epi 3 初めての対面
応接室のマホガニーの扉をノックする音が響いた。
執事がブルームハルト子爵家の到着を告げる。
婚約内諾の事前交渉のため、子爵家をメレヴァン伯爵邸に招待したのだ。今回は家族のみの内々の場ではあるものの、執事の言葉にリゼの両親、メレヴァン伯爵夫妻にもわずかながら緊張が走る。
伯爵夫妻とリゼは立ち上がって扉に意識を向けた。
「失礼いたします」
品の良い壮年の紳士の後ろに、背の高い若い男性が立っていた。
その視線は伯爵夫妻に向けられていたが、とても静かできれいな青い瞳が印象的だ。
「よくいらっしゃいました。本日はお招きできて光栄です。ブルームハルト子爵殿、政務補佐官殿」
「こちらこそ感謝申し上げます。メレヴァン伯爵閣下」
恰幅の良いリゼの父が口火を切り、お互いに挨拶を交わしていく。
「ヴェルナス・ブルームハルトと申します」
父親譲りのすらりとした体躯、さらりとした黒髪と穏やかな瞳。落ち着いた雰囲気を纏っていながら隙のない身のこなしは、氷の政務補佐官と呼ばれる所以だろうか。
「エリザベート・メレヴァンと申します」
マナー講師にお墨付きを貰った得意のカーテシーで挨拶を返す。
リゼの様子を見た子爵は『ほぉ』と微かに感嘆の声を漏らすと満足気に頷いた。
「婚約や結婚の協定書の作成と法的な手続きはこちらで進めさせていただければ……」
お互いの身の上話もそこそこに、まるで仕事の一環……と言わんばかりに淡々と話を勧めようとするヴェルナス。そんな息子をブルームハルト子爵が苦笑いを浮かべていなす。
「ヴェルナス、花のようなエリザベート伯爵令嬢を前にそう堅苦しいことばかり……。まったく我が子ながら面白味に欠ける人間でお恥ずかしい」
「いえいえ、それも補佐官殿の優秀さゆえでしょう。頼もしい限りです。なぁエリザベート」
「はい、ブルームハルト政務補佐官様とご縁をいただける私はとても幸せです」
嘘でも誇張でもない本心だった。
目の前で背筋を伸ばして悠然と座るヴェルナス。
まるで令嬢の理想が服を着て現れたような姿をキラキラと輝く瞳で捉えながら、リゼは夢見心地だった。
きっと彼は職場でもこの調子なのだろう。
その姿が時に冷たく映ることもあるのかもしれないが……少なくともリゼにとっては誠実で好ましく思えた。
「なんと可憐な。こんなに愛らしいお嬢様をお迎えできるとは光栄な限りです」
すっかり上機嫌のブルームハルト子爵に比し、型にはまった笑顔を崩さないまま、ヴェルナスは微かに口元を緩めて同意を示しただけだった。
そんなヴェルナスに、リゼの母が声をかける。
「エリザベート、ブルームハルト政務補佐官様に庭園をご案内しては?いかがかしら補佐官様?」
リゼの母の言葉に『はい』と小さく答えるヴェルナス。その表情は心なしか硬かった。
◇ ◇ ◇
「ブルームハルト政務補佐官様、こちらです」
いつもよりもワントーン高いよそ行きの声で、リゼがヴェルナスを呼んだ。
遠くから眺めるだけだった女性たちの憧れのヴェルナスと並んで歩いている事実に思わず浮足立ってしまう、そんな自分が気恥ずかしい。
隣を歩くヴェルナスにチラリと視線を走らせる。
こんなに美しくて有能で素敵な方と夫婦になるのね……。
庭園を歩きながら、リゼは少しでもヴェルナスを和ませようと色々な話題を振ってみた。
『お天気がよろしくて気持ちが良いですね』
『ご趣味は?』
最近読んだ本の話、好きな食べ物、休日の過ごし方……。
しかし何を聞いてもヴェルナスは『はぁ』とか『とくに』……と曖昧に答えるだけだった。
目もほとんど合わないし、ちっとも盛り上がらない。
もしかして浮かれて喋りすぎた?嫌われてしまった?
そう思うと、これ以上声をかけることにためらいを感じてしまい、しばらく無言で庭園を歩いた。
歩きながらリゼは、幼いころから嫌なことがあるとこの庭園を散歩して気を紛らわせていたことを思い出していた。今の沈んだ気分が昔の記憶を呼び起こしたのかと思うと、なんだか悲しくなってくる。とにかく何かお話を……。
「ブルームハルト政務補佐官様、今の時期はアイリスの花が綺麗なんですよ。私、この庭園が大好きなんです。ブルームハルト子爵邸のお庭にはどんなお花が?」
「……母が亡くなってからは使用人に任せきりで詳しくは……」
更に表情を曇らせたヴェルナス。
振ってはいけない話題だった?
早く帰りたいと思ってる?
会話すらする気はないのだろうか?
……堪らなくなって、リゼはヴェルナスに詰め寄った。
「単刀直入にお聞きします。ブルームハルト政務補佐官様は、この結婚を望んでおられないのですか?」
リゼの真摯な声に、ヴェルナスがピクリと眉を動かす。一瞬の沈黙の後、何かに耐えるかのように静かに言葉を紡いだ。
「……メレヴァン伯爵令嬢はどうなのです? 政略結婚だからと、しかたなく同意されたのですか?」
——政略結婚
形の良いヴェルナスの口から発せられると、その言葉がより一層冷たく響いた。
「私は……家の事情はもちろんですが……ブルームハルト政務補佐官様のことは本当に素敵な方だと思ってます……」
「……そうですか」
目を伏せてそう答えるヴェルナスは、心なしか寂しげだった。
その日子爵家の二人を見送りするまでの間、二人はほとんど会話らしい会話も交わさず、視線を合わすこともなかった。




