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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第49ページ  帰る場所が、苦しかった


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 日曜日の朝。


 凛は電車へ揺られながら、ぼんやり窓の外を見ていた。


 今日は久しぶりに実家へ帰る。


 母から、「たまには顔見せなさい」と連絡が来たのだ。


 断ろうか迷った。


 でも。


 最近、母と少しだけ話せるようになってきたこともあって、凛は帰ることを選んだ。


 それでも、胸は重かった。


 電車が見慣れた駅へ近づくたび、呼吸が少し浅くなる。


 子どもの頃から見ていた景色。


 何度も通った道。


 それなのに。


 “帰ってきた”より先に、“苦しい”が浮かぶ。


 駅を出る。


 冷たい風。


 住宅街の静かな空気。


 凛は小さく息を吐きながら歩き始めた。


 昔、この道を毎日歩いていた。


 学校帰り。


 俯きながら。


 “今日はちゃんとできただろうか”と考えながら。


 家へ着く。


 インターホンを押す前から、胃の奥が少し痛い。


 ガチャ、と扉が開く。


「凛」


 美咲が顔を出した。


「あ……久しぶり」


「寒かったでしょ。入りなさい」


 その声は以前より少し柔らかい。


 でも。


 凛の身体はまだ無意識に緊張していた。


 玄関へ入る。


 懐かしい匂い。


 柔軟剤と料理の匂いが混ざった空気。


 それだけで、昔の記憶が一気に蘇る。


 “普通にしなさい”。


 “ちゃんとして”。


 “なんでみんなみたいにできないの”。


 何度も聞いた言葉。


 凛は靴を脱ぎながら、小さく息を飲む。


「ご飯できてるから」


 美咲がキッチンへ向かう。


 凛はリビングへ入った。


 テレビの音。


 時計の針。


 変わらない部屋。


 でも。


 自分だけが、もう昔と少し違ってしまった気がした。


「座って」


 テーブルには、凛の好きだったハンバーグが並んでいた。


 美咲なりに、気を遣っているのだとわかる。


「……ありがとう」


 凛が小さく言うと、美咲は少しだけ笑った。


「ちゃんと食べてる?」


「まあ……」


「痩せた?」


「そうかな」


 そんな普通の会話。


 でも凛は、その“普通”すら少し緊張してしまう。


 昔から。


 この家では、常に“ちゃんとしている自分”を求められている気がしていた。


 食事をしながら、凛はぼんやり部屋を見回す。


 昔と何も変わっていない。


 でも。


 今の凛には、この空間そのものが少し息苦しく感じた。


「大学は?」


 美咲が聞く。


「……ぼちぼち」


「就活とか大変なんでしょ」


 その言葉に、凛の胸が少しだけ強張る。


 就活。


 未来。


 社会。


 その単語は今でも怖い。


「まあ……」


 曖昧に答える。


 すると美咲は少し黙ったあと、静かに言った。


「無理しすぎないのよ」


 凛は思わず顔を上げる。


 以前なら。


 きっと、「頑張りなさい」と言われていた。


 でも今は違う。


 その小さな変化が、不思議だった。


「……うん」


 凛は小さく頷く。


 食事が終わったあと、凛は自分の部屋へ入った。


 高校卒業まで使っていた部屋。


 机も。


 本棚も。


 カーテンも。


 昔のままだった。


 凛はベッドへ腰を下ろす。


 胸がざわざわする。


 ここにいると、“昔の自分”へ戻りそうになる。


 空気を読んで。

 怒られないようにして。

 “ちゃんとした娘”でいようとする自分。


 凛は机の引き出しをぼんやり開ける。


 古いノートが入っていた。


 高校時代のものだ。


 なんとなく開く。


 授業のメモ。


 予定。


 その隅に、小さな字で書かれていた。


『ちゃんとしなきゃ』


 凛は息を止める。


 ページをめくる。


『普通になりたい』


『迷惑かけないように』


『頑張る』


 その文字を見た瞬間、胸が強く痛んだ。


 苦しかったのだ。


 あの頃の自分は。


 でも。


 当時は、それが普通だった。


 苦しいとも思わず。


 ただ、“ちゃんとしなきゃ”だけで生きていた。


 凛はノートを閉じる。


 目の奥が熱い。


「……頑張ってたんだ」


 小さく呟く。


 誰にも言えなかった。


 でも本当は、ずっと苦しかった。


 その時、ドアが軽くノックされた。


「凛?」


 美咲だった。


「入っていい?」


「うん」


 美咲は部屋へ入ると、凛の手元のノートを見た。


「ああ、それまだあったんだ」


 凛は静かにノートを閉じる。


「……昔の私、“ちゃんとしなきゃ”しか書いてなかった」


 美咲は少し黙る。


 それから、苦しそうに笑った。


「お母さん、言いすぎてたね」


 凛は何も言わない。


「でもね」


 美咲は静かに続ける。


「お母さんも、“ちゃんとしてないと駄目”って育てられたの」


 その言葉が、部屋の中へ静かに落ちる。


「だから、凛にも同じこと言っちゃってた」


 美咲は視線を落とす。


「それが愛情だと思ってたから」


 凛は胸の奥がじわりと痛むのを感じた。


 母もまた、“普通”に縛られていた。


 だから。


 凛を守ろうとして、苦しめてしまった。


「……私ね」


 凛はゆっくり言う。


「最近、“ちゃんとしなきゃ”って思うと苦しくなる」


 美咲は静かに聞いている。


「でも、それやめるのも怖い」


 頑張らない自分。

 普通じゃない自分。


 それを認めるのは、今でも怖かった。


 美咲は少しだけ目を細めた。


「凛」


「?」


「お母さん、最近思うの」


 その声は、どこか弱かった。


「ちゃんとしてなくても、生きててくれればよかったんだって」


 凛は息を止める。


 その言葉を、昔聞きたかった。


 ずっと。


 ずっと。


 “普通”じゃなくてもいいと言ってほしかった。


 気づけば、涙が静かに溢れていた。


 凛は慌てて顔を伏せる。


 美咲は何も言わなかった。


 ただ、静かにそこにいた。


 帰る場所が苦しかった。


 でも。


 その苦しさの中にも、小さく変わり始めているものがある気がした。


 “普通になれなかった娘”としてではなく。


 “苦しみながら生きてきた一人の人間”として。


 少しずつ。


 母と向き合い始めているのかもしれなかった。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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