第73ページ 「わかる」が届く夜
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
深夜一時過ぎ。
凛はベッドへ入っていた。
部屋は暗い。
窓の外では、遠くの車の音だけが微かに聞こえている。
でも今日は、不思議と少しだけ胸が軽かった。
真白へ文章を見せた。
怖かった。
本当に。
でも。
“だからいいと思った”。
その言葉が、まだ胸の奥へ残っている。
凛はスマートフォンを見つめる。
ノートの写真。
送った一ページ。
たったそれだけなのに、自分の中では大きな出来事だった。
昔の凛なら、絶対に隠していた。
好きなものほど、否定されるのが怖かったから。
でも今は。
“伝わるかもしれない”と思ってしまった。
その時。
ふと、灯の顔が浮かぶ。
灯なら、この文章をどう読むだろう。
凛は少し考える。
灯は、痛みに敏感な人だ。
だからこそ。
苦しさを言葉へ変えた時、何か感じるかもしれない。
でも同時に、不安もあった。
重いと思われないだろうか。
苦しくさせないだろうか。
凛はスマートフォンを握りながら、しばらく迷う。
そして。
ノートを開き、その中の短い一文だけを写真へ撮った。
『「ちゃんとできない自分」を隠すたび、本当の自分がどこにいるのかわからなくなった。』
その一文。
凛はそれを灯へ送った。
『今ちょっと書いてる』
メッセージも添える。
送信。
胸がざわつく。
でも以前みたいな、“全部否定される怖さ”だけではなかった。
少しだけ、“伝わるかもしれない”と思っている自分がいる。
数分後。
既読がついた。
凛は思わず呼吸を止める。
やがて、灯から返事が来た。
『……これ、めっちゃわかる』
その文字を見た瞬間。
凛の胸が静かに揺れた。
“わかる”。
その短い言葉。
でも。
凛にとっては、とても大きかった。
『私もずっと、“嫌われない自分”やってたから』
灯から続けて送られてくる。
『気づいたら中身空っぽになってた』
凛は画面を見つめる。
空っぽ。
その感覚は、七海も言っていた。
合わせ続けると、自分がわからなくなる。
“ちゃんとした自分”ばかり作って、本音が消えていく。
『なんかさ』
灯からまたメッセージ。
『凛ちゃんの文章って、“頑張りすぎて苦しい人”の感じある』
凛は静かに目を伏せる。
頑張りすぎて苦しい人。
それはきっと、ずっと自分が見ないふりをしていた自分だった。
『暗すぎない?』
凛は恐る恐る送る。
既読。
『暗いっていうか、ちゃんと苦しい』
その返事に、凛の胸がまた少し熱くなる。
真白も似たようなことを言っていた。
“静かで苦しい”。
凛はずっと、“苦しい”を隠そうとしてきた。
でも。
言葉へすると、ちゃんと誰かへ届く時がある。
『なんか安心した』
灯が送ってくる。
『苦しいの私だけじゃないんだって思えて』
その言葉を見た瞬間、凛は静かに息を止めた。
昔の凛は、“苦しさ”は隠すものだと思っていた。
でも今は。
苦しさを言葉へしたことで、誰かが少し楽になる瞬間があることを知り始めている。
『私も』
凛はゆっくり打つ。
『灯ちゃんの言葉見てると、自分だけじゃないって思う』
送信。
少し間。
『生きづらい人同士って、なんかレーダーあるよね』
灯から返ってくる。
凛は少し笑ってしまう。
本当にそうかもしれない。
笑い方。
言葉の選び方。
“無理してる空気”。
同じ痛みを知っている人は、なんとなくわかる。
『でもさ』
灯が続ける。
『苦しいってちゃんと言葉にできるの、すごいと思う』
凛は画面を見つめたまま、動けなくなる。
すごい。
そんなふうに思ったことはなかった。
ただ。
苦しくて、書いていただけだった。
『今まで、苦しいの隠してばっかだったから』
凛は送る。
『だから最近、自分でも変な感じする』
既読。
『でも、隠し続ける方がしんどい時あるよね』
その返事を見て、凛はゆっくり目を閉じる。
本当にそうだった。
“普通のふり”。
“平気なふり”。
“ちゃんとしてるふり”。
それを続けるほど、自分の感情がわからなくなっていった。
でも今は。
苦しい。
怖い。
寂しい。
そういう感情を、少しずつ言葉へできるようになっている。
凛はスマートフォンを胸へ抱えながら、小さく思う。
言葉は、誰かをすぐ救うわけじゃない。
人生を変えるわけでもない。
でも。
“わかる”を届けることはできるのかもしれない。
苦しい夜。
孤独な部屋。
“自分だけじゃない”と思えるだけで、人は少し呼吸ができる。
凛はベッドの中で、ゆっくり目を閉じる。
昔の自分は、“苦しい自分”を消したかった。
でも今は。
その苦しさを言葉へ変えることで、誰かと繋がれる瞬間があることを知り始めている。
それはきっと。
凛にとって、“生きづらさ”へ初めて意味が生まれ始めた瞬間だった。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




