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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第77ページ  「迷惑をかけない子」でいたかった


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 その日の帰り道。


 凛は駅からの夜道を、一人でゆっくり歩いていた。


 雨はもう止んでいる。


 でも空気は冷たく、濡れたアスファルトが街灯の光を鈍く反射していた。


 真白と別れたあと。


 胸の奥だけが、ずっと静かに揺れていた。


 ――“人を好きになる途中”の感覚。


 真白がそう言った時、凛は何も返せなかった。


 怖かったから。


 誰かが“大事な存在”になるほど、人は弱くなる。


 失うのが怖くなる。


 嫌われる未来を想像してしまう。


 だから凛は、ずっと人と深く繋がらないようにしてきた。


 でも最近は違う。


 真白の顔を見たいと思う。


 灯から返信が来ると安心する。


 七海が笑っていると少しほっとする。


 そんなふうに、“誰かがいること”で感情が揺れる自分がいる。


 それは温かい。


 でも。


 とても怖いことでもあった。


 凛はマンションの階段を上りながら、小さく息を吐く。


 部屋へ入る。


 静かなワンルーム。


 暗い部屋の空気が、やけに冷たく感じた。


 凛は電気をつける前に、その場へしゃがみ込んでしまう。


 疲れていた。


 身体じゃなく、心が。


 最近は感情がよく動く。


 昔みたいに、“無”でいられなくなってきている。


 嬉しい。


 寂しい。


 怖い。


 安心する。


 そんな感情が増えるたび、凛は少しだけ不安になる。


「……こんなの、いつか壊れる」


 ぽつりと呟く。


 誰かへ期待してしまう自分が怖かった。


 優しくされると、もっと欲しくなる。


 “ここにいていい”と思いたくなる。


 でも凛の中には、ずっと消えない感覚がある。


 ――迷惑をかけたら、捨てられる。


 その感覚は、多分幼い頃からずっとあった。


 凛はゆっくり立ち上がり、部屋の灯りをつける。


 その瞬間、不意に昔の記憶が蘇った。


 小学校三年生の頃。


 熱を出して学校を休んだ日のこと。


 母は仕事から帰ってくるなり、深いため息をついた。


『どうしてあんたは、こう手がかかるの』


 強い口調ではなかった。


 怒鳴られたわけでもない。


 でも。


 その時の母の“疲れた顔”を、凛は今でも覚えている。


 申し訳なかった。


 熱を出した自分が悪い気がした。


 迷惑をかけたと思った。


 だからその日から凛は、“手がかからない子”になろうとした。


 泣かない。


 我慢する。


 空気を読む。


 母が疲れている時は静かにする。


 そうやって、“迷惑をかけない子”になれば愛されると思っていた。


 でも実際は。


 我慢するほど、自分がわからなくなっていった。


 凛はベッドへ腰を下ろし、膝を抱える。


 部屋は静かだった。


 静かな夜ほど、昔の記憶は戻ってくる。


 中学生の頃。


 部活で人間関係に疲れて、泣きながら「しんどい」と言った時。


 母は困った顔をして言った。


『みんな我慢してるんだから』


 その言葉。


 悪気はなかったのだと思う。


 母もきっと、“我慢して生きるのが普通”の世界で育った人だったから。


 でも。


 凛には苦しかった。


 “しんどい”と言った瞬間、“もっと頑張れ”が返ってくる。


 だから次第に、何も言えなくなった。


 苦しい。


 怖い。


 消えたい。


 そういう感情を、全部一人で抱えるようになった。


 凛は顔を埋めながら、小さく息を吐く。


「……私、まだ怖いんだ」


 真白が優しいほど。


 灯が“わかる”と言ってくれるほど。


 七海が隣にいてくれるほど。


 凛の中では、“いつか失うかもしれない”が大きくなる。


 多分それは。


 “そのままの自分でいても離れられなかった経験”が少なすぎるからだった。


 昔の凛は。


 頑張って。


 空気を読んで。


 “ちゃんとした子”でいないと、愛されないと思っていた。


 だから今でも、“迷惑をかける自分”を見せるのが怖い。


 スマートフォンが震えた。


 画面を見る。


 真白だった。


『ちゃんと帰れた?』


 その短いメッセージを見た瞬間、胸の奥が少し熱くなる。


 凛はしばらく画面を見つめた。


 返事を打とうとして、指が止まる。


 ――もし今、本音を言ったら。


 そんな考えが浮かぶ。


 怖い。


 でも。


 最近の凛は、少しずつ“本当の感情”を言葉にし始めている。


『帰れた』


 そこまで打って、止まる。


 それから凛は、小さく息を吐いた。


『なんか今日、ちょっとしんどい』


 送信。


 心臓が跳ねる。


 でも以前みたいな、“言った瞬間終わる”感覚は少し薄れていた。


 既読。


『そっか』


『何がしんどい?』


 その返事を見た瞬間、凛の目が少し熱くなる。


 “どうしてそんなことで”。


 “考えすぎ”。


 そう返されると思っていた自分が、まだどこかにいる。


『優しくされると、逆に怖くなる』


 凛はゆっくり打った。


『迷惑かけたら嫌われそうで』


 送信。


 部屋の静けさがやけに大きく感じる。


 真白から返事が来るまでの数秒が、長かった。


 やがて、画面が光る。


『凛ちゃん』


『多分それ、“嫌われないように頑張り続けてきた人”の感覚だと思う』


 凛は静かに息を止める。


 真白は続ける。


『でもさ、本当に安心できる関係って、“弱ってる時に切られない”を少しずつ経験してできるんだよ』


 その言葉が、胸へゆっくり落ちる。


 弱ってる時に切られない。


 凛には、その経験が少なかった。


 だから、“苦しい自分”を見せるたび、捨てられる気がする。


『凛ちゃん、最近ちゃんと“怖い”って言えてるじゃん』


 真白からまたメッセージ。


『それ、かなり大きい変化だと思う』


 凛はスマートフォンを見つめながら、小さく目を閉じた。


 確かに。


 昔の自分は、“怖い”すら言えなかった。


 苦しいも。


 寂しいも。


 全部、自分の中へ押し込めていた。


 でも今は。


 真白へ。

 灯へ。

 七海へ。


 少しずつ、本音を出せるようになっている。


 それは多分、“迷惑をかけても終わらなかった経験”が少しずつ増えているからだった。


 凛はベッドへ倒れ込み、スマートフォンを胸へ抱える。


 部屋は静かだった。


 でも今夜は、完全な孤独ではなかった。


 “しんどい”と言えた。


 “怖い”を受け止めてもらえた。


 その小さな積み重ねが、凛の中の長い孤独を、少しずつ溶かし始めていた。


 窓の外では、また小さく雨が降り始めている。


 凛はぼんやり天井を見ながら思う。


 “迷惑をかけない子”でいようとしてきた人生は、きっと簡単には変わらない。


 でも。


 誰かへ少しずつ本音を見せても、まだここにいてくれる人がいる。


 その事実だけで。


 凛はほんの少しだけ、“自分のまま生きてみたい”と思い始めていた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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