第55ページ 救いたいなんて、思ってしまった
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
深夜一時過ぎ。
凛はまだ眠れていなかった。
部屋の電気は消している。
カーテンの隙間から、街灯の薄い光だけが差し込んでいた。
今日はずっと、真白の言葉を考えていた。
――壊れたからこそ、“壊れそうな人”へ気づけるようになった。
その言葉は、凛の胸へ静かに残っている。
昔の自分なら。
誰かの苦しさへ気づく余裕なんてなかった。
でも最近は違う。
“平気なふり”の空気がわかる。
無理して笑っている人がわかる。
それは多分、自分もずっとそうしてきたからだった。
スマートフォンが震える。
画面を見る。
灯だった。
『起きてる?』
短いメッセージ。
でも。
その文字を見た瞬間、凛の胸がざわつく。
こんな時間に連絡してくる時の灯は、大体しんどい時だ。
『起きてるよ』
すぐ返信する。
既読。
でも、次のメッセージが来ない。
凛は少し身体を起こす。
胸がざわざわする。
数分後。
やっとメッセージが届いた。
『なんか今日、消えたくなってる』
その文字を見た瞬間、凛の呼吸が止まりそうになる。
胸が強く痛む。
灯は以前から、“消えたい”を隠さない人だった。
でも。
こうして直接言われると、やっぱり怖い。
『何かあった?』
凛が送る。
少し間が空く。
『わかんない』
『急に全部無理になった』
凛はスマートフォンを握りしめる。
わかる。
本当に。
理由がなくても、突然全部が無理になる夜がある。
何もしてないのに苦しくなる夜。
『ちゃんと息できてる?』
凛はゆっくり打つ。
『ギリ』
その返事を見て、少しだけ息を吐く。
でも不安は消えない。
凛は迷う。
何を言えばいいんだろう。
“頑張って”は違う。
“大丈夫”も違う。
灯はきっと、そんな言葉では救われない。
『今、一人?』
『うん』
『そっか』
凛は画面を見つめながら、小さく唇を噛む。
怖かった。
灯が、本当に消えてしまうんじゃないかと。
そんな考えが頭をよぎる。
その時、凛は気づく。
自分は今、“灯に生きていてほしい”と思っている。
強く。
苦しいくらいに。
その感情に気づいた瞬間、胸がざわついた。
――救いたい。
そんな言葉が頭をよぎる。
でも同時に、怖くなる。
自分に誰かを救えるわけがない。
自分だって、まだ苦しいのに。
凛は深呼吸して、ゆっくり文字を打った。
『今日、何が一番しんどい?』
送信。
少し長く間が空く。
やがて、ぽつりぽつりと灯から言葉が返ってきた。
『頑張っても意味ない気がする』
『普通になれないし』
『社会怖いし』
『なんか、生きるの向いてない』
その文字たちを見ながら、凛の胸が強く痛む。
昔の自分みたいだった。
いや。
今の自分も、まだ少しそう思っている。
『……向いてないって思う時、私もある』
凛は正直に送る。
『ほんと?』
『うん』
『毎日ちゃんと生きれる人、すごいって思う』
送信。
灯から少しだけ返信が遅れる。
『凛ちゃんでもそう思うんだ』
その言葉に、凛は少し苦笑した。
“凛ちゃんでも”。
多分灯の中で、凛は少し“ちゃんとしてる側”に見えているのだろう。
でも違う。
凛だって、ずっと苦しい。
『私も全然ちゃんとしてないよ』
『最近やっと、“苦しい”って言えるようになっただけ』
送信。
数秒後。
『それでも、凛ちゃんは生きようとしてる感じする』
そのメッセージを見た瞬間、凛の胸が大きく揺れる。
生きようとしてる。
以前の自分なら、そんなふうに思えなかった。
でも最近は。
苦しいままでも、“もう少し生きてみたい”と思う瞬間がある。
それはきっと。
真白や灯や七海が、“苦しい自分”を否定しなかったからだ。
『灯ちゃん』
凛はゆっくり文字を打つ。
『今すぐ元気にならなくてもいいと思う』
送信。
『でも、消えないでほしい』
その言葉を送った瞬間、凛の胸が強く鳴った。
重いと思われるかもしれない。
怖い。
でも本音だった。
灯には、生きていてほしかった。
少し間が空く。
既読。
凛は不安になる。
余計なことを言っただろうか。
その時。
『……そう言われると、ちょっと泣きそう』
灯から返ってくる。
凛は静かに目を閉じる。
救えたわけじゃない。
灯の苦しみは消えていない。
でも。
“消えないで”と言葉にしたことは、間違いじゃなかった気がした。
『ごめんね、こんな時間に』
灯が送る。
『ごめんじゃないよ』
凛はすぐ返す。
『しんどい時、一人じゃない方がいい』
送信。
その言葉を書いた瞬間、凛は少し驚く。
以前の自分なら、絶対言えなかった。
“迷惑かもしれない”が先に来ていたから。
『……ありがとう』
灯から届く。
『なんか少しだけ呼吸戻ってきた』
凛は小さく息を吐いた。
よかった。
本当に。
その安心に気づいた瞬間、凛は胸へ手を当てる。
誰かを救いたいなんて、思ってしまった。
でも。
多分それは、“全部背負いたい”とは違う。
苦しい人へ、“一人じゃない”と言いたいだけだ。
昔、自分が欲しかった言葉を。
今は少しずつ、誰かへ返したいと思い始めている。
部屋は静かだった。
夜はまだ長い。
それでも。
凛はスマートフォンを握りしめながら、静かに思う。
苦しいままでも。
誰かと繋がっていられる夜があるのだと。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




