漫才チャンピオンシップで
「え?」
驚いて、私は思わず声を漏らした。
今、テレビで、年末恒例の高視聴率番組である、若手ナンバーワンを決める漫才のコンテスト、「漫才チャンピオンシップ」が生放送されている。そこで、「まだ」というコンビの番で、二人が同時に登場するはずのところ、現れたのはメンバーの片方の千堂雅樹だけだったのである。
スタジオの観客たちも、「あれ? 一人だけ? おたくの相方は?」などと思っているのだろう、きょとんとした表情になっている。
「すみません。白川が、変なものでも食ったのか、急に激しい腹痛に襲われて、トイレの個室から出られなくなってしまいまして。漫才ができる状態ではありません」
その千堂の説明に対して、「えー」という声があがった。
「とはいえ、せっかく予選を勝ち抜いてここまで来て、何もしないで帰るのは悔しすぎますし、我々の出番の時間が余るので、裏で偉い方にお願いして、エキシビジョンというかたちで、予定していたネタを一人でやらせてもらえることになりました。そういうわけですので、出てくるところからやりますから、出囃子をもう一度お願いします」
すると、千堂はステージの脇に小走りで移動し、音楽が流れるとセンターマイクの位置へ再びやってきて、前代未聞のボケとツッコミ一人二役の漫才を行ったのだ。
「アハハハハッ!」
そんなおかしなもの、普通はうまくいかずに、場をシラケさせてしまうだろう。ところが、めちゃくちゃ面白かったのだ。私はお笑いについてそこまで詳しくないから適切な例えではないかもしれないけれども、名人と呼ばれる方による質の高い落語のようだった。番組の他の出演者や観客たちの爆笑する姿が何度も画面に映しだされた。
「惜しかったなー、お前ら。ちゃんと二人でやれてたら、優勝だったろ」
終わった直後に司会の芸人さんがそのようにコメントしてくださったが、お世辞なんかではないのは明らかだ。ひいき目ではなく、その千堂一人による漫才がすべての出場者のなかで最も笑いをとっていた。
ゆえに、後日、別の芸人さんたちからも、数えきれないくらい、「もったいなかったな」であるとか「事実上の優勝だよ」といったありがたいお言葉を頂戴した。
しかし、真実を見抜いていた私は、千堂と、薬を飲み安静にして治ったという白川の、二人と顔を合わせると、すぐに言った。
「あんたたち、腹痛なんて嘘でしょ? 計画的にあれをやったんだよね?」
「まっさかー。あんな大舞台で、そんな大それたことを」
千堂が軽い口調で返事をすると、白川も同様の緩い態度で続けた。
「まあ、宮本さんにしらを切っても意味ないか。当たりでーす」
「ハー」
私はがっくりきて、ため息を吐いた。
「もー、何なのよ、あんたら。訳わかんない」
「えー? 訳はわかるでしょう」
「話したじゃないですか」
「そうだけどさ……」
私の名前は、宮本沙織。年齢は三十ウン歳で、芸能事務所でタレントのマネージャーをやっている。その担当が「まだ」であり、今年で三年目になる。
「漫才チャンピオンシップ」は、アマチュアでも参加できて、毎回何百や何千組もエントリーしているほどの人気ぶりで、結成から十五年以上が経過して出場不可のベテラン以外のお笑い芸人であれば、挑んで当たり前のステージだ。ものすごいコンビの数であることを踏まえれば、決勝の十組に残るのさえ相当なハードルだから、落選して当然で、失うものはないのだし、参加しないなんてあり得ない行動と言える。
なのに、そろそろ予選が始まろうかという時期に、目の前の彼らに告げられたのである。
「あ、そうだ。今までは深く考えずに参加してましたけど、俺たち、今年は漫才チャンピオンシップには出ませんから」
「え!」
私はびっくりして、即座に言葉を返した。
「冗談でしょ?」
「本当ですよ。なあ?」
千堂はそう口にして、隣にいる白川に視線を向けた。
「はい。そんなつまらない冗談、言いません、僕たち」
「……」
私は茫然としてしまったが、我に返って問いかけた。
「どうしてよ?」
「どうして……逆に、なぜエントリーする必要があるんですかね? メリットありますか?」
おい、千堂。それ、本気で言ってるの?
「いやいや、いくらでもあるじゃない。優勝すれば、知名度が上がって、仕事を山ほどもらえて、何より、賞金は一千万円だよ?」
「でも——」
白川が口を開いた。
「最近の優勝したコンビはみんな、すぐに忘れられて、というか、覚えてももらえないまま、まったく売れてないじゃないですか。ギャグがウケて消えていった一発屋の流れとほとんど変わりなくて、むしろ優勝しないほうがいい感じすらあるんですけど」
「だよなあ」
千堂がつぶやいた。
まあ、確かに、近年の優勝者たちは現在、テレビをはじめマスメディアの目立つ場に登場するのは皆無に等しい状態で、言わんとすることは理解できなくもない。だけど——
「それでも、あんたたちは頂点に立った後も露出し続けられるように頑張ればいいでしょ。お笑い芸人なら、漫才チャンピオンシップで優勝を目指すのが普通じゃないの? くり返すけど、優勝すれば一千万円——」
「普通って」
千堂がツッコむ感じでそう口を挟んだ。
「僕たち、お笑い芸人ですから、普通なことをやってたら面白くないでしょ?」
白川はそのように言い放った。
「え?」
私は、はっとなって、尋ねた。
「もしかして、『漫才チャンピオンシップに出場するという行為が、当たり前すぎて、客観的に見て面白いことじゃないから』なの?」
二人は、声を合わせたわけではないが、ぴったり同時に答えた。
「はい」




