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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第7ページ みんな頑張ってる


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 六月に入る頃、凛はアルバイトを始めた。


 理由は単純だった。


 生活費を少しでも自分で負担したかったし、母にも「大学生なんだからバイトくらい経験しなさい」と言われていた。


 それに、本当は少し期待していた。


 社会に出れば、自分も変われるかもしれない。


 ちゃんと働けるようになれば、「普通」に近づけるかもしれない。


 そう思いたかった。


 バイト先は大学近くのチェーン系カフェだった。


 店内は明るく、いつも音楽が流れている。


 スタッフ同士の距離も近く、大学生のアルバイトが多かった。


「朝比奈さんね。よろしく」


 初日にそう声をかけてきたのが、社員の三崎恒一だった。


 二十代後半くらい。


 整った髪。


 穏やかな笑顔。


 一見すると優しそうな人だった。


「最初は覚えること多いと思うけど、慣れれば大丈夫だから」


「あ、はい……よろしくお願いします」


「わからないことあったら何でも聞いて」


 三崎は丁寧だった。


 説明もわかりやすい。


 他のスタッフからの信頼も厚そうだった。


 凛は少し安心した。


 ここなら頑張れるかもしれない、と。


 けれど、その安心は長く続かなかった。


 初日の終わりには、凛の頭は限界だった。


 レジ操作。


 ドリンクの種類。


 接客用語。


 店内の動き。


 周囲への気配り。


 全部を同時に処理しようとすると、頭が真っ白になる。


「朝比奈さん、笑顔笑顔!」


 先輩スタッフが冗談っぽく言う。


 凛は慌てて笑う。


「す、すみません」


「そんな緊張しなくて大丈夫だって!」


 周囲は悪気なく笑っている。


 でも凛は、自分だけがうまくできていない気がして焦った。


 帰宅すると、身体が鉛みたいに重かった。


 ベッドに倒れ込み、制服のまま天井を見つめる。


 呼吸すら疲れる。


 スマートフォンが震えた。


 七海からだった。


『バイトどうだったー?』


 凛は少し考えてから返信する。


『まだ慣れないけど頑張る』


 すぐに返事が来た。


『偉い! 凛ちゃん真面目だから絶対できるよ!』


 その言葉を見て、凛は苦しくなった。


 真面目。


 昔からそう言われてきた。


 真面目だから大丈夫。


 真面目だから頑張れる。


 でも凛は知っている。


 真面目でいるほど、自分を追い詰めてしまうことを。


 翌週。


 凛はミスをした。


 レジの会計を間違えたのだ。


 すぐに気づいて訂正できた。


 大きな問題にはならなかった。


 けれど凛の頭の中では、その失敗が何度も繰り返されていた。


 駄目だ。


 迷惑をかけた。


 ちゃんとしなきゃ。


 焦るほど手元が狂う。


「朝比奈さん」


 バックヤードで三崎に呼ばれる。


 凛の肩が小さく震えた。


「そんな緊張しなくていいよ」


 三崎は笑っていた。


「最初はみんなミスするから」


「……すみません」


「謝らなくていいって」


 三崎は穏やかな口調のまま続ける。


「でもさ、接客って空気作る仕事だから」


「……」


「お客さんって、店員の表情ちゃんと見てるんだよね」


 凛は黙って聞く。


「朝比奈さん、真面目なんだけど、ちょっと硬いかな」


 胸が小さく痛む。


「もっと肩の力抜いていいと思う」


「……はい」


「みんな頑張ってるんだから、大丈夫」


 その言葉を聞いた瞬間、凛の呼吸が少し浅くなった。


 みんな頑張ってる。


 その言葉は正しい。


 正しいから苦しい。


 みんな頑張れている。


 なのに自分は、たった数時間のバイトで限界になってしまう。


 やっぱり、自分が弱いだけなのだろうか。


 その日の帰り道、凛は駅前の人混みの中をぼんやり歩いていた。


 頭の中では、三崎の言葉が何度も繰り返される。


『みんな頑張ってるんだから』


 その通りだった。


 社会では、それが当たり前なのだ。


 疲れても。


 苦しくても。


 笑わなければならない。


 ちゃんと働かなければならない。


 それができないなら、ただ努力が足りないだけ。


 凛は知らないうちに、爪が食い込むほど手を握りしめていた。


 苦しい。


 でも、それを「苦しい」と思う資格すらない気がした。


 『cafe 月灯り』の前に立ったとき、凛は少しだけ安心した。


 扉を開ける。


 ベルの音。


 コーヒーの匂い。


 静かな灯り。


「いらっしゃい」


 真白の声を聞くだけで、張っていた糸が少し緩む。


「……こんばんは」


「疲れてるね」


 真白はすぐに気づいた。


 凛は苦笑する。


「最近、顔に出やすいみたいです」


「無理して隠そうとしてる人ほど、出るよ」


 凛は窓際の席へ座った。


 真白がカフェラテを運んでくる。


「バイト始めたんだっけ」


「……うん」


「どう?」


 凛は少し迷った。


 弱音を吐いていいのかわからない。


 でも、真白の前だと少しだけ本音が出てしまう。


「……ちゃんとできなくて」


 ぽつりと言う。


「みんな普通にやってることなのに、すごく疲れてしまって」


 真白は静かに聞いている。


「社員の人に、“みんな頑張ってる”って言われて」


 凛は視線を落とした。


「その通りなのに、なんか苦しくて」


 しばらく沈黙が落ちる。


 店内には静かな音楽が流れていた。


 やがて真白が口を開く。


「“みんな頑張ってる”って言葉、便利なんだよね」


 凛は顔を上げた。


「え……?」


「正しいから」


 真白は静かに続ける。


「でも、正しい言葉って、ときどき人を追い詰める」


 凛の胸が小さく震える。


「頑張れてる人を基準にされると、頑張れない自分が全部駄目に思えるから」


「……」


「でも本当は、人によって限界って違うんだよ」


 真白はそう言って、少し笑った。


「同じ一日でも、平気な人と壊れそうになる人がいる」


 凛はその言葉を静かに聞いていた。


「凛ちゃんは、多分ずっと全力で周りを感じながら生きてる」


「……」


「だから、人より疲れる」


 その言葉に、凛は目を伏せた。


 理解された気がした。


 “甘え”じゃなく。


 “怠け”じゃなく。


 ちゃんと疲れていたのだと。


「……でも」


 凛は小さく言う。


「社会って、待ってくれないよね」


 真白は少し黙った。


 そして静かに頷く。


「うん。結構残酷」


 その答えは優しかった。


 綺麗事じゃなかった。


「だから、自分で自分の限界を知らないと壊れる」


 凛はカフェラテを見つめる。


 白い泡が少し揺れている。


「俺、一回それで壊れたから」


 真白は淡々と言った。


 凛の胸が小さく痛む。


 真白は今、とても穏やかに見える。


 でもその穏やかさは、きっと苦しみを知っている人間の静けさだった。


「……怖くないですか」


 凛は聞いた。


「また壊れるかもしれないって」


 真白は少しだけ笑う。


「怖いよ」


 その答えはあまりに正直だった。


「でも、怖いまま生きるしかないから」


 凛は何も言えなかった。


 外では雨が降り始めていた。


 街の灯りが濡れた道路に滲んでいる。


 凛はその景色を見ながら思う。


 社会は優しくない。


 頑張れない人を待ってはくれない。


 それでも。


 こんなふうに、自分の苦しさを「ちゃんと苦しさとして見てくれる人」がいるだけで、少しだけ息ができる気がした。


 凛はカップを両手で包み込む。


 温かかった。


 その熱だけが、今の自分を現実に繋ぎ止めてくれている気がした。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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