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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第5ページ ちゃんとできない日


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 その日、凛は朝から呼吸が浅かった。


 理由はわからない。


 何か特別嫌なことがあるわけではない。課題も終わっているし、講義にも遅れていない。七海との関係も悪くない。


 それなのに、身体の奥がずっと緊張していた。


 目覚ましが鳴った瞬間から、「今日をちゃんと乗り切れるだろうか」という不安が胸に貼りついて離れなかった。


 大学へ向かう電車の中でも、凛は周囲の音に疲れていた。


 誰かの笑い声。


 イヤホンから漏れる音楽。


 咳払い。


 スマートフォンを叩く音。


 人が多いだけで、神経が削られていく。


 凛は窓の外を見つめながら、何度も深呼吸をした。


 落ち着かなきゃ。


 ちゃんとしなきゃ。


 大学へ着く頃には、すでに少し疲れていた。


 講義室へ入ると、七海が手を振る。


「凛ちゃん、おはよー!」


「……おはよう」


「昨日さ、サークルの飲み会行ったんだけど、めっちゃ面白かった!」


 七海は楽しそうに話し始める。


 凛は笑顔を作りながら頷いた。


「へえ、楽しそう」


「今度凛ちゃんも来なよ!」


「うん……機会あったら」


 本当は行きたくなかった。


 大人数の飲み会なんて想像しただけで息が苦しくなる。


 けれど、断り続けたら嫌われるかもしれない。


 ノリ悪いと思われるかもしれない。


 その恐怖が、凛を曖昧な返事にさせる。


「絶対楽しいって!」


 七海は笑う。


 その明るさに悪意はない。


 だからこそ、凛は苦しくなる。


 自分だけが、普通の楽しさについていけない気がして。


 講義中、凛はほとんど内容が頭に入らなかった。


 周囲の小さな物音が気になる。


 後ろの席の笑い声に神経が反応する。


 誰かがペンを落としただけで心臓が跳ねる。


 頭の中がずっと騒がしい。


 講義が終わる頃には、凛はぐったりしていた。


「ね、学食行こ!」


 七海に誘われ、凛は頷く。


 断る理由を探す方が疲れる。


 学食は混んでいた。


 人の声が重なる。


 トレーのぶつかる音。


 笑い声。


 凛は列に並びながら、少しずつ気分が悪くなっていくのを感じていた。


「凛ちゃん、顔色悪くない?」


 七海が覗き込む。


「え……?」


「大丈夫?」


 その瞬間、周囲の視線が一気に自分へ向いた気がした。


 凛の呼吸が浅くなる。


 大丈夫って言わなきゃ。


 心配かけちゃ駄目。


「だ、大丈夫」


 無理に笑う。


 けれど胸が苦しい。


 息がうまく吸えない。


 視界が少し揺れる。


「ほんとに?」


「うん……ちょっと寝不足で」


 七海は心配そうに眉を寄せた。


「無理しないでね?」


 優しい言葉だった。


 なのに凛は、その優しさすら苦しく感じてしまう。


 心配をかけてしまった。


 空気を悪くした。


 ちゃんとできなかった。


 その感覚が頭の中を埋め尽くしていく。


 食事を終えたあと、凛は「少し外の空気吸ってくる」と言って一人になった。


 中庭のベンチへ座る。


 春の風が吹いていた。


 けれど凛の胸は苦しいままだった。


 呼吸が浅い。


 頭がぼんやりする。


 周囲の話し声が遠く聞こえる。


「……なんで」


 小さく呟く。


 どうしてこんなことで苦しくなるのだろう。


 みんな普通に大学生活を送っているのに。


 自分だけ、たった数時間で限界になってしまう。


 情けなかった。


 凛はスマートフォンを開いた。


 SNSには、今日も誰かの楽しそうな写真が流れている。


『大学最高!』


『友達増えた!』


『毎日楽しすぎ!』


 眩しかった。


 その世界に、自分は入れない。


 凛はスマホを閉じ、俯いた。


 そのとき、不意に母からメッセージが届いた。


『大学どう? 友達ちゃんとできた?』


 胸が重くなる。


 凛は少し考えてから返信した。


『大丈夫。楽しいよ』


 嘘だった。


 でも、本当のことなんて言えない。


『よかった! 安心した』


 その返事を見て、凛は唇を噛んだ。


 安心させるために嘘をつく。


 期待を裏切らないために笑う。


 いつの間にか、それが当たり前になっていた。


 けれど今日は、もう限界だった。


 午後の講義を終えたあと、凛は真っ直ぐ『cafe 月灯り』へ向かった。


 店へ入ると、ベルが鳴る。


 真白が顔を上げた。


「いらっしゃい」


 その声を聞いた瞬間、凛は少しだけ肩の力が抜けた。


 窓際の席へ座る。


「今日は早いね」


「……うん」


 真白は凛の顔を見て、少しだけ目を細めた。


「しんどそう」


 凛は苦笑した。


「顔に出てた?」


「ちょっと」


 真白はそれ以上追及しない。


 凛はその距離感に救われる。


「今日は何にする?」


「……カフェラテ」


「了解」


 真白がカウンターへ戻る。


 凛はぼんやり店内を見渡した。


 静かだった。


 ここだけ、世界から切り離されているみたいだった。


 しばらくして、カフェラテが運ばれてくる。


「ありがとうございます」


「うん」


 真白はそのまま近くの席へ腰を下ろした。


「大学、疲れる?」


 凛は少し黙ってから、小さく頷く。


「……私だけ、うまくできてない気がして」


「何が?」


「全部」


 その言葉が、思ったより自然に口から出た。


「友達付き合いも、会話も、空気読むのも……」


 凛はカップを握りしめる。


「みんな普通にできてるのに、私だけすごく疲れる」


 真白は静かに聞いていた。


「頑張って合わせてるのに、帰ると何もできなくなるし……」


 凛はそこで言葉を止めた。


 泣きそうだった。


 こんなことを話すつもりじゃなかった。


 でも、一度口にすると止まらなくなる。


「……私、社会向いてないのかな」


 小さく呟く。


 真白は少しだけ視線を落とした。


 そして静かに言った。


「俺も昔、そう思ってた」


 凛は顔を上げた。


「え……?」


 真白は苦笑する。


「人といるだけで疲れるし、頑張って合わせるほど壊れてく感じして」


 その声は穏やかだった。


 けれど、どこか遠い痛みを含んでいた。


「朝、起きるだけでしんどい日とかあったよ」


 凛は何も言えなかった。


 真白が、自分と同じような苦しさを抱えていたなんて想像していなかった。


「……今は?」


 恐る恐る聞く。


 真白は少し考えてから答えた。


「今も、完全に平気ではないかな」


 そう言って笑う。


 無理に明るくしない笑い方だった。


「でも、“無理して普通になろうとすること”は減った」


「……」


「それだけでも、少し楽になる」


 凛はその言葉を静かに聞いていた。


 無理して普通になろうとしない。


 そんな生き方、考えたこともなかった。


 普通になれない自分は、努力不足なのだと思っていたから。


「凛ちゃん」


 真白が静かに呼ぶ。


「ちゃんとできない日があっても、人として駄目になるわけじゃないよ」


 その瞬間、凛の目の奥が熱くなった。


 ちゃんとできない。


 その言葉を、凛はずっと恐れていた。


 失敗。


 迷惑。


 弱さ。


 そういうものだと思っていた。


 けれど真白は、それを否定しなかった。


 ただ、「それでもいい」と言った。


 凛は俯いたまま、小さく息を吐く。


 その息は、今日初めて少しだけ深かった。


 窓の外では、雨上がりの空に薄い夕焼けが滲んでいた。


 凛はぼんやりその光を見つめながら思った。


 もしこの人がいなかったら。


 自分はきっと、ずっと「弱い自分」を責め続けていた。


 そして今も、責め続けている。


 けれど真白の言葉は、凛の中の何かを少しずつ変え始めていた。


 まだ怖い。


 まだ苦しい。


 それでも。


 自分の痛みを、「なかったこと」にしなくていいのかもしれないと、ほんの少しだけ思えた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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