね。お母さんの誕生日に、シャネルのNo.5を買ってきてさ。お母さんはそのお返しをしたんじゃないかな」
「へー。なんか良いな、その二人」
良い?
両親のことを思い出す。
私を冷たく見下ろす視線が過った。
「……そんなこと、ないと思うけど」
俯きながら呟く。
「そうか。まあ、色々あるよな」
「うん」
なんだか胸が苦しくなって、私は唇をぐっと噛んだ。
「なんか曲かける?」
「んー、何かけるの?」
「椎名林檎とか」
「元カノの趣味?」
「あー、はははは」
「図星だ」
車の中に椎名林檎の声が響く。熱愛発覚中。
「つーかちょう、タ、イーミングブス」
頭を揺らしながら呟く。
「知ってんの?」
「有名なのは一通り」
「歌舞伎町の女王とか?」
「それは……お父さんが聞いてた気がする」
好きなの?と聞いたら、「普通」と言われた。
お父さんの「普通」はよく分からない。
「なんか聞けば聞くほど、稲穂の親ってモテてそうだな」
「なんで? でも、身内の贔屓目に見ても格好良かったとは思うよ。お母さんはそれ以上の美人だけどね」
「マジ? めっちゃ気になる」
「写真持ってないし、見せられないよ」
「でもそうかー。だから稲穂はそんな美人なんだな」
「美人じゃないよ。いつもお母さんと比べられたもの。あなたはお母さんに似てないわねって」
「父親似ってことだな」
「ううん。お父さんにも似てなかった」
「それは、んー……」
お母さんは美人だけど、怖い人だった。
厳しくて、氷でできているみたいだった。
「でも、浮気したわけじゃないと思うよ。お母さん、その辺すごく堅い人だから。お父さんは……微妙だけど、まあ、流石に愛人の子供引き取って育てるなんてこと、あの人はしないと思うから」
「ふーん。じゃあ、きっと両方の顔がバランス良く入ったんだな」
「そうなら良いけど」
秋の冷えた車内に、熟れた林檎の囁くような声が歌う。似合ってるな、と思った。
「なあなあ、椎名林檎だと何が一番好きー? 俺は長く短い祭りなんだけど」
「うーん、丸の内サディスティックとかかな」
「あぁ、良いよな」
「マーシャルって何?」
「ギターアンプのブランド」
「へー、知らなかった」
「分かる。俺も最初酒の名前かと思った」
「私も。知らなかったら誰だってそう思うよ。アンプの匂いでトぶなんて想像つかない」
「ふっ、ふ、くくくく」
「もしかして想像した?」
「だ、だって、アンプの匂い嗅いでんの想像したらさぁっ!」
頭の中で、アンプにかじりつかんばかりに近付いてくんすか匂いを嗅ぐ椎名林檎を想像する。
……。
「シュールだね」
「死ぬほど面白くね!?」
「勇気ってシュールなのが好きなんだね」
「えー、じゃ、そーいう稲穂は何だったら笑うんだよ」
「うーん……」
そう言われても。
今までそんなに笑った経験がないから、答えようにも具体例が思い付かない。
「お笑い芸人とか見たりしねーの?」
「しないよ。テレビ見ないし」
「マジ!? 最近若者のテレビ離れがー、とかテレビで言ってたけど、ホントなんだな」
「いや、お母さんがそういうの駄目って言ってたから。テレビを見たら悪い影響があるって」
「えー、今時そんなこと言う奴いんのかよ」
「いるよ」
「ふーん。窮屈そうだな」
「どうだろう。初めからないものとして扱ってたから、見たいとはあんまり……。あ、でも、同級生の話題についていけなくて困ったことはあったよ」
「あーありそう」
「その時は、お母さんになんで見ちゃ駄目なのって聞いたんだけど」
「けど?」
「相変わらず、見る必要ないし勉強しなさい、の一点張り」
「雑な言い分だなー」
「うん……」
当然納得いかなかったけど、お母さんの言うことは絶対だった。
独裁政権で、拒否権なし、言論弾圧当たり前。
でも、初めからそうだったから、離れてみないと違和感すら抱かなかった。
異常性は客観視して初めて気付くものだ。
「あー、まー、でも、今はその厳しい母親もいないんだし、テレビでもなんでも見られるぞ」
「そうだね。逃げて良かった」
にこにこ笑って勇気を見る。
「うーーーん……」
勇気は何ともいえない顔で前を見ていた。
色気のある横顔。綺麗な輪郭が浮き上がる。
「好きなアーティストは?」
「ん? あー、うーん、King Gnuとか」
「きんぐぬう? どんな人なの?」
「知らない?」
「うん、知らない」
「じゃあ、流すか」
勇気の角張った指がスマホをなでる。猫をなでるみたいな仕草だった。
音が機械から流れ出す。
『秋の新作パンプキンパイが、今だけ半額! ◯◯のビッグセール、開催中!』
CMだった。
それが終わると、呼吸音が聞こえた。
寂しげな声だと思った。乾いた冬の空気を思い出した。
曲調が変わり、一気に力強さが増す。
曲が終わるまで、一言も喋らなかった。
勇気は曲を楽しんでいたから、邪魔したくなかった。
ぼんやりとメロディーを咀嚼する。
良い曲だと思う。多分有名な曲か、これから有名になる曲に違いない。
曲が終わる。静寂が車内を包んだ。
「良い曲だね」
「だろ? 歌詞が鬱っぽいのも良いんだよな」
「鬱っぽい? ああ、確かにそうかも。声が悲しげだったし」
「な。良いよなあの声。それ歌ってる人、表現力の塊でさ」
「へー。勇気、凄い好きなんだね」
「うん、めっちゃ好き」
勇気は嬉しそうだった。
それを見てたら、胸が何故かきゅっと痛んだ。
「……?」
「どうした?」
「いや、なんでもない……」
ふいに外に目を移すと、巨大な建物があるのが見えた。観覧車、ジェットコースター……。
「あそこって遊園地?」
「え? ああ、そうだよ」
勇気が答える。私はゆっくり回る観覧車をジッと見つめた。
あそこはどんなところなんだろう。観覧車の中から外を見たらどんな風だろう?そんなことを考える。
「行きたい?」
勇気がおもむろにこちらを見てそう尋ねる。私はこくりと頷いた。
「いつか、行けたらいいな」
「勇気は連れてってくれないの?」
「……できたら、良いんだけどな」
その口ぶりから、私はなんとなく悟った。きっと、勇気と遊園地に行けることはないのだろう。誘拐された身だから当然かもしれない。
私はそれ以上遊園地を見ないことにした。代わりに目を瞑って静かに息をする。
するとだんだん意識が黒く重く沈んでいった。
「眠い……」
「ああ、疲れたのかもな。色々あったし」
「うん……たぶん……」
「寝てて良いぞ。まだもう暫くあるから」
「うん……あとでおこして……」
急速に頭が鈍くなっていく。
気づけば、私の意識はなくなっていた。
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