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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第18ページ  ちゃんとできない日


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 八月中旬。


 東京の暑さは、呼吸するだけで体力を奪っていった。


 朝の空気ですら重い。


 アパートの小さな部屋で目を覚ました瞬間、凛は「あ、今日だめかもしれない」と思った。


 身体が重い。


 頭がぼんやりする。


 でも今日はバイトだった。


 休みたい。


 でも休めない。


 その考えが、胸の奥でぐるぐる回る。


 凛はベッドの上で膝を抱えた。


 最近少しずつ、「苦しい」と認められるようになった。

 無理をしていることにも気づけるようになった。


 でも、気づけるようになったからといって、社会が待ってくれるわけではない。


 バイトはある。

 お金も必要。

 大学も始まる。

 就活だって、そのうち始まる。


 “ちゃんと生きる”ことからは逃げられない。


 スマートフォンが震えた。


 七海からだった。


『今日バイト?』


『うん』


『偉すぎ。私暑すぎて死んでる』


 凛は少しだけ笑った。


『私も』


『でも頑張るしかないよねー』


 そのメッセージを見た瞬間、凛の胸が少し重くなる。


 頑張るしかない。


 正しい言葉だった。


 でも最近、その言葉を聞くたび少し苦しくなる。


 頑張れない日はどうすればいいんだろう。


 限界の日は。


 呼吸すらしんどい日は。


 凛は返信を打ちかけて、消した。


 代わりに、


『無理しすぎないでね』


 と送る。


『凛ちゃんもね!』


 返ってきたその言葉を見て、凛は静かにスマートフォンを伏せた。


 午後。


 バイト先は混んでいた。


 夏休み中の学生や買い物帰りの客で、店内は騒がしい。


「朝比奈さん、レジお願い!」


「はい!」


 凛は慌てて返事をする。


 頭の中では、ずっと「ちゃんとしなきゃ」が鳴っていた。


 ミスしないように。

 遅れないように。

 迷惑をかけないように。


 でも焦れば焦るほど、身体が空回りする。


「すみません」


「ありがとうございます」


「少々お待ちください」


 笑顔を作る。


 声のトーンを気にする。


 相手の表情を読む。


 怒っていないか。

 不快にさせていないか。

 ちゃんとできているか。


 全部を同時に考えていた。


 その時だった。


「朝比奈さん」


 三崎の声が後ろから飛ぶ。


「ドリンク間違ってる」


 凛の身体が強張る。


「あ……すみません」


「確認ちゃんとして」


 強い口調ではなかった。


 でも凛の胸には深く刺さる。


「はい……」


「最近ちょっと集中力落ちてない?」


 その言葉に、凛は息が詰まった。


 周囲の視線が気になる。


 他のスタッフも聞いている気がする。


「ごめんなさい」


 凛は反射的に謝っていた。


 三崎はため息をつく。


「謝るより、ちゃんとやろう」


 その瞬間。


 胸の奥で何かが静かに沈んだ。


 ちゃんとやろう。


 その言葉は、昔から何度も聞いてきた。


 ちゃんとしなさい。

 普通にしなさい。

 頑張りなさい。


 凛はちゃんとやろうとしていた。


 ずっと。


 苦しくても。


 壊れそうでも。


 それでも必死に。


 なのに。


 “ちゃんとできない”。


 その事実だけが、凛の心を削っていく。


 休憩室に入った瞬間、凛は小さく息を吐いた。


 冷房の音がやけに大きく聞こえる。


 頭が痛かった。


 スマートフォンを見る。


 灯からメッセージが届いていた。


『今日は人類向いてない日』


 凛は思わず少し笑ってしまう。


 それから、


『私も今日だめ』


 と返した。


 数秒後。


『生きるの下手選手権なら優勝できそう』


 その返事を見て、凛は吹き出しそうになった。


 少しだけ、肩の力が抜ける。


 その時、休憩室のドアが開いた。


 三崎だった。


「あ、ごめん」


「いえ……」


 三崎は冷蔵庫からペットボトルを取り出しながら言う。


「最近疲れてる?」


 凛は少し戸惑った。


 怒られると思っていたから。


「……まあ」


「無理しすぎないようにね」


 その言葉は優しかった。


 でも凛は、なぜか余計に苦しくなる。


 三崎は悪い人ではない。


 むしろ真面目で、責任感が強くて、ちゃんと働いている人だ。


 だからこそ、凛は苦しくなる。


 三崎の“普通”についていけない自分が情けなくなる。


「朝比奈さん、真面目だから」


 三崎は続ける。


「ちゃんとできるようになると思うよ」


 凛は曖昧に笑った。


「……はい」


 真面目だから。


 またその言葉だ。


 真面目だから頑張れる。

 真面目だから大丈夫。

 真面目だから、ちゃんとできるようになる。


 でももし。


 真面目でも、できなかったら。


 その時、自分には何が残るんだろう。


 バイトが終わる頃には、凛は完全に疲れ切っていた。


 駅までの道を歩きながら、ぼんやり思う。


 真白は、「普通じゃなくてもいい」と言った。


 灯は、「苦しい」と隠さなかった。


 七海も、笑顔の裏で怯えていた。


 それなのに。


 社会へ出ると、また“普通”を求められる。


 ちゃんと働け。

 ちゃんと笑え。

 ちゃんと動け。


 それができないなら、“努力不足”。


 そんな空気が everywhere にあった。


 凛はふと立ち止まる。


 駅前の人混み。


 笑い声。


 眩しい広告。


 全部が遠い。


 その時、スマートフォンが震えた。


 真白だった。


『今日、しんどい日?』


 凛は驚く。


 どうしてわかるんだろう。


 少し迷ってから返信する。


『うん』


 すぐに返事が来た。


『来る?』


 短い一文。


 それだけなのに、凛の胸が少し緩む。


 “来る?”。


 そこには、「無理に頑張れ」も、「ちゃんとしろ」もなかった。


 凛は気づけば『cafe 月灯り』へ向かっていた。


 店へ入ると、真白が「お疲れ」と小さく笑う。


 凛はカウンター席へ座り、その瞬間、身体から力が抜けた。


「……今日、全然だめだった」


 真白は何も言わず、アイスティーを置いてくれる。


「ちゃんとやってるつもりなのに、できなくて」


 声が少し震える。


「頑張っても、普通になれない」


 真白は静かに聞いていた。


「私、多分ずっと」


 凛は俯く。


「“ちゃんとできる人”になりたかった」


 その言葉は、凛の本音だった。


 誰かみたいに自然に笑って。

 疲れてもちゃんと働けて。

 人付き合いもうまくできて。

 空気みたいに社会へ馴染める人。


 そんな人になりたかった。


「……でも」


 凛は掠れた声で続ける。


「最近、“普通になりたい”って思えば思うほど、苦しい」


 真白は少しだけ目を細めた。


 それから静かに言う。


「多分それ、“普通になりたい”んじゃなくて、“苦しくなくなりたい”んだと思う」


 凛は顔を上げた。


 胸の奥が、小さく揺れる。


 苦しくなくなりたい。


 その言葉が、驚くほどしっくりきた。


 普通になれなくてもいいから。


 ただ。


 毎日、自分を責め続けるのをやめたかった。


 呼吸をするみたいに生きたかった。


 真白は静かな声で続ける。


「凛ちゃん、ちゃんとできない日があってもいいんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、凛の目に涙が滲んだ。


 “ちゃんとできない日”。


 そんな日を、自分は今まで許したことがなかった。


 でも本当は。


 ずっと、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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