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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第54ページ 第一章 壊れた人にしかわからない痛み


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 その日の夕方。


 凛は『cafe 月灯り』へ向かっていた。


 大学で出会った女子学生のことが、ずっと頭に残っている。


 “みんなやってるし”。


 “自分だけ上手くできない”。


 その言葉たちは、昔の凛そのものだった。


 でも。


 今日の凛は、あの子へ「休んでもいい」と言えた。


 それが少し不思議だった。


 以前の自分なら、きっとそんな言葉は出てこなかった。


 苦しいなら頑張るしかない。


 みんなそうしている。


 そう思っていたから。


 店の扉を開ける。


 ベルの音。


 真白がカウンターの奥から顔を上げた。


「おかえり」


 その言葉に、凛は少しだけ笑う。


 “おかえり”と言われる場所があることに、まだ少し慣れない。


「疲れた顔してる」


「今日ちょっと色々あって」


 凛はカウンター席へ座る。


 真白は温かい紅茶を用意しながら、「何あったの?」と静かに聞いた。


 凛は昼間のことを話す。


 ベンチに座っていた女子学生。


 就活に追い詰められていたこと。


 “無理かもしれない”と言っていたこと。


 真白は途中で口を挟まず、静かに聞いていた。


「……なんか」


 凛はカップの湯気を見つめながら言う。


「昔の自分見てるみたいだった」


 真白は小さく頷く。


「そっか」


「でも、前の私なら絶対声かけられなかった」


 凛は少し苦笑する。


「自分も余裕なかったから」


 本当にそうだった。


 昔は、自分が生き延びることで精一杯だった。


 誰かの苦しさへ気づく余裕なんてなかった。


「凛ちゃん、変わったね」


 真白が穏やかに言う。


 凛は少し視線を落とす。


「……そうかな」


「うん」


 真白は紅茶を凛の前へ置いた。


「前より、“苦しんでる人の空気”わかるようになってる」


 その言葉に、凛の胸が少し揺れる。


 苦しんでる人の空気。


 今日のあの子の、“大丈夫じゃないのに大丈夫って言う感じ”。


 凛には痛いほどわかった。


「なんでわかるんだろ」


 凛が小さく呟く。


 真白は少しだけ笑った。


「自分も苦しかったからじゃない?」


 その答えに、凛は静かに目を伏せる。


 苦しかった。


 本当に。


 だからこそ、あの“無理して笑う感じ”がわかってしまう。


「俺もさ」


 不意に真白がぽつりと言う。


「昔、人の“壊れかけてる空気”全然わかんなかった」


 凛は顔を上げる。


「え?」


「自分が壊れる前は、“頑張ればなんとかなる”側だったから」


 その言葉に、凛は少し驚いた。


 真白は今、とても柔らかい。


 でも。


 昔からそうだったわけじゃないのだ。


「働いてた時」


 真白は静かな声で続ける。


「俺、かなり“ちゃんとする側”だった」


 仕事もできた。


 空気も読めた。


 期待にも応えていた。


「だから、“しんどい”って言う人見ても、最初は正直わかんなかった」


 凛は黙って聞く。


「“休めばいいじゃん”とか、“考えすぎじゃない?”って普通に思ってた」


 その言葉は、三崎と少し似ていた。


 悪意はない。


 でも、“まだ壊れたことがない側”の言葉。


「でもある時、急に駄目になった」


 真白は苦笑する。


「ほんと突然」


 眠れなくなった。


 人と話せなくなった。


 電車にも乗れなくなった。


「その時初めてわかったんだよね」


 真白は窓の外を見ながら言う。


「“頑張れない人”って、本当に頑張れない時あるんだって」


 凛の胸が静かに痛む。


 “頑張ればいい”では越えられない苦しさ。


 それを真白は、自分で壊れて初めて知ったのだ。


「壊れる前の俺、結構嫌なやつだったと思う」


 真白は苦笑した。


「正論ばっか言ってたし」


 凛は少し笑う。


「今は?」


「今は……」


 真白は少し考えてから言った。


「“苦しい人って、ちゃんと理由あって苦しいんだな”って思う」


 その言葉が、凛の胸へゆっくり落ちる。


 昔の凛は、自分の苦しさにも理由を与えられなかった。


 弱いから。

 頑張れないから。

 普通じゃないから。


 そうやって全部、自分のせいにしていた。


 でも今は少し違う。


 疲れすぎていた。

 無理しすぎていた。

 ずっと、自分を否定し続けていた。


 苦しいには、ちゃんと理由があった。


「……壊れた経験って」


 凛はぽつりと言う。


「無駄じゃないのかな」


 真白は少し目を細めた。


「無駄だった部分もあるよ」


「え?」


「しんどいし、失ったものもあるし」


 真白は苦笑する。


「でも」


 そこで少しだけ表情が柔らかくなる。


「壊れたからこそ、“壊れそうな人”へ気づけるようになった部分はある」


 凛は静かに息を止める。


 今日、自分があの女子学生へ声をかけたこと。


 それはきっと。


 昔の自分の苦しさを、少し知っているからだった。


「苦しんだ人ってさ」


 真白は静かに言う。


「前みたいには戻れないけど、その代わり“見えるもの”変わる時あるんだよね」


 店内には穏やかな音楽が流れている。


 凛は温かい紅茶を両手で包みながら、ぼんやり思う。


 昔の自分は、“普通になれないこと”ばかり苦しかった。


 でも今は。


 苦しかったからこそ、わかる痛みがある。


 無理して笑う空気。

 “平気なふり”の苦しさ。

 助けてと言えない孤独。


 それらを、少しだけ感じ取れるようになっている。


「……なんか変な感じ」


 凛が小さく笑う。


「前まで、自分のことで精一杯だったのに」


 真白も少し笑った。


「人って、少し余裕できると他人見えるようになるからね」


 余裕。


 まだほんの少しだ。


 それでも。


 “壊れないように生きたい”と思い始めた凛は、少しずつ他人の痛みにも目を向けられるようになっていた。


 窓の外では、夜の街が静かに光っている。


 凛はその光を見つめながら思う。


 苦しかった過去は消えない。


 壊れかけた記憶も消えない。


 でも。


 その痛みはいつか、誰かを理解するための優しさへ変わっていくのかもしれなかった。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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