第39ページ 画面の向こうの孤独
「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」
誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。
ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。
そんな“生きづらさ”を、
「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。
この物語は、
“普通”になれなかった人たちの物語です。
誰にも言えない孤独。
理解されない苦しさ。
消えたいわけじゃないのに、
この世界にうまく馴染めない感覚。
主人公・朝比奈凛は、
そんな痛みを抱えながら生きています。
けれど、
生きづらさには、理由があります。
そして、
名前のつかない痛みにも、
いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。
この物語が、
今苦しんでいる誰かの心に、
小さな灯りとして残りますように。
夜の部屋は静かだった。
窓の外では、小さく雨が降っている。
十月の雨は冷たい。
凛はベッドへ座り、ぼんやりスマートフォンを眺めていた。
今日は七海と話した。
“羨ましい”という感情を、初めてちゃんと口にした。
それは少し苦しかったけれど、どこか安心もしていた。
黒い感情を持っている自分を、完全には嫌いにならずに済んだから。
スマートフォンが震える。
灯だった。
『今日しんどい』
最近、灯から届くメッセージは少し短い。
前よりも、“隠さなくなった”感じがする。
『大丈夫?』
凛が返す。
既読。
でも返事はなかなか来なかった。
凛は少し不安になる。
灯は時々、突然消える。
数時間返事が来なくなることもある。
その度に凛は、どこか怖くなった。
やっと数分後、返信が届く。
『人と会った』
『疲れた』
凛は少し息を吐く。
それだけで安心している自分がいた。
『嫌なことあった?』
そう送ると、灯はしばらく既読のままだった。
やがて。
『みんな普通に生きててしんどかった』
その言葉に、凛の胸が静かに痛む。
普通に生きている人たち。
その存在が、時々苦しくなる。
凛にもよくわかる感覚だった。
『楽しそうに恋愛して』
『将来の話して』
『普通に笑って』
『なんか、別の生き物みたいだった』
凛はスマートフォンを見つめる。
灯の言葉は、時々怖いくらい本音だった。
飾らない。
誤魔化さない。
だからこそ、痛い。
『……わかる』
凛は小さく返す。
本当は、わかると言っていいのかわからない。
でも。
“普通の輪”の中で、自分だけ異物みたいに感じる瞬間を、凛も知っていた。
『凛ちゃんも?』
『うん』
『今日、大学で楽しそうな人たち見て苦しくなった』
送信。
少し間が空く。
『私たちさ』
灯から届く。
『“普通”を見すぎて壊れてる気する』
その言葉が、胸へ深く沈む。
普通。
ずっと見続けてきた。
追いかけてきた。
でも近づこうとするほど、自分が苦しくなる。
『ねえ』
灯からまたメッセージ。
『今度会う?』
凛は一瞬、呼吸を止めた。
会う。
画面越しじゃなく。
実際に。
凛はスマートフォンを握りしめる。
怖かった。
灯は凛にとって、大切な存在になり始めている。
だからこそ。
実際に会って、嫌われたらどうしようと思った。
重いと思われたら。
面倒だと思われたら。
でも。
会ってみたいとも思った。
『……会いたい』
凛はゆっくり送信する。
数秒後。
『よかった』
その短い言葉に、凛の胸が少し温かくなる。
『私も』
凛は小さく笑った。
画面越しで何度も話してきた。
“消えたい”とか。
“苦しい”とか。
“普通が怖い”とか。
そんな話をできる人は、今までいなかった。
『でも私、結構暗いよ』
灯から届く。
凛は少し笑ってしまう。
『知ってる』
『失礼』
そのやり取りが、少しだけ心地いい。
『凛ちゃんは?』
『え?』
『会ったら幻滅するタイプ?』
凛は少し考える。
自分は、多分“会うと疲れてる人”だ。
SNSみたいに綺麗じゃない。
上手く話せない。
気を遣いすぎる。
『……静かだと思う』
そう送ると、灯はすぐ返した。
『安心した』
『うるさい人苦手』
凛は吹き出した。
少しだけ笑ったあと、胸がじわりと熱くなる。
こんなふうに、“無理して明るくならなくていい会話”ができる人がいる。
そのことが、不思議だった。
『ねえ』
灯からまたメッセージが来る。
『凛ちゃんって、“ちゃんとした人”に見える』
凛は目を瞬かせる。
『全然だよ』
『でもそう見える』
灯は続ける。
『だから最初、私みたいなの嫌いそうって思ってた』
その言葉に、凛は少し驚く。
『なんで?』
『消えたいとか言う人、普通の人って嫌うじゃん』
凛は息を止めた。
その感覚を、灯はずっと抱えて生きてきたのだ。
“重い人間”。
“面倒な人間”。
そう思われる怖さ。
『……嫌いじゃない』
凛はゆっくり打ち込む。
『むしろ、灯ちゃんと話してると少し楽』
送信した瞬間、少し恥ずかしくなる。
でも本音だった。
灯といると、“普通”を演じなくていい。
苦しいと言っていい。
消えたいと言っても、否定されない。
少し間が空いて。
『それ、ちょっと泣きそう』
灯から返ってきた。
凛の胸が静かに揺れる。
画面の向こう。
そこにいる灯も、多分ずっと孤独だった。
わかってもらえないまま。
苦しいを飲み込んで。
普通の世界から少し浮きながら生きてきた。
『今度、静かなとこで会お』
灯が送る。
『人多いと死ぬから』
凛は少し笑った。
『私も』
『仲間』
その文字を見ながら、凛は小さく息を吐く。
画面越しでは見えない孤独がある。
楽しそうな投稿の裏。
軽い言葉の裏。
そこに隠れていた苦しさを、凛は少しずつ知り始めている。
そして。
自分だけが“普通になれない側”じゃないことも。
雨音が静かに窓を叩く。
凛はスマートフォンを胸へ抱えながら、ぼんやり思う。
“わかってほしい”と願っていたのは。
きっと自分だけじゃなかったのだ。
『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は、
「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。
世の中には、
頑張っても周囲に馴染めなかったり、
人より敏感に傷ついてしまったり、
誰かの期待に応えようとして、
自分を見失ってしまう人がいます。
けれど、
それは決して“弱さ”ではありません。
誰にも見えない場所で、
必死に息をして、
壊れそうになりながら今日を生きている。
それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。
凛が少しずつ、
自分の痛みに向き合い、
「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、
この物語が、
誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。
あなたの苦しさには、
ちゃんと理由があります。
そして、
その痛みを抱えたままでも、
人は誰かと出会い、
少しずつ生きていけるのだと、
この作品を通して伝えられていたら幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




