第40ページ 会いたいと思えたこと
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
灯と会う約束をしてから、凛はずっと落ち着かなかった。
スマートフォンを見る回数が増える。
メッセージが来ていないか確認して。
また閉じて。
数分後にもう一度開く。
そんなことを繰り返していた。
自分でも少し驚いている。
誰かと会う約束をして、こんなふうにそわそわするのは久しぶりだった。
怖い。
でも。
会いたいとも思っている。
その感情が、凛には不思議だった。
大学の帰り道。
空は灰色だった。
夕方前の曇り空。
少し冷たい風が吹いている。
凛は『cafe 月灯り』へ向かいながら、胸の奥のざわつきを抱えていた。
扉を開ける。
ベルの音。
「いらっしゃい」
真白が顔を上げる。
凛はカウンター席へ座り、小さく息を吐いた。
「なんか今日、落ち着かない顔してる」
真白が少し笑う。
凛は苦笑した。
「……わかる?」
「かなり」
図星だった。
凛は鞄を膝へ抱えたまま、小さく言う。
「明日、灯ちゃんと会う」
真白は少し目を丸くする。
「おお」
「初めて」
「うん」
凛は視線を落とす。
「なんか……怖い」
その本音を口にした瞬間、胸が少し苦しくなる。
灯とはたくさん話してきた。
“消えたい”とか。
“普通が苦しい”とか。
“壊れそう”とか。
でもそれは、画面越しだった。
実際に会って。
もし気まずくなったら。
嫌われたら。
“思ってた人と違う”と思われたら。
凛はそういうことばかり考えてしまう。
「でも会いたいんでしょ?」
真白が静かに聞く。
凛は少しだけ黙ったあと、小さく頷いた。
「……うん」
その瞬間、自分で少し驚く。
“会いたい”。
その感情を、ちゃんと認められたことに。
今までの凛は、人と深く関わるのが怖かった。
嫌われるのが怖い。
疲れるのが怖い。
期待されるのが怖い。
だから距離を取ってきた。
でも灯には、少し会ってみたいと思えた。
「それって結構すごいことだと思う」
真白が穏やかに言う。
「え?」
「凛ちゃん、最近まで“人と関わる=疲れる”がかなり強かったから」
凛は静かに目を伏せる。
確かにそうだった。
人といると疲れる。
空気を読みすぎてしまう。
気を遣いすぎてしまう。
だから一人の方が楽だった。
でも。
寂しかった。
「……灯ちゃんとは、なんか違う」
凛はぽつりと言う。
「無理して話さなくていい感じする」
真白は少し笑った。
「安心できるんだね」
安心。
その言葉が胸へ静かに落ちる。
凛は今まで、“人といて安心する”感覚をあまり知らなかった。
嫌われないように。
変だと思われないように。
ずっと気を張っていたから。
「でも怖い」
凛は正直に言う。
「会って、嫌われたらどうしようって思う」
真白は少しだけ黙った。
それから静かな声で言う。
「凛ちゃん、人を信じるの怖いんだよね」
その言葉に、凛はハッとする。
人を信じる。
確かに怖かった。
期待して。
近づいて。
そのあと離れていかれるのが。
だから最初から距離を取っていた。
「俺も昔そうだった」
真白がぽつりと言う。
「誰かと仲良くなるほど、“いつ嫌われるんだろ”って思ってた」
凛は静かに聞く。
「だから、深く関わる前に自分から離れたりしてた」
その感覚がわかってしまう。
傷つく前に逃げる。
嫌われる前に距離を取る。
凛もずっとそうだった。
「でもさ」
真白は穏やかな声で続ける。
「信じるのって、結局怖いままなんだと思う」
凛は少し目を瞬かせる。
「怖くなくなるわけじゃないの?」
「うん」
真白は苦笑した。
「“傷つくかもしれない”は消えない」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
確かにそうだ。
人と関われば、傷つく可能性がある。
わかり合えないこともある。
離れていくこともある。
「でも」
真白は小さく笑った。
「それでも、“会いたい”って思える人ができる時ある」
凛は静かに俯く。
灯のことを思い浮かべる。
不器用な言葉。
“消えたい”を隠さないところ。
生きることに疲れている感じ。
それでも。
凛は、もっと話したいと思った。
「……私」
凛はゆっくり言葉を探す。
「最近、“一人の方が楽”だけじゃなくなってきた」
その本音を口にした瞬間、胸が少し熱くなる。
一人は楽だ。
でも。
本当はずっと、誰かと繋がりたかったのかもしれない。
苦しいと言って。
わかると言われて。
ここにいていいと思いたかった。
「それ、かなり大きい変化だよ」
真白が静かに言う。
凛は小さく笑う。
「でもまだ怖い」
「うん。そりゃ怖い」
真白は頷く。
「でも、“怖いけど会いたい”って思えるの、多分ちゃんと灯ちゃんを大事に思ってるってことだと思う」
その言葉に、凛の胸がじわりと熱くなる。
大事。
そんなふうに誰かを思うこと。
それを認めるのは少し恥ずかしかった。
でも。
灯には、消えてほしくなかった。
ちゃんと生きていてほしいと思った。
多分、自分も同じように思われたかった。
店の窓には、夜が映り込んでいる。
凛はぼんやりその景色を見ながら、小さく息を吐く。
人を信じるのは怖い。
傷つくかもしれない。
離れていくかもしれない。
それでも。
“会いたい”と思えたことを、今は少しだけ大切にしたかった。
それはきっと。
凛の中で、何かが少しずつ変わり始めている証だった。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




