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生きずらさに、名前をつけるなら  作者: あーちゃん


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第14ページ  ここにいていい


「どうして私は、みんなみたいに生きられないんだろう」


誰かの何気ない一言で深く傷ついてしまう。

人の感情ばかり気にして、自分の気持ちがわからなくなる。

ちゃんと笑っているのに、なぜか苦しい。


そんな“生きづらさ”を、

「甘え」や「弱さ」だと思い込んでしまう人がいる。


この物語は、

“普通”になれなかった人たちの物語です。


誰にも言えない孤独。

理解されない苦しさ。

消えたいわけじゃないのに、

この世界にうまく馴染めない感覚。


主人公・朝比奈凛は、

そんな痛みを抱えながら生きています。


けれど、

生きづらさには、理由があります。


そして、

名前のつかない痛みにも、

いつか誰かが寄り添ってくれる日が来るかもしれません。


この物語が、

今苦しんでいる誰かの心に、

小さな灯りとして残りますように。


 七月の終わり。


 東京は夜になっても暑かった。


 アスファルトに昼間の熱が残り、歩いているだけで息苦しくなる。


 それでも凛は、『cafe 月灯り』へ向かっていた。


 最近、大学やバイトが終わると、自然とあの店へ足が向く。


 静かな灯り。


 落ち着いた空気。


 真白の声。


 そこだけ、世界の速度が少し違う気がした。


 店の扉を開ける。


 ベルが小さく鳴った。


「いらっしゃい」


 真白が顔を上げる。


 凛は小さく会釈した。


「こんばんは」


「今日は遅かったね」


「バイト、長引いて……」


「お疲れさま」


 その一言だけで、凛の肩の力が少し抜ける。


 真白はいつも、必要以上に踏み込まない。


 でもちゃんと見ている。


 それが凛には心地よかった。


 窓際の席へ座る。


 カフェラテが運ばれてくる。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 真白はカウンターへ戻った。


 凛はぼんやり店内を見渡す。


 客は少なかった。


 静かなジャズが流れている。


 この空間にいると、自分の呼吸の音が少しわかる気がする。


 最近、凛は少しずつ変わっていた。


 苦しい時、「苦しい」と思えるようになった。


 無理している時、「無理してる」と気づけるようになった。


 以前はそれすら許せなかった。


 弱いと思っていたから。


 でも今は違う。


 真白や灯の言葉が、少しずつ凛の中の価値観を変えていた。


「……真白さん」


 凛は小さく呼ぶ。


「ん?」


「真白さんって、どうしてそんなに人の気持ちわかるの?」


 真白は少しだけ笑った。


「わかるっていうか、多分似てるだけ」


「似てる?」


「うん。苦しみ方とか」


 凛はカップを見つめる。


 苦しみ方。


 そんな言葉、初めて聞いた。


「昔の俺、人の顔色ばっか見てたから」


 真白は静かに続ける。


「嫌われないように、空気壊さないように、ずっと神経張ってた」


 凛は黙って聞いていた。


「でも、そういう生き方って、いつか自分が空っぽになるんだよね」


 その言葉が胸に刺さる。


 凛は最近、それを強く感じていた。


 誰かに合わせる。


 期待に応える。


 空気を読む。


 それを続けるほど、本当の自分がわからなくなる。


「……私」


 凛はぽつりと言う。


「最近、自分が何したいのかわかんなくなる」


 真白は静かに頷いた。


「ずっと“周りにとって正しい自分”を優先してきたんだろうね」


 凛は苦笑した。


「そんなつもりなかったんだけど」


「無意識なんだと思う」


 真白はカウンターに肘をつく。


「優しい人ほど、自分より先に周り見ちゃうから」


 優しい。


 またその言葉。


 でも最近は、少しだけ受け取れるようになっていた。


 以前の凛なら、「そんなことない」と否定していた。


 けれど今は、自分の苦しさが“弱さだけではない”と知り始めている。


「……真白さんは」


 凛はゆっくり聞いた。


「今、苦しくないの?」


 真白は少し黙った。


 窓の外を見つめる。


 夜の街。


 流れていく車のライト。


「苦しい日はあるよ」


 静かな声だった。


「今でも、“ちゃんとできない自分”が嫌になる日あるし」


「……」


「でも、昔よりは自分を責めなくなった」


 凛はその言葉を静かに聞いていた。


「“苦しい自分”を否定し続けると、ほんとに壊れるから」


 真白は苦笑する。


「それ、経験済み」


 凛は少しだけ笑った。


 真白も、まだ途中なのだ。


 完璧に強くなったわけじゃない。


 苦しみを抱えたまま生きている。


 そのことが、凛には不思議と救いだった。


 しばらく沈黙が落ちる。


 でも、その沈黙は苦しくない。


 凛は昔から、沈黙が怖かった。


 何か話さなきゃ。


 空気を繋がなきゃ。


 そう思っていた。


 でも真白の前では、黙っていても大丈夫な気がする。


「……ここ、不思議」


 凛はぽつりと言った。


「この店にいると、ちょっとだけ息しやすい」


 真白は少し笑う。


「じゃあ、よかった」


「なんでだろ」


「静かだから?」


「それもあるけど……」


 凛は言葉を探した。


「ちゃんとしてなくても、怒られない感じする」


 真白は一瞬だけ目を細めた。


 その表情が、少しだけ寂しそうに見える。


「凛ちゃん、“ちゃんとしてないと愛されない”って思ってるでしょ」


 凛の呼吸が止まる。


 図星だった。


 幼い頃からそうだった。


 ちゃんとしている子でいなければ。


 迷惑をかけない子でいなければ。


 空気を読める子でいなければ。


 そうしないと、嫌われる気がした。


「……わかんない」


 凛は俯いた。


「でも、多分……そうかも」


 真白は静かに言う。


「凛ちゃん、ずっと頑張ってきたんだね」


 その瞬間、凛の目の奥が熱くなった。


 頑張ってきた。


 その言葉を、こんなふうに言われたことはなかった。


 今までは全部、「もっと頑張れ」だったから。


「……もう、わかんない」


 気づけば、言葉が零れていた。


「何が普通なのかも、自分が何したいのかも」


 声が震える。


「ちゃんと生きなきゃって思うのに、苦しくて」


 真白は何も言わずに聞いていた。


「でも、置いていかれるの怖くて」


 涙が滲む。


「だから無理して笑って……」


 凛はそこで言葉を止めた。


 泣きそうだった。


 でも真白は急かさなかった。


 静かな時間が流れる。


 やがて真白が、小さく言う。


「置いていかれるの、怖いよね」


 凛は頷いた。


「うん……」


「でも、多分凛ちゃんは、“置いていかれること”より、“一人で苦しむこと”の方が怖いんじゃない?」


 その言葉に、凛は目を見開いた。


 一人で苦しむこと。


 確かにそうだった。


 誰にも言えず。


 誰にもわかってもらえず。


 一人で「普通になれない自分」を責め続けること。


 それが一番苦しかった。


「……私」


 凛は震える声で言った。


「ここにいていいって、思いたい」


 真白は静かに凛を見る。


「でも、そんなふうに思う資格あるのかなって……」


 そこまで言って、凛は唇を噛んだ。


 重いことを言ってしまった。


 困らせたかもしれない。


 けれど真白は、少しも嫌そうな顔をしなかった。


 ただ静かに、穏やかに言う。


「資格とか、多分いらないよ」


 凛の胸が強く揺れる。


「生きるのしんどくても、ちゃんとできなくても」


 真白はゆっくり言葉を置く。


「ここにいていい」


 その瞬間。


 凛の中で、何かが静かに崩れた。


 涙が落ちる。


 止められなかった。


 今までずっと、「存在していい理由」を探していた。


 普通になれれば。


 ちゃんとできれば。


 人に好かれれば。


 そうすれば、ここにいていいと思える気がしていた。


 でも今。


 初めて誰かに、「そのままでいい」と言われた気がした。


 店内には静かな音楽が流れている。


 真白は何も急かさず、ただそこにいた。


 凛は涙を拭いながら思う。


 本当はずっと。


 誰かに、こう言ってほしかったのだ。


 ――あなたは、ここにいていい。



『生きづらさに、名前をつけるなら』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


この作品は、

「普通に生きること」が苦しい人たちへ向けて書いた物語です。


世の中には、

頑張っても周囲に馴染めなかったり、

人より敏感に傷ついてしまったり、

誰かの期待に応えようとして、

自分を見失ってしまう人がいます。


けれど、

それは決して“弱さ”ではありません。


誰にも見えない場所で、

必死に息をして、

壊れそうになりながら今日を生きている。


それだけで、本当は十分すごいことなのだと思います。


凛が少しずつ、

自分の痛みに向き合い、

「普通」ではなく「自分」として生きようとしたように、

この物語が、

誰かが自分を否定しすぎないためのきっかけになれたなら嬉しいです。


あなたの苦しさには、

ちゃんと理由があります。


そして、

その痛みを抱えたままでも、

人は誰かと出会い、

少しずつ生きていけるのだと、

この作品を通して伝えられていたら幸いです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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