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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第93ページ  本当は、ずっと甘えたかった


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 真白と別れたあとも、凛の胸の奥には温かさが残っていた。


 冬の夕暮れ。


 駅前の光。


 人混み。


 その中を歩きながら、凛は何度も今日の時間を思い返していた。


 古本屋。


 洋食屋。


 川沿いの帰り道。


 特別なことは何もしていない。


 でも。


 凛にとっては、それだけで十分すぎるくらい特別だった。


 誰かといて疲れない。


 安心できる。


 また会いたいと思う。


 そんな感覚を、自分が持てるなんて思っていなかった。


 でも同時に。


 胸の奥には、まだ消えない怖さがある。


 ――こんな時間、いつまで続くんだろう。


 その感覚。


 幸せだと思うほど、不安になる。


 凛は電車へ乗り込み、窓の外をぼんやり見つめた。


 流れていく街の灯り。


 暗い空。


 その景色を見ながら、凛は小さく息を吐く。


「……どうして怖くなるんだろ」


 真白は、“安心が続く経験が少なかったんだろうね”と言った。


 その言葉が、頭から離れなかった。


 家へ帰る。


 静かな部屋。


 コートを脱ぎ、凛はベッドへ腰を下ろした。


 今日一日を思い返す。


 真白が本を選んでくれた時。


 「見てるだけだよ」と笑った時。


 川沿いで、凛の不安を否定しなかった時。


 その全部が、凛の中へ静かに残っている。


 優しかった。


 温かかった。


 だからこそ怖い。


 凛は両膝を抱えた。


 胸の奥がざわざわしている。


 幸せを感じた日の夜ほど、不安になる。


 それは昔からだった。


 楽しかった日ほど、“明日全部なくなるんじゃないか”と思ってしまう。


 凛はぼんやり天井を見る。


 すると、不意に幼い頃の記憶が浮かんできた。


 小学校低学年くらいだったと思う。


 熱を出して寝込んだ夜。


 母は仕事で疲れていた。


 それでも、凛の額へ冷たいタオルを乗せてくれた。


『ちゃんと寝なさい』


 その声は優しかった。


 凛はその時、本当はもっと甘えたかった。


 怖い。


 そばにいてほしい。


 そう言いたかった。


 でも。


 母の疲れた顔を見た瞬間、その言葉を飲み込んだ。


 迷惑になると思った。


 だから凛は、小さく「大丈夫」と言った。


 本当は全然大丈夫じゃなかったのに。


 凛は静かに目を閉じる。


 あの頃からずっと、“欲しい”を我慢してきた。


 寂しい。


 そばにいてほしい。


 安心したい。


 そういう感情を出したら、困らせる気がしていたから。


 だから。


 “ちゃんとしてる子”になろうとした。


 我慢する。


 空気を読む。


 一人で耐える。


 そうしていれば、嫌われないと思った。


 でも本当は。


 ただ甘えたかっただけなのかもしれない。


「……あ」


 凛は小さく息を止める。


 その瞬間、胸の奥へ強い痛みが広がった。


 本当は甘えたかった。


 本当は、安心したかった。


 でも凛は、“甘えてはいけない”と思い込んだまま大人になってしまった。


 だから今。


 真白といると安心するたび、怖くなる。


 欲しくなってしまうから。


 “ここにいてほしい”が大きくなってしまうから。


 凛は目元を押さえた。


 涙が少し滲む。


「……私、本当は」


 声が震える。


「ずっと甘えたかったんだ」


 その言葉を口にした瞬間、涙がぽろぽろ溢れた。


 情けない。


 子供みたいだ。


 でも止まらなかった。


 凛は今まで、“強くならなきゃ”ばかりだった。


 一人で平気にならなきゃ。


 迷惑をかけちゃいけない。


 依存しちゃ駄目。


 そうやって、自分の弱さを押し殺してきた。


 でも本当は。


 誰かへ「大丈夫?」と言ってほしかった。


 苦しい時、「ここにいていいよ」と言ってほしかった。


 ただ安心したかった。


 凛はスマートフォンを手に取る。


 真白とのトーク画面。


 何度も開いて、閉じる。


 今の気持ちを送りたい。


 でも重い気がした。


 怖かった。


 それでも今夜は、隠したくなかった。


『今日、帰ってからずっと考えてた』


 送信。


『私、多分“安心したい”をずっと我慢してきた』


 既読。


 凛は胸を押さえながら、続きを打つ。


『甘えたいとか、寂しいとか、そういうの言っちゃいけないと思ってた』


『だから今、誰かといると安心する自分が怖い』


 送信。


 数秒後。


 真白から返信が来た。


『そっか』


 短い言葉。


 でもその“そっか”には、否定がなかった。


『凛ちゃん、多分ずっと“欲しがらないように”生きてきたんだろうね』


 その一文を見た瞬間、凛の胸がじわりと熱くなる。


 欲しがらないように。


 本当にそうだった。


 期待すると苦しくなる。


 欲しいと思うと失った時が怖い。


 だから最初から我慢してきた。


『でもさ』


 真白が続ける。


『安心したいって、人としてすごく自然なことだと思うよ』


 凛は静かに涙を拭った。


 自然。


 その言葉が、今の凛には救いだった。


 今まで、自分の“寂しさ”を異常だと思っていたから。


『凛ちゃんは多分、“甘えちゃいけない”でずっと自分を守ってきたんだろうね』


『だから今、“誰かに安心したい”が出てきて、自分でも戸惑ってるんだと思う』


 凛はスマートフォンを胸へ抱える。


 胸の奥が苦しいくらい熱かった。


 戸惑っている。


 本当にそうだった。


 真白へ会いたいと思う。


 声を聞くと安心する。


 でもその感情が大きくなるほど、“失う怖さ”も大きくなる。


 だから時々、自分で自分が怖くなる。


『でもね』


 真白からまたメッセージ。


『“安心したい”って思えるようになったの、多分凛ちゃんが少しずつ“人を信じ始めてる”ってことでもあると思う』


 その言葉を見た瞬間、凛は静かに息を止めた。


 人を信じる。


 凛は今まで、それを諦めていた。


 どうせ壊れる。


 どうせ離れる。


 そう思っていたから。


 でも今。


 怖いままでも、“ここにいてほしい”と思う人がいる。


 その感情を、もう消せなくなっている。


 窓の外では、冬の夜が静かに深まっていく。


 凛は布団へ身体を沈めながら、小さく目を閉じた。


 本当は、ずっと甘えたかった。


 本当は、安心したかった。


 その願いを初めて認めた夜、凛の胸の奥では、“一人で耐えるしかない世界”が、少しずつ崩れ始めていた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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