epi 2 複雑な胸の内
リゼの話を聞いたアイリーンは口をぽかんと開けたまましばらく固まっていた。手にした小さなスプーンからは、はちみつがぽたぽたと垂れている。
「あの政務補佐官様と……婚約⁉︎」
リゼはアイリーンの手からスプーンを引き取って紅茶に落とすとコクリと頷いた。
アイリーンは相変わらず固まったまま、長い睫毛に縁どられた大きな目をぱちくりさせている。
溜息を付いて紅茶の入ったカップを口に運びながら、リゼはアイリーンに激しく同意していた。
そりゃあ驚くわよね、友人からいきなりご令嬢達がこぞって慕うお方との婚約話なんて聞いたら。
手入れの行き届いた庭園に設置された優美な椅子に腰かけ、友人のアイリーンとティータイムを楽しむつもりが。
婚約なんて大事な話を大切な友に黙っておくわけにもいかず、こっそり打ち明けたのだ。
「政務補佐官様って、あの氷のブルームハルト政務補佐官様よね⁈この間のパーティでお見かけした……」
そう、父から話が上がった時には敢えて触れなかったが、実はリゼは政務補佐官に会ったことが、正確に言うと、見かけたことがあったのだ。
「良かったじゃない?なんて素敵な方……って目を輝かせながら眺めていたお相手と婚約できるなんて」
「そう……なんだけど」
遠くから憧れているのと、結婚相手として隣に立つのとでは訳が違う。リゼは婚約話が持ち上がって改めてその違いを思い知った。確かにブルームハルト政務補佐官は婚約者としては申し分のない相手だった。こちらの家の事情も自身の立場や国のことまで考えてこの婚約に『承諾』してくれたのだ。十分すぎるほどの思慮深さと常識を持った、将来有望な令嬢たちの憧憬の的……。
「何よ……どうしたの?嬉しくないの?」
「う…ん。素敵な方だとは思うんだけど、何ていうか。
政略的な理由で持ち上がった話なのは分かってるんだけど……政務補佐官様は私のことも知らず、ただ言われるがまま受け入れてくださったんだろうなって。でも私、結婚はお互いに気持ちを持ってしたいの。たとえそれが愛や恋じゃなくても」
――姉、マルグリットの様に……。
「なるほどね」
年上らしい余裕と愛情のこもった目でアイリーンがリゼを見つめる。
「ギルに政務補佐官様のこと探ってみるわ。お話のきっかけがあれば、お近づきになれるかもしれないし」
ギルというのはアイリーンの婚約者のギルバートのことだ。たしか王室書記官をしている若手官僚だとか。仕事がらみで政務補佐官と面識があるのだろう。
「ありがとう、アイリーン」
もともとリゼの姉、マルグリッドの友人としてメレヴァン家に出入りしていて交流が生まれたアイリーン。姉が家を出てからもリゼを気遣って屋敷を訪れてくれているうちに親しくなり、今やリゼにとって姉以上に姉のような存在だった。
「そういえば……。ギルが前に政務補佐官様のこと『顔に似合わず一途なヤツなんだ』って言ってたわ。大丈夫、リゼの気持ちが伝われば素敵な夫婦になれるわよ、きっと」
リゼの手をふんわりと両手で包みながら、アイリーンが微笑んだ。
その優しさに、弱々しく口の端を上げて何とか答える。
果たして彼のその『一途』が私に向けられる日は来るのだろうか。
パーティで見かけた、一分の隙も無い完璧な氷の貴公子ヴェルナス・ブルームハルト政務補佐官の姿を思い浮かべる。
あの氷を解かすのは、至難の業……どころではないように思えた。




