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第5話 二度目の婚約と、優しき義弟セバスチャン

 土下座の懇願から、一年が経った。

 私は十五歳になり、かつてウィリアムが通っていた王立学園へと入学した。


 この一年間、ウィリアムはまるで何かに取り憑かれたように変わった。


 コリンヌに騙されていたと知ったあの日からの猛省ぶりは、周囲が同情するほどだった。夜会や華やかな場所には一切顔を出さず、ひたすら領地経営の学問と剣技に打ち込み、私への謝罪と愛を綴った手紙を毎週欠かさず送り続けてきた。もともとは整った容姿で、優秀で真面目、そして誰にでも優しかった人なのだ。過ちを犯したとはいえ、必死に這い上がろうとする彼の姿に、私の心は少しずつ揺れていた。



 なにしろ、彼は私の十歳からの元婚約者であり、大切な初恋のひとだったのだから。

 結果として、私は一つの妥協案を受け入れた。


 ダグラス伯爵家との縁を完全には切らず、まずは一年間の様子見を経て、学園入学を機に、ウィリアムの「婚約者候補」という立場に戻ることを承諾したのだ。正式な婚約ではない。けれど、ウィリアムにとっては廃嫡を免れるための、蜘蛛の糸のような救いだった。



「本当に……ありがとう、マーガレット。君の優しさに、一生をかけて報いるよ」


 自邸で再会した十八歳のウィリアムは、深く頭を下げ、安堵の涙を浮かべていた。かつての傲慢さは消え、以前のような真面目で優しい婚約者に戻ったように見えた。


 ――けれど、そんな私たちの様子を、すぐ近くからじっと見つめている視線があった。



「本当に、兄上でいいのか……?」


 ウィリアムが去った後、柱の影から現れたのは、学園の一年先輩であり、ウィリアムの二歳下の弟――セバスチャン・ダグラスだった。


 兄のウィリアムが洗練された王子様タイプなら、セバスチャンは少し野生味を残した、精悍な顔立ちの少年だった。意志の強そうな黒髪に、深く澄んだ夜空のような瞳。ウィリアムが母親似の美形なら、セバスチャンは、父親似の精悍な印象だ。学園の騎士科でも一、二を争うほど優秀で、普段はぶっきらぼうだが、根は誰よりも熱く、誠実な男だ。



「セバスチャン。……ええ、ウィリアム様は本当に反省していらっしゃるわ。元々は優しい方だし、一度の過ちで全てを奪うのは、あまりにも残酷でしょう?」


 私が努めて明るく笑ってみせると、セバスチャンは端正な顔をこれ以上ないほど苦しげに歪めた。彼は一歩、私との距離を詰める。その瞳には、単なる『義理の弟』としての心配を遥かに超えた、強い熱が宿っていた。



「残酷なのは、兄上のほうだ。お前を都合のいい言葉で傷つけた男だぞ。托卵だと分かったから戻ってきただけじゃないか。なぜそんな男のために、お前がまた心を擦り減らす必要がある」


「セバスチャン……」


「俺なら、絶対にそんなことはしない」


 セバスチャンの低い声が、私の耳元で小さく響いた。



 ハッとして彼を見上げると、セバスチャンはバツが悪そうに視線を逸らし、拳を強く握りしめていた。


「……お前が十三歳の時、家で一人で泣いていたのを知っている。兄上の裏切りを知って、どれだけ傷ついていたかも、俺は全部見ていた。あの時、俺がお前の婚約者だったら、お前を泣かせるような真似は万に一つもしなかったのにと……何度も、運命を呪ったんだ」


 胸が、ドクンと大きく波打った。



 セバスチャンの言葉の端々に滲むのは、幼い頃から私をずっと見つめ続けてくれていた者の、深い情愛の匂い。


「俺は、お前が学園に入学してくるのをずっと待っていた。シシリー家との政略結婚を維持するためなら、次男の俺が次期当主になって、お前を迎えに行く準備だってしていたんだ。……なのに、どうしてまた、あんな男の元に戻るんだよ」


 セバスチャンの夜空のような瞳が、じっと私を射抜く。その目に見つめられると、まるで悪いことをしているかのように胸が締め付けられた。



 彼は私の手をそっと取ろうとして――しかし、自分がまだ「義理の弟候補」でしかない現実に気づいたように、寂しそうにその手を引いた。



「セバスチャン、私は……」


「分かっている。お前の初恋が、兄上だってことは、嫌というほど知っているから。……だけどな、マーガレット」


 セバスチャンは自嘲気味に微笑むと、私の乱れた髪を、ひどく愛おしそうに指先でそっと整えてくれた。その触れ方は、ウィリアムのどの手つきよりも優しく、大切に扱われている実感を私に与えた。



「本当に辛くなったら、いつでも俺のところに来い。俺は、いつだってお前の味方だ。……たとえ、お前が誰の妻になろうともな」


 そう言い残して、セバスチャンは翻り、足早に去っていった。



 残された私は、彼の触れた髪に手を当てたまま、立ち尽くすことしかできなかった。


 真面目に戻ったウィリアムとの、二度目の婚約への道。


 けれど、セバスチャンのあの熱い瞳と、隠しきれない私への想いを知ってしまった私の心には、小さな、けれど決して消えない戸惑いの種が、ぽつりと植え付けられていた。



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