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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第76ページ  近づくほど、失うのが怖かった


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 夜のカフェは静かだった。


 窓の外では小雨が降っている。


 街灯の光が濡れた道路へ滲み、ぼんやり揺れていた。


 凛はカウンター席へ座りながら、温かいカフェラテを両手で包んでいた。


 大学帰り。


 今日は講義のあと、就活セミナーがあった。


 周囲の学生たちは相変わらず、“ちゃんと未来へ向かっている人”に見えた。


 インターンの話。


 エントリーシート。


 自己分析。


 “自分を企業へ売り込む”ための言葉たち。


 凛はその空気の中へいるだけで、少しずつ呼吸が浅くなっていくのを感じていた。


 だから自然と、この場所へ来てしまった。


『cafe 月灯り』。


 真白がいる場所。


「今日かなり疲れてる顔してる」


 カウンターの向こうで、真白が苦笑した。


 凛は小さく笑う。


「社会が怖い」


「それ最近毎週言ってる」


「だって毎週怖いし……」


 真白は少し吹き出した。


 その笑い方を見ていると、凛の胸の緊張が少しだけほどける。


 でも同時に。


 最近、凛は別の怖さも感じ始めていた。


 真白といると安心する。


 苦しい時、顔を見たくなる。


 話を聞いてほしくなる。


 それは温かい。


 でも。


 “この安心がなくなったら”と思うと、急に怖くなる。


 凛はカフェラテの表面を見る。


 白いミルクの模様。


 静かな店内。


 真白は洗ったカップを拭きながら、何気ない声で聞いた。


「最近、書いてる?」


「……うん」


「どう?」


 凛は少し考える。


「楽しいっていうより、呼吸しやすい感じ」


 真白は小さく頷いた。


「それ大事だね」


 凛はスマートフォンを取り出す。


 昨日投稿した文章には、今日もいくつかコメントが来ていた。


『この言葉で今日少し眠れそうです』


『ずっと誰にも言えなかった感情でした』


 そんな言葉。


 凛はそれを見ながら、まだ少し不思議な気持ちになる。


 自分の苦しさが、誰かの呼吸になる。


 そんなこと、昔は想像もしていなかった。


「なんか最近さ」


 凛がぽつりと言う。


「優しくされると逆に怖い」


 真白の手が少し止まる。


「怖い?」


「うん」


 凛は視線を落とした。


「今だけなんじゃないかって思う」


 その言葉を口にした瞬間、自分でも胸が少し痛くなる。


 真白は黙って聞いていた。


「なんか……」


 凛はゆっくり言葉を探す。


「最初はみんな優しいじゃん」


「でも、本当の自分見えたら離れてく気がする」


 それは昔からずっとあった感覚だった。


 学校でも。


 家でも。


 人間関係が近づくほど、凛は怖くなる。


 “ちゃんとしてる自分”を崩した瞬間、嫌われる気がするから。


「だから、近づきすぎるの怖い」


 凛は小さく呟いた。


 真白はしばらく黙っていた。


 店内には静かな音楽が流れている。


 コーヒー豆の香り。


 雨音。


 それから真白は、ゆっくり口を開いた。


「凛ちゃんってさ」


「?」


「人に嫌われる前に、自分から距離置こうとするよね」


 その言葉に、凛の胸が少し強く揺れる。


 図星だった。


 嫌われるくらいなら、自分から離れた方が傷が浅い。


 そう思って生きてきた。


「……だって怖いし」


 凛は小さく言う。


「うん、わかる」


 真白は静かに頷いた。


「でも、それやってると、“本当に一人じゃない状態”がずっとわかんなくなる」


 凛は黙り込む。


 本当に一人じゃない状態。


 そんなもの、自分にはあるのだろうか。


「凛ちゃん、多分ずっと“迷惑かけないように”生きてきたでしょ」


 真白が穏やかに言う。


 凛は少し目を伏せた。


 母に心配かけないように。


 空気を悪くしないように。


 嫌われないように。


 “普通でいる”ために。


 ずっと気を張ってきた。


「だから、“そのままの自分でいていい”って言われても、まだ信じきれないんだと思う」


 その言葉が、静かに胸へ落ちる。


 信じきれない。


 本当にそうだった。


 真白や灯や七海が、凛の苦しさを否定しなくても。


 どこかでまだ思っている。


 ――いつか嫌われる。

 ――面倒になる。

 ――重いと思われる。


 だから安心すると怖くなる。


 失った時、苦しくなるから。


「……真白さんは?」


 凛が小さく聞く。


「怖くなかった?」


「何が?」


「人と近づくの」


 真白は少し笑った。


「めちゃくちゃ怖かったよ」


 その答えに、凛は少し驚く。


「今もたまに怖いし」


 真白はカップを棚へ戻しながら続ける。


「でも、一人だけで生きる方がしんどかった」


 凛は静かにその言葉を聞く。


 一人だけで生きる方がしんどい。


 昔の凛は、“誰にも期待しない方が楽”だと思っていた。


 でも今は違う。


 期待する怖さを知っても。


 誰かと繋がっている温かさを知ってしまった。


「……最近、変なんだよね」


 凛はぽつりと言う。


「真白さんといると安心するのに、帰ると急に不安になる」


 その瞬間、言ってしまった、と思った。


 重い。


 絶対重い。


 凛は慌てて視線を逸らす。


「ごめん、なんか……」


 でも真白は笑わなかった。


 困った顔もしなかった。


 ただ静かに言った。


「それ、多分“人を好きになる途中”の感覚だと思う」


 凛の呼吸が一瞬止まる。


 好き。


 その言葉が、胸の奥へ落ちていく。


 恋愛とか、そういう単純な意味じゃなく。


 “この人が大事”になり始める感覚。


 安心できる場所ができる感覚。


 だから失うのが怖くなる。


「……怖い」


 凛は正直に言った。


 真白は小さく頷く。


「うん、怖いよね」


 否定しない。


 無理に励まさない。


 ただ、“怖い”をそのまま受け止める。


 その優しさが、凛には時々苦しいくらい温かかった。


 窓の外では雨が少し強くなっていた。


 凛はぼんやりその景色を見る。


 昔の自分なら。


 “誰かが大事”になる前に逃げていた。


 傷つく未来が怖かったから。


 でも今は。


 怖いままでも、離れたくないと思ってしまう。


 その感情が、凛を少しずつ変え始めていた。


 真白はコーヒーを淹れながら、静かな声で言った。


「凛ちゃんさ」


「?」


「“嫌われないように生きる”より、“安心できる人とちゃんと繋がる”方が、多分大事だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、凛の胸がじわりと熱くなる。


 嫌われないように。


 それが人生の中心だった。


 でも。


 本当はずっと、“安心したかった”のかもしれない。


 誰かの前で、ちゃんとしてなくてもいいと思いたかったのかもしれない。


 凛は静かにカフェラテを飲む。


 少し冷めていた。


 でも、不思議と温かかった。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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