第122ページ 未来の候補を、怖いまま調べる
凛は、「壊れない働き方を探すことは逃げではない」と少しだけ思えるようになった。
苦手なことを知るのは、弱さを数えるためではなく、自分が自分のまま生きるための地図を作ること。
今回は、その地図を手に、凛が初めて具体的な仕事候補を調べていくページです。
怖い。
でも、探してみたい。
その小さな気持ちを頼りに、凛は未来へ向けて一歩だけ手を伸ばします。
朝、凛は机の上に三つのものを並べた。
一つ目は、青いノート。
二つ目は、キャリアセンターでもらった紙。
三つ目は、パソコン。
どれも最近の凛にとって、大切なものになっていた。
青いノートは、自分へ戻る場所。
キャリアセンターの紙は、壊れないための地図。
パソコンは、自分の痛みと言葉を形にしていく場所。
凛はその三つを見つめながら、小さく息を吐いた。
今日は、具体的な仕事について調べる。
昨日、キャリアセンターで相談員から聞いた言葉が、まだ胸に残っていた。
言葉を使う仕事は、作家やライターだけではない。
事務職でも文章作成や資料整理が多い仕事。
広報補助。
Webサイト更新。
校正補助。
編集アシスタント。
カスタマーサポートでも、文章で対応するもの。
聞いた時は、少しだけ未来が広がった気がした。
けれど朝になって、いざ調べようとすると怖くなる。
検索窓に仕事名を入れるだけなのに、胸がざわつく。
調べたら、現実になる気がする。
現実になると、できない自分を突きつけられる気がする。
応募条件。
必要スキル。
未経験可。
実務経験。
コミュニケーション能力。
基本的なPCスキル。
そういう言葉が並ぶ画面を想像するだけで、凛は少し息苦しくなった。
社会は、いつも凛より先に進んでいる気がする。
自分だけが、まだ入口で立ち止まっている。
そんな感覚がある。
凛は青いノートを開いた。
すぐに検索するのではなく、まず今の怖さを書く。
『仕事候補を調べるのが怖い。
調べるだけなのに、もう面接を受けて落ちるところまで想像してしまう。
求人を見るだけで、できない自分を見せられる気がする。
でも、調べなければ、未来は真っ黒なまま。
少しだけ、輪郭を見たい。』
書き終えると、少し呼吸が深くなった。
凛は最近、怖さを消そうとしなくなった。
消えないからだ。
怖さは消そうとするほど大きくなる。
でも、書くと少しだけ形になる。
形ができると、ただの黒い塊ではなくなる。
凛はパソコンを開いた。
検索画面を前にして、指が止まる。
最初に何を調べればいいのか。
ライター。
編集アシスタント。
校正補助。
広報補助。
言葉に関わる仕事。
いくつか候補はある。
でも、どれも急に遠く感じた。
凛はキャリアセンターの紙を見た。
『安心しやすい環境』
静か。人が多すぎない。急かされすぎない。自分のペースで考える時間がある。言葉を丁寧に扱える。
『苦手な環境』
大きな声が飛び交う場所。常に人の顔色を見なければいけない場所。失敗をすぐ責められる空気。休みにくい雰囲気。
凛はこの紙を見ながら、自分に言い聞かせる。
これは、正解を見つけるための検索ではない。
候補を知るための検索。
今日応募するわけではない。
今日人生を決めるわけでもない。
ただ、未来の候補を見に行くだけ。
凛は検索窓に、ゆっくり文字を打った。
『校正補助 未経験』
Enterキーを押した瞬間、心臓が少し跳ねた。
画面に、いくつもの検索結果が並ぶ。
求人サイト。
仕事内容の解説。
必要なスキル。
出版業界の仕事。
凛は一つずつ見ていく。
誤字脱字の確認。
表記ゆれのチェック。
文章の確認。
原稿と資料の照合。
細かい作業。
集中力。
日本語の知識。
凛は読みながら、胸の中に二つの感情が生まれるのを感じた。
少し気になる。
でも怖い。
文章を読む仕事。
言葉を整える仕事。
それは凛にとって、少し興味があるものだった。
けれど同時に、細かいミスを見落としたらどうしようと思う。
集中力が続かなかったら。
専門知識が足りなかったら。
やっぱり自分には無理だと思いそうになる。
凛は青いノートへ書いた。
『校正補助。
言葉を整える仕事。
少し気になる。
でも、ミスが怖い。
細かい作業は嫌いではないけれど、完璧を求められたら自分を責めそう。
向いているかもしれない部分と、苦しくなりそうな部分が両方ある。』
書いてみると、少し整理できた。
向いているかもしれない部分。
苦しくなりそうな部分。
どちらもある。
それでいいのかもしれない。
凛は次に、『編集アシスタント 仕事内容』と検索した。
編集者の補助。
原稿管理。
資料作成。
著者や関係者との連絡。
スケジュール調整。
校正作業の補助。
凛は途中まで読んで、少し胸が重くなった。
言葉に関わる部分は惹かれる。
でも、連絡や調整が多い仕事は少し怖い。
人とのやり取りが多すぎると、凛は疲れやすい。
相手の顔色を読んで、返信の文面を何度も見直して、気づけば一通のメールに必要以上の時間を使ってしまうかもしれない。
凛はノートへ書いた。
『編集アシスタント。
本や文章に関われるのは魅力。
でも、人との調整が多そう。
私は相手の反応を読みすぎるから、連絡業務が多いと疲れるかもしれない。
ただし、職場によって違うかもしれない。すぐ無理と決めつけない。』
最後の一文を書けたことに、凛は少し驚いた。
すぐ無理と決めつけない。
以前なら、怖い部分を見つけた瞬間に全部を諦めていた。
でも今は、怖い部分があっても、それが仕事全体を否定する理由ではないと思える。
職場によって違う。
働き方によって違う。
支え方によって違う。
そういう余白を少し持てるようになっていた。
次に、凛は『Webサイト更新 未経験 仕事内容』と打った。
画面には、記事の更新、画像差し替え、文章修正、簡単な入力作業、CMSという言葉が並んだ。
聞き慣れない言葉もあった。
でも、仕事内容の一部は少し想像できた。
文章を整える。
情報を更新する。
決まった形式に沿って作業する。
凛はそれを見ながら、少しだけ心が動いた。
決まった手順がある仕事なら、安心できるかもしれない。
急な対人対応ばかりではなく、画面に向かって作業できる時間があるなら、少し呼吸できるかもしれない。
でも、パソコンのスキルが足りない。
専門用語が怖い。
わからないことが多すぎる。
凛はノートへ書く。
『Webサイト更新。
文章修正や情報整理に近い部分がありそう。
決まった手順があるなら少し安心できるかもしれない。
でもPCスキルが怖い。専門用語も怖い。
勉強すれば少し近づける可能性はある。』
勉強すれば少し近づける可能性はある。
その一文を書いた時、凛は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
今できないことは、永遠にできないことではないのかもしれない。
もちろん、何でも努力で解決できるとは思わない。
凛には凛の限界がある。
無理をしすぎたら壊れる。
でも、少しずつ学べることもある。
それを全部、最初から諦めなくてもいいのかもしれない。
スマートフォンが震えた。
真白からだった。
『今日は調べものしてる?』
凛は少し笑った。
どうしてわかるのだろう。
『仕事候補を調べてます』
『校正補助、編集アシスタント、Webサイト更新とか』
すぐに返事が来た。
『おお、かなり具体的』
『怖い?』
『怖いです』
『でも、少しだけ興味あるものもありました』
少し間があり、真白から返事が来た。
『怖いと興味が一緒にあるの、いいね』
凛は画面を見つめた。
『いいんですか』
『うん』
『怖いだけじゃなくて、興味もあるなら、それは未来への小さい入口だと思う』
未来への小さい入口。
その言葉が、凛の胸に残った。
大きな扉ではない。
今すぐ飛び込む必要もない。
ただ、小さい入口を見つける。
凛は青いノートへ、その言葉を書いた。
『怖いと興味が一緒にある場所は、未来への小さい入口かもしれない。』
書き終えると、少しだけ前を向ける気がした。
大学へ向かう時間になった。
凛は検索した内容をメモにまとめ、パソコンを閉じた。
まだ何も決まっていない。
でも、何も見えなかった昨日よりは少し違う。
未来の候補が、ほんの少しだけ増えた。
校正補助。
編集アシスタント。
Webサイト更新。
どれも怖い。
でも、どれも少しだけ気になる。
その「少し気になる」を、大事にしてみたいと思った。
大学へ着くと、七海が凛を見て言った。
「今日、何か調べた顔」
「もう顔占いみたいになってる」
「当たってる?」
「当たってる」
「何調べたの?」
凛は、朝調べた仕事候補の話をした。
校正補助。
編集アシスタント。
Webサイト更新。
向いているかもしれないところと、怖いところを両方ノートに書いたこと。
七海は楽しそうに聞いていた。
「いいじゃん。めっちゃ進んでる」
「まだ調べただけ」
「調べただけって言うけど、凛ちゃんにとっては大冒険でしょ」
凛は少し笑った。
「大冒険」
「そう。検索の洞窟」
「またゲームみたいにする」
「その方が怖くないじゃん」
確かに少し怖くなくなる。
七海は続けた。
「で、どれが一番気になった?」
凛は少し考えた。
「Webサイト更新かもしれない」
「へえ」
「文章修正とか情報整理があるなら、少し気になる。でもPCスキルが怖い」
「PCスキルって、勉強したら少しできるやつもあるんじゃない?」
「うん。そう思った」
凛は自分で言って、少し驚いた。
そう思った。
できないから無理、ではなく、少し勉強したら近づけるかもしれない。
そう思えたことが、凛には大きかった。
七海はにやりと笑った。
「じゃあ、今日の勝利は検索の洞窟で宝箱一個発見」
「宝箱?」
「Webサイト更新」
凛は笑った。
「まだ中身わからない宝箱だけど」
「いいじゃん。開けるのは後で」
その軽さがありがたかった。
宝箱を見つけただけでいい。
開けるのは後でいい。
応募するのも、勉強するのも、もっと調べるのも、後でいい。
今日は見つけただけで十分。
昼休み、凛は図書館へ行った。
朝調べた内容を、作品の『働くことが怖かった』の章に入れたいと思った。
パソコンを開き、メモを見ながら文章を整える。
『未来を調べることは、私にとって怖い作業だった。
検索窓に仕事名を入れるだけで、面接で失敗するところまで想像してしまう。
求人を見るだけで、できない自分を突きつけられる気がする。
でも、調べなければ、未来は真っ黒なままだった。
だから私は、怖いまま検索窓に文字を打った。』
凛は続けた。
『校正補助。
編集アシスタント。
Webサイト更新。
どれも知らないことばかりだった。
どれも怖かった。
けれど、全部が真っ黒ではなかった。
言葉を整えること。
情報を整理すること。
文章を修正すること。
その中には、少しだけ心が動くものもあった。』
書きながら、凛は朝の感覚を思い出していた。
怖さと興味が一緒にあった。
その場所こそが、小さな入口なのかもしれない。
凛は真白の言葉も、自分の言葉に変えて書き入れた。
『怖いだけではなく、少し気になる。
その感覚は、私にとって小さな入口だった。
今すぐ入らなくてもいい。
まだ扉の前で震えていてもいい。
でも、入口があると知るだけで、未来の暗さは少し薄くなった。』
書き終えると、胸が少し温かくなった。
作品が、現実の凛と一緒に進んでいる。
書いたことが、現実の行動に繋がり、現実の行動がまた作品に戻ってくる。
その循環が、少しだけ凛を前へ動かしていた。
夕方、凛はキャリアセンターの前を通った。
今日は相談の予約はしていない。
でも、入口のパンフレット置き場に、いくつか資料が並んでいるのが見えた。
凛は一度通り過ぎかけて、足を止めた。
怖い。
資料を手に取るだけで、また未来が近づく気がする。
でも、今日の凛は少しだけ動けた。
パンフレット置き場へ戻り、『未経験から始める事務・編集補助系の仕事』と書かれた資料を一枚取った。
たったそれだけ。
誰かから見れば、本当に小さな行動だろう。
でも凛にとっては、かなり大きな一歩だった。
その紙をバッグに入れる時、胸の奥が少し震えた。
怖い。
でも、持って帰りたい。
そう思えた。
夜、凛は『cafe 月灯り』へ向かった。
真白はカウンターで、静かにコーヒーを淹れていた。
凛が店に入ると、顔を上げて笑う。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
「今日は何か持ってきた顔」
凛は少し驚いた。
「本当に顔に全部出てますか」
「出てるかも」
凛は席に座り、バッグからパンフレットを出した。
「キャリアセンターで、資料をもらってきました」
真白は少し目を細めた。
「すごいね」
「資料一枚だけです」
「でも、凛ちゃんにとっては大きいでしょ」
凛は小さく頷いた。
「大きいです」
真白はココアを出してくれた。
凛はパンフレットを開き、今日調べたことを話した。
校正補助。
編集アシスタント。
Webサイト更新。
怖いところと、少し気になるところ。
真白は一つずつ丁寧に聞いてくれた。
「Webサイト更新が気になったんだ」
「はい。文章修正や情報整理があるなら、少し」
「うん」
「でも、PCスキルが怖いです」
「それは、今すぐ全部できなくてもいいんじゃない?」
「はい。少し勉強すれば近づけるかもしれないって、初めて思いました」
真白は静かに笑った。
「それ、かなり大きいね」
凛はココアを見つめた。
「今までは、できないと思ったら全部無理って決めてました」
「うん」
「でも今日は、できないけど、少し近づけるかもしれないって思いました」
「うん」
「それが少し怖くて、でも少し嬉しいです」
真白は頷いた。
「凛ちゃんの未来に、“練習すれば近づけるもの”が出てきたんだね」
その言葉に、凛の胸が熱くなった。
練習すれば近づけるもの。
今すぐできないから終わりではない。
少しずつ覚える。
少しずつ近づく。
それは凛にとって、新しい未来の捉え方だった。
夜、家へ帰った凛は、パソコンを開いた。
今日の出来事を作品に書き足す。
『キャリアセンターの前で、一度通り過ぎた。
資料を取るだけなのに怖かった。
でも、私は戻った。
そして、一枚だけ資料を手に取った。
たった一枚の紙。
でも、その紙は、私にとって未来へ向けた小さな証拠だった。』
凛は続けて打った。
『私はまだ、働くことが怖い。
求人を見るだけで息が浅くなる。
応募条件を見ると、自分には何も足りない気がする。
それでも今日、少しだけ思えた。
今できないことが、永遠にできないこととは限らない。
練習すれば、少し近づけるものがあるかもしれない。
怖いと興味が一緒にある場所は、未来への小さい入口なのかもしれない。』
書き終えたあと、凛は深く息を吐いた。
今日の章は、少し現実に触れている。
怖い。
でも、作品の中だけで未来を語るのではなく、実際に未来の資料を一枚持ち帰った。
その事実が、凛を少し支えていた。
青いノートを開き、最後に書く。
『今日は未来の候補を調べた。
怖かった。
でも、少し気になるものもあった。
資料を一枚持って帰れた。
それだけで、今日は十分進んだ。』
ペンを置く。
部屋は静かだった。
机の上には、青いノート、パソコン、そしてキャリアセンターの資料がある。
昨日より、未来が少しだけ散らばって見えた。
真っ黒な壁ではなく、いくつかの小さな入口。
どれに入るかは、まだ決めなくていい。
ただ、入口があると知れた。
凛はそれを、今夜の小さな希望として胸にしまった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、凛が初めて具体的な仕事候補を調べるページでした。
校正補助。
編集アシスタント。
Webサイト更新。
どれも怖い。
でも、少しだけ気になる。
凛はその「怖い」と「興味がある」が一緒にある感覚を、未来への小さな入口として受け止め始めます。
今できないことが、永遠にできないこととは限らない。
練習すれば、少し近づけるものがあるかもしれない。
資料を一枚持ち帰るだけでも、凛にとっては大きな一歩でした。
次のページでは、凛が持ち帰った資料を読みながら、初めて「学んでみたいこと」を具体的に選び、自分の未来に小さな予定を入れていきます。




