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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第29ページ  お母さんも、怖かった


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。



 真白の店を出る頃には、外はすっかり夜になっていた。


 昼間より少し冷えた空気。


 九月の風が、街路樹を静かに揺らしている。


 凛はスマートフォンを握ったまま、駅までの道をゆっくり歩いていた。


 画面には、母からの返信。


『そう』


 短い一言。


 そのあと、少し時間を空けてもう一通届いていた。


『無理しないでね』


 凛は立ち止まる。


 胸の奥が、少しざわついた。


 責められると思っていた。


 また、「頑張りなさい」と言われると思っていた。


 でも返ってきたのは、“無理しないで”。


 その優しさが、逆に苦しかった。


 母は、本当に悪い人ではない。


 凛のことを心配している。


 ちゃんと生きてほしいと思っている。


 だからこそ、“普通”を願う。


 凛は最近、そのことが少しずつわかるようになっていた。


 アパートへ帰る。


 狭い部屋。


 静かな空気。


 凛は鞄を置き、そのまま床へ座り込んだ。


 疲れていた。


 でも今日は、以前のような“空っぽになる疲れ”とは少し違う。


 心がずっと揺れている感じだった。


 真白の言葉。


 七海の言葉。


 灯の言葉。


 そして母の「無理しないでね」。


 全部が胸の中で混ざり合っている。


 凛はぼんやり天井を見つめた。


 ――お母さんも、怖いんだと思う。


 真白の言葉が頭に浮かぶ。


 社会から外れること。


 普通じゃなくなること。


 止まってしまうこと。


 美咲は、それを何より恐れている。


 凛は幼い頃を思い出していた。


 小学生の時。


 授業中にうまく発表できなくて、教室で泣いてしまったことがある。


 家へ帰ったあと、美咲は困った顔で言った。


『凛、もう少し強くならないと駄目よ』


 責める口調ではなかった。


 でも凛は、その言葉をずっと覚えている。


 強くならなければ。


 普通にできなければ。


 泣いてはいけない。


 そう思った。


 中学生の頃、クラスで少し浮いてしまった時も。


『高校行けば変わるわよ』


 高校で馴染めなかった時も。


『大学行けばきっと大丈夫』


 美咲はいつも、“次ならうまくいく”と言った。


 きっと、それしか言えなかったのだ。


 娘が苦しんでいることを認めるのが、怖かったから。


 凛は膝を抱えた。


 もし母が、「無理しなくていい」と言ってしまったら。


 凛が本当に止まってしまう気がしたのかもしれない。


 だから美咲は、“頑張れ”を手放せない。


 それは愛情で。


 でも同時に、不安だった。


 スマートフォンが震える。


 灯からだった。


『今日どうだった』


 凛は少し考えてから返信する。


『大学行った』


『えら』


 すぐ返ってくる。


 凛は少し笑う。


『でも教室入れなくて保健室いた』


 少し間が空いたあと、灯から返事が来た。


『それでも行ったんじゃん』


 凛は画面を見つめる。


 それでも行った。


 その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。


 今までの凛なら、“できなかった部分”しか見なかった。


 教室へ入れなかった。

 授業を受けられなかった。

 普通にできなかった。


 でも今日は違う。


 大学へ向かった。

 無理だと言えた。

 保健室へ行けた。


 “壊れなかった”。


 それも確かだった。


『最近ちょっとだけ思う』


 凛はゆっくり文字を打つ。


『私、ずっと“普通”になるの怖かったのかも』


 送信したあと、自分でも驚く。


 今まで、“普通になりたい”と思っていたはずだった。


 でも本当は。


 普通になれないことが怖かった。


 普通から外れることが怖かった。


『わかる』


 灯は短く返す。


『私はもう諦めてるけど』


 その一文に、凛は少し胸が痛む。


『諦めてる?』


『うん』


『普通の人生』


 凛は息を止める。


 普通の人生。


 友達がいて。

 恋人がいて。

 働いて。

 結婚して。

 ちゃんと生きる人生。


 灯は、そのレールから外れてしまったと思っているのだろうか。


『でもさ』


 灯から続けてメッセージが来る。


『最近ちょっとだけ思う』


『普通じゃなくても、生きてていいならそれでいいかもって』


 その言葉に、凛は静かに目を伏せる。


 普通じゃなくても、生きていていい。


 それは凛が、ずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。


 でも同時に、怖い。


 “普通”を手放すことは、社会から外れる気がするから。


 母が恐れていたものへ、自分も近づいていく気がするから。


『……怖くない?』


 凛が送ると、灯は少し時間を空けて返した。


『怖いよ』


『めちゃくちゃ』


『でも、無理して死にそうになる方がもっと怖かった』


 その言葉を見た瞬間、凛の胸が強く締めつけられる。


 無理して死にそうになる。


 灯は、本当にそこまで追い詰められたことがあるのだ。


 そして凛も最近、少しだけわかり始めている。


 “ちゃんとしなきゃ”だけで生き続けることの苦しさを。


 凛はスマートフォンを胸に抱える。


 部屋の中は静かだった。


 外では、遠くを走る電車の音が聞こえる。


 凛はぼんやり思う。


 母も怖かった。

 灯も怖い。

 七海も怖い。

 真白もきっと怖かった。


 みんな、自分なりに“普通”へしがみつきながら生きている。


 その中で。


 凛は少しずつ、“壊れない生き方”を探し始めている。


 まだ答えはわからない。


 でも。


 前みたいに、自分を置き去りにしてまで“普通”を演じることだけは、もうできない気がしていた。


 凛はベッドへ横になり、静かに目を閉じる。


 今日、母は「無理しないでね」と言った。


 たったそれだけの言葉。


 でもそこには、母自身の不安も、愛情も、全部混ざっていた気がする。


 凛は小さく息を吐く。


 苦しさはまだ消えない。


 でも最近。


 “苦しい理由”を、少しずつ見つけ始めている気がしていた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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