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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第6ページ 笑っているだけなのに


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 五月に入る頃には、大学の空気にも少しずつ色がつき始めていた。


 新歓の浮ついた雰囲気は薄れ、それぞれのグループが形を作っていく。


 誰といるのか。


 どこで昼を食べるのか。


 誰に誘われるのか。


 そういう小さなことで、人間関係の輪郭が決まっていった。


 七海は相変わらず人気者だった。


 誰とでも話せる。


 明るい。


 気配りができる。


 講義のあとには自然と周囲に人が集まっていた。


「七海ってほんとコミュ力高いよね」


 誰かが言う。


 七海は笑いながら、


「そんなことないってー!」


 と返していた。


 凛はその様子を少し離れた場所から見ていた。


 羨ましいと思う。


 同時に、怖いとも思う。


 人に囲まれることは、凛にとって安心ではなく緊張だった。


 昼休み。


 凛はいつものように七海と食堂へ向かった。


 けれどその日は、七海のサークル仲間らしい女子二人も一緒だった。


「え、凛ちゃんってめっちゃ大人しそうだよね」


「わかるー、癒し系!」


 悪意はない。


 むしろ好意的な言葉だ。


 それでも凛は、胸の奥がざわつく。


 大人しい。


 癒し系。


 それはたぶん、「何を考えてるかわからない」と紙一重だった。


「凛ちゃん、彼氏いるの?」


 突然聞かれ、凛は肩を揺らした。


「え……いない」


「絶対モテるのにもったいなーい!」


 周囲が笑う。


 凛も合わせて笑う。


 でも、本当はこういう会話が苦手だった。


 どんな顔をすればいいのかわからない。


 何を返せば自然なのかわからない。


 頭の中で答えを探しているうちに、会話はどんどん先へ進んでいく。


「凛ちゃんってさ、恋愛興味なさそう」


「あー、なんかわかる」


 また笑い声。


 凛も口角を上げる。


 けれど胸の奥では、少しずつ呼吸が浅くなっていた。


 自分がこの場にちゃんと馴染めているのか、不安になる。


 変に思われていないか。


 浮いていないか。


 その確認ばかりしてしまう。


 食事が終わる頃には、凛はもうぐったりしていた。


 けれど周囲から見れば、ただ静かに笑っている女の子だった。


 誰も気づかない。


 笑っているだけで、こんなに疲れることに。


 講義のあと、七海が凛を呼び止めた。


「ねえ、今日暇?」


「え?」


「ちょっと買い物付き合ってほしいんだけど」


 断る理由を探しかけて、凛はやめた。


「……うん、いいよ」


「やった!」


 七海は嬉しそうに笑った。


 駅ビルの雑貨屋や洋服店を回る。


 七海は次々と服を手に取っていった。


「これどう思う?」


「可愛いと思う」


「こっちは?」


「似合いそう」


 凛は一つひとつ答える。


 けれど途中から、自分が何を感じているのかわからなくなっていた。


 本当に可愛いと思っているのか。


 ただ相手が喜びそうな言葉を選んでいるだけなのか。


 昔からそうだった。


 誰かといると、自分の感情より先に「相手にとって正解の反応」を探してしまう。


 気づけば、自分の本音がどこにあるのかわからなくなる。


 帰り道。


 七海がふいに言った。


「凛ちゃんってさ」


「……?」


「無理してない?」


 凛の足が一瞬止まりそうになる。


「え?」


「いや、なんか……」


 七海は少し困ったように笑った。


「いつもちゃんと笑ってるけど、たまに急に消えそうな顔するから」


 凛は言葉を失った。


 そんな顔をしていたのだろうか。


「そんなことないよ」


 反射的に否定する。


 すると七海はすぐ、


「ごめん、変なこと言った!」


 と笑った。


「私さ、人の顔色気にしすぎるとこあるから」


 その言葉に、凛は少しだけ胸が痛くなる。


 七海もまた、人の反応を恐れている。


 明るい人ほど、空気の変化に敏感だったりするのかもしれない。


「……七海ちゃんは」


 凛は迷いながら口を開く。


「疲れたりしないの?」


「するよー、めっちゃ」


 七海は即答した。


「家帰ったら動けない日とか普通にあるし」


「え……」


「みんなの前だとテンション上げちゃうんだよね。沈黙怖いから」


 七海は笑った。


 でも、その目の奥には少しだけ疲れが滲んでいた。


「だからたまに、“私って空っぽかも”って思う」


 凛は何も言えなかった。


 その感覚が、少しわかってしまったから。


 自分の感情より先に、周囲に合わせる。


 相手に嫌われない反応をする。


 その繰り返しで、本当の自分が薄くなっていく。


「……でもさ」


 七海は前を向いたまま言う。


「凛ちゃんといると、ちょっと楽」


「え?」


「無理に盛り上げなくていい感じするから」


 凛の胸が静かに揺れる。


 真白にも似たようなことを言われた気がした。


 “無理して笑わなくていい”。


 それは凛にとって、今まで誰からも与えられなかった感覚だった。


 別れたあと、凛は自然と『cafe 月灯り』へ向かっていた。


 店へ入ると、真白がカウンターで何かを描いていた。


 スケッチブック。


 鉛筆。


 静かな横顔。


「あ、いらっしゃい」


 真白は顔を上げる。


「こんばんは」


「今日は疲れた顔してる」


 凛は苦笑した。


「最近そればっかり言われる」


「隠せてないんだね」


 真白は少し笑った。


 凛は窓際の席へ座る。


「何描いてるんですか?」


「依頼のイラスト」


 真白はスケッチブックを少しだけ見せた。


 柔らかな線で描かれた女の子。


 どこか寂しそうなのに、優しい絵だった。


「すごい……」


「仕事っていうより、逃げ場所に近いかな」


「逃げ場所?」


「うん」


 真白は鉛筆を置く。


「昔、ちゃんと社会に馴染めなくてさ」


 凛は静かに聞いた。


「会社辞めて、しばらく家から出れなかった時期があった」


 凛の胸が少し締めつけられる。


 真白は今、とても穏やかに見える。


 だからこそ、そんな過去があったことが信じられなかった。


「……今は、大丈夫なんですか?」


 真白は少し考えてから笑う。


「大丈夫な日と、大丈夫じゃない日がある」


 その答えは、妙に現実的だった。


「でも、それでいいって思うようになった」


「……」


「昔は、“ちゃんとできない自分”を消したかったけど」


 真白は静かに窓の外を見る。


「今は、そういう自分も連れて生きてくしかないかなって」


 凛はその言葉をゆっくり聞いていた。


 “ちゃんとできない自分”。


 凛もずっと嫌ってきた。


 消したかった。


 普通になりたかった。


 誰にも迷惑をかけず、自然に笑えて、空気に馴染める人間になりたかった。


 でも、もし。


 消さなくていいのだとしたら。


 その苦しさごと、生きていいのだとしたら。


 凛の中で、何かが少しずつ変わり始めていた。


 まだ怖い。


 でも、真白の言葉は、凛の中の「普通」という檻を少しずつ緩めていく。


 カフェの静かな灯りの中で、凛はカフェラテを両手で包み込む。


 その温かさだけが、今は確かなものに思えた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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