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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第21ページ  お母さんの正しさ


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 大学を休んでから三日が経っていた。


 凛はまだ、完全には回復していなかった。


 でも以前のように、「休んでいる自分」を責め続けることも少なくなっていた。


 朝、ちゃんと起きられなくても。

 何もできない時間があっても。

 それを“怠け”と決めつけないようにしている。


 真白の言葉。


 七海の「休める時休みな」。


 灯の「生きてるだけでいい日ある」。


 その全部が、少しずつ凛の中に残っていた。


 昼過ぎ。


 凛は珍しく、自分で簡単な昼食を作っていた。


 冷蔵庫にあった卵とご飯で、雑な炒飯を作る。


 味は薄かった。


 でも、「食べなきゃ」と思えるだけ、少し前よりましだった。


 その時、スマートフォンが震えた。


 母からだった。


 凛は一瞬だけ、指が止まる。


 少し迷ってから電話を取った。


「もしもし」


『凛?』


 美咲の声は明るかった。


『最近連絡少ないじゃない』


「ごめん」


『ちゃんとご飯食べてる?』


「……うん」


 少しだけ嘘だった。


『大学は? 夏休みでもゼミとかあるんでしょ?』


 凛は一瞬、返事に詰まる。


「……ちょっと休んでる」


 電話の向こうが静かになった。


『休んでるって?』


「最近ちょっと体調悪くて」


 また沈黙。


 その数秒が、凛には妙に長く感じた。


『病院行ったの?』


「そこまでじゃない」


『じゃあ気持ちの問題?』


 その言葉に、凛の胸が小さく揺れる。


 悪意はない。


 美咲は本当に心配しているだけだ。


 でも。


 “気持ちの問題”。


 その言葉は、凛の苦しさを曖昧にされる感覚がした。


『凛、考えすぎなのよ』


 美咲はため息混じりに言う。


『昔からそうじゃない』


 凛は黙って聞いていた。


『もっと肩の力抜いて生きなさい』


「……うん」


『みんな嫌なことあっても頑張ってるんだから』


 その瞬間。


 凛の胸の奥で、何かが小さく軋んだ。


 またその言葉だ。


 みんな頑張ってる。


 だからあなたも頑張りなさい。


 苦しくても。

 限界でも。

 ちゃんと動けなくても。


 凛は俯いた。


 少し前までなら、「私が弱いだけだ」と思っていた。


 でも今は違う。


 本当に限界だったのだと、少しずつ思えるようになっている。


『凛? 聞いてる?』


「……聞いてる」


『せっかく東京行ったのに、そんな引きこもってたら駄目よ』


 引きこもってたら駄目。


 その言葉に、凛は静かに唇を噛む。


 美咲にとって、“動けない”ことは危険だった。


 社会から外れること。

 普通から遅れること。

 それを、美咲は何より怖がっている。


 凛は最近、少しだけわかるようになっていた。


 母もまた、「普通」に縛られて生きてきた人なのだ。


 だから娘にも、「ちゃんとしていてほしい」と願う。


 それが愛情の形だから。


『凛は真面目なんだから、ちゃんとやればできる子なの』


 その言葉に、凛はふっと苦しくなる。


 真面目だから。


 ちゃんとやれば。


 できる子。


 もし、できなかったら。


 その時、自分には何が残るのだろう。


「……お母さん」


 気づけば、凛は口を開いていた。


『ん?』


「私、ちゃんとやろうとしてるよ」


 美咲が黙る。


 凛の声は小さかった。


 でも、その中には少しだけ震える感情が混ざっていた。


「ずっと頑張ってる」


『凛……』


「ちゃんとしようとしてる。でも……」


 喉が熱くなる。


「できない時、あるんだよ」


 沈黙。


 電話の向こうで、美咲が何か言いかけて止まる気配がした。


 凛はこんなふうに、自分の本音を母へ言ったことがほとんどなかった。


 嫌われたくなかった。

 困らせたくなかった。

 “面倒な娘”になりたくなかった。


 でも今。


 少しだけ苦しかった。


 ずっと「頑張れ」と言われ続けることが。


『……お母さんは』


 美咲が静かに言う。


『凛が心配なの』


「うん」


『社会って、優しくないから』


 その言葉は、真白も言っていた。


 社会は残酷だと。


 でも。


 だからといって、苦しい人間が無理を続けていい理由にはならない。


 凛は最近、少しずつそう思い始めていた。


『お母さんは、凛にちゃんと生きてほしいの』


 凛は静かに目を閉じた。


 ちゃんと生きる。


 その言葉の意味が、最近わからなくなってきていた。


 無理して笑うこと?

 壊れそうでも働くこと?

 苦しくても普通を演じ続けること?


 それが本当に、“ちゃんと生きる”ことなのだろうか。


「……お母さん」


 凛はゆっくり言った。


「私、多分、ちょっと疲れてた」


 その言葉を口にした瞬間、自分でも驚くほど涙が出そうになった。


 疲れていた。


 その当たり前のことを、今まで認められなかった。


 美咲は少し黙ったあと、小さく息を吐いた。


『……そう』


 その声は、少しだけ弱かった。


『でも、休みすぎると戻れなくなるわよ』


 やっぱり、そう言うんだ。


 凛は胸の奥で思う。


 母は悪くない。


 ただ、怖いのだ。


 止まってしまうことが。

 社会から外れることが。

 娘が“普通”から遠ざかることが。


「……うん」


 凛はそれ以上何も言えなかった。


 電話を切ったあと、部屋の中は静かだった。


 凛はソファへ座り込み、ぼんやり窓の外を見る。


 蝉の声。


 曇った空。


 遠くで鳴る救急車の音。


 胸の中には、重たいものが残っていた。


 母の言葉は正しい。


 でも。


 その“正しさ”に、自分はずっと押し潰されてきたのかもしれない。


 その時、スマートフォンが震えた。


 真白だった。


『今日はどう?』


 凛は少し迷ってから、


『お母さんと電話した』


 と返す。


 すぐに返信が来る。


『しんどかった?』


 その一言を見た瞬間、凛の目から涙が零れた。


 しんどかった。


 本当は。


 でも、母には言えなかった。


『うん』


 短く返す。


『そっか』


 真白はそれ以上、無理に聞かなかった。


 その距離感が、今の凛にはありがたかった。


 凛はスマートフォンを胸に抱え、小さく息を吐く。


 最近、自分の中に小さな変化が生まれている。


 今までは、「お母さんの言う通りにしなきゃ」としか思えなかった。


 でも今は。


 その“正しさ”が、自分を苦しめていることにも気づき始めていた。


 怖い。


 でも。


 少しだけ。


 “普通”から外れてしまう自分を、守りたいと思い始めていた。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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