第46ページ 一人で頑張らなくてもいいのかな
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
講義が終わる頃には、空は薄く夕焼け色になっていた。
オレンジ色の光が、大学の窓をぼんやり染めている。
凛は廊下の窓際に立ちながら、小さく息を吐いた。
今日は疲れた。
でも。
前みたいな“限界まで無理した疲れ”とは少し違っていた。
途中で外へ出た。
苦しいと言った。
休んだ。
それだけで、こんなに消耗が違うのかと、凛は少し驚いていた。
「凛ちゃーん」
後ろから七海の声がする。
振り返ると、七海が鞄を肩へ掛けながら歩いてきた。
「大丈夫?」
「……うん」
凛は少し笑う。
「休んだら、ちょっと落ち着いた」
「そっか」
七海は安心したように頷いた。
「帰る?」
「うん」
二人は並んで校舎を出る。
秋の夕方は少し冷たい。
風が吹くたび、落ち葉が足元を転がっていく。
「今日さ」
七海がぽつりと言う。
「教授にちゃんと言えたの、結構すごいと思った」
凛は少し目を瞬かせる。
「え?」
「“しんどい”って」
凛は視線を落とした。
確かに、以前の自分なら絶対言えなかった。
どれだけ苦しくても、“大丈夫です”で終わらせていた。
「……なんか、勝手に言葉出た」
凛が小さく言うと、七海は苦笑する。
「でも、前の凛ちゃんだったら絶対無理だったでしょ」
その言葉に、凛は静かに頷く。
昔の自分。
苦しいを隠して。
倒れる寸前まで無理をして。
それが“ちゃんとしてる”ことだと思っていた。
「……最近」
凛は少し迷いながら言う。
「“助けてほしい”って思う時ある」
その言葉を口にした瞬間、胸が少しざわついた。
“助けてほしい”。
そんな感情、ずっと押し込めてきたから。
七海は黙って聞いている。
「前までは、“自分で頑張らなきゃ”しかなかった」
迷惑をかけたくない。
重いと思われたくない。
弱い人間になりたくない。
だから、一人で抱え込むしかなかった。
「でも最近、一人だと無理な時あるってわかってきた」
その声は小さかった。
でも本音だった。
真白。
灯。
七海。
凛は少しずつ、“助けられる経験”を知り始めている。
七海はしばらく空を見上げていた。
それからぽつりと言う。
「私も、人頼るの苦手」
凛は少し驚く。
「そうなの?」
「めちゃくちゃ」
七海は苦笑する。
「なんか、“一人でできないと駄目”って思っちゃう」
その感覚がわかる。
頼ること=弱さ。
そんな感覚が、凛たちの中にはずっとあった。
「でもさ」
七海は歩きながら続ける。
「一人で頑張ってる時って、限界わかんなくならない?」
凛の胸が小さく揺れる。
限界。
凛はずっと、自分の限界を無視してきた。
まだ頑張れる。
もっと耐えられる。
そう思い込んで。
でも本当は。
ずっと苦しかった。
「私この前、家で急に泣いたんだよね」
七海が笑いながら言う。
「え?」
「なんかもう疲れすぎて」
その笑い方は、少し寂しかった。
「でも親に“なんで泣いてんの?”って言われて、“わかんない”って答えた」
凛は静かに聞く。
「ほんとにわかんなかったの」
七海は視線を落とす。
「ずっと平気なふりしてたから」
その言葉に、凛の胸がじわりと痛む。
平気なふり。
それは凛も、ずっとやってきたことだった。
だから。
自分がどれだけ苦しいのか、自分でもわからなくなっていた。
「なんか最近さ」
七海が苦笑する。
「“ちゃんとできない日ある”って認める方が、しんどい気がする」
凛は静かに頷く。
わかる。
無理してる時は、“頑張ればいい”だけだった。
でも今は違う。
苦しいこと。
限界なこと。
助けが必要なこと。
それを認め始めている。
それは、痛い。
でも。
少しだけ、本当の自分に近づいている感じもした。
駅前へ着く。
人混み。
明るい看板。
仕事帰りの人たち。
みんな疲れた顔で歩いている。
凛はぼんやりその光景を見ながら思う。
本当はみんな、少しずつ無理しているのかもしれない。
でも。
その中で、“助けて”を言える人は少ない。
「ねえ凛ちゃん」
七海が急に言う。
「この前より、ちょっと顔柔らかくなった」
「え?」
「前もっと、“ちゃんとしなきゃ”って顔してた」
凛は少し戸惑う。
そんなふうに見えていたのだろうか。
「今も頑張りすぎなとこあるけど」
七海は笑った。
「でも最近、“苦しい”ちゃんと言うようになったじゃん」
凛は静かに目を伏せる。
苦しい。
助けて。
無理。
今まで、そんな言葉を口にするのが怖かった。
でも。
言っても、すぐ全部壊れるわけじゃなかった。
嫌われるわけでもなかった。
むしろ。
少しだけ、“本当の自分”に近づける気がした。
「……まだ怖いけどね」
凛が小さく言うと、七海は頷く。
「そりゃ怖いよ」
そして少し笑った。
「でも、一人で壊れるよりマシじゃない?」
その言葉に、凛の胸が静かに揺れる。
一人で壊れる。
真白も。
灯も。
きっとずっと、一人で耐えてきた。
凛も同じだった。
でも今は。
少しだけ違う。
苦しいと言える人がいる。
休んでいいと言ってくれる人がいる。
それはきっと。
“弱さ”じゃなく、“生き延びるために必要なこと”なのかもしれなかった。
電車がホームへ滑り込む音がする。
凛はその音を聞きながら、小さく息を吐く。
一人で頑張らなくてもいい。
その考えはまだ少し怖い。
でも。
壊れるまで我慢するよりは、ずっと優しい気がしていた。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




