表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第6話 幸せの絶頂と、再会の毒

  私が学園を卒業する十八歳の春、私とウィリアムは正式に再び婚約を結んだ。


 執行猶予のような四年間、ウィリアムは本当に見違えるほど真面目に、一途に私を愛し、ダグラス伯爵家の次期跡取りとして申し分のない実績を積み上げてみせた。あの凄まじい猛省と努力を前にしては、周囲も、そして私の両親も、彼が過去に一度犯した過ちを許さざるを得なかったのだ。



 ただ一人、ウィリアムの弟であるセバスチャンだけは、私たちが正式に再婚約を交わした夜、酷く虚ろな目で私を見つめていた。


『……お前が選んだ道なら、俺は何も言わない。だけど、もしまたあいつがお前を泣かせるようなことがあれば、その時は――』


 そこまで言って唇を噛み締め、背を向けたセバスチャンの背中が、なぜかやけに心に焼き付いていた。けれど、その時の私は、ウィリアムとの未来を信じようと必死だったのだ。初恋を成就させ、一度壊れた絆を修復することこそが正しいのだと、自分に言い聞かせるように。



 そして翌年、私が十九歳、ウィリアムが二十二歳の時に、私たちは多くの人々に祝福されて結婚式を挙げた。

 それからの六年間は、文字通り「幸せの絶頂」だった。


 私はダグラス伯爵家の若夫人として、王都の社交界でも領地でも、そつなく義務を果たした。義理の両親は「よくぞ我が家に戻ってきてくれた」と、実の娘のように私を深く愛し、いつでも味方でいてくれた。使用人たちも皆、私を慕い、熱心に仕えてくれた。



 何より、夫となったウィリアムは優しかった。

 朝、目覚めれば愛おしそうに髪を撫でてくれ、夜、執務から戻れば真っ先に私を抱きしめて「今日も君が恋しかった」と囁いてくれる。かつての王子様のような輝きに、大人の男としての包容力が加わった彼は、誰の目から見ても完璧な「理想の夫」そのものだった。



 そして結婚から六年目――。


 私の体内に、待ち望んだ新しい命が宿った。



「マーガレット! 本当かい!? ああ、神よ、感謝します……っ!」


 妊娠を告げた時の、ウィリアムのあの歓喜に満ちた顔。私の体を壊れ物を扱うようにそっと抱きしめ、まだ平らなお腹に何度も愛おしそうに口付けを落とした彼の姿。あの瞬間、私たちの幸福は間違いなく頂点に達していた。


 お腹の子が順調に育ち、安定期を迎えた妊娠六ヶ月のその頃までは、確かに私たちは、世界で一番幸せな夫婦だったのだ。



 ――けれど、運命というものは、どこまでも残酷で、そして悪趣味だった。



 その日、ウィリアムは領地に関わる法的な手続きのため、数日ぶりに王都の雑踏へと出向いていた。用事を済ませ、馬車へ向かおうとした彼の前に、一人の女が立ち塞がった。


 みすぼらしい、灰色のボロ布のようなドレス。

 手入れもされずパサついた亜麻色の髪に、酷くやつれ、泥に汚れた顔。かつて学園を騒がせた、あの男爵令嬢コリンヌ・メーンの成れの果てだった。


 ダグラス伯爵家を放逐されたコリンヌのその後の生活は、悲惨極まるものだった。托卵がバレた女をまともに迎える家などなく、男爵家からも実質的に縁を切られ、彼女は裏通りの酒場や路地裏を転々としていた。男に騙され、破落戸の情夫に暴力を振るわれ、その日暮らしの生活の中で、彼女の可憐だった面影は完全に消え失せていた。



 普通の男なら、そんな不気味な女からは関わらずに逃げ出しただろう。

 だが、ウィリアムの「根の優しさ」という名の致命的な弱さが、ここで最悪の形で首をもたげた。かつて心から愛し、自らの手で守ろうとした女の、あまりにも哀れで零落した姿。それを見てしまった瞬間、ウィリアムの胸に、猛烈な同情心と、奇妙なノスタルジーが沸き起こってしまったのだ。



「……ウィリアム、様……? ああ、本当にウィリアム様なのね……っ!」


 ウィリアムが足を止めたのを見るや否や、コリンヌは彼の高級な乗馬ブーツの足元に文字通り縋り付き、ボロボロと涙を流した。



「酷い生活だったわ……毎日が地獄のようだった。でも、どんなに苦しくても、私、あなたのことだけを想っていたの……っ!」


「コリンヌ……君、一体その姿は……」


「聞いて、ウィリアム様! 十一年前のことは、全て罠だったのよ! 私は、あの悪い男たちに無理やり関係を迫られて、脅されて貴方の子だと偽るしかなかったの……っ! 本当にお慕いしていたのは、私の初めてを捧げたかったのは、世界中でウィリアム様、貴方だけだったのよ!」


 信じられないことに、彼女は十一年前と全く同じ「儚げで哀れな被害者」の演技を、さらに悲惨さを増した姿で再現してみせたのだ。


 ウィリアムの頭は、その安っぽい涙に、一瞬で茹だるように狂わされてしまった。


 真面目で優秀、しかし本質的に「騙されやすく、脆い女に弱い」という彼の悪癖。コリンヌの言葉は、ウィリアムの心の奥底に眠っていた『十一年前、彼女を救いきれなかった』という歪んだ罪悪感とヒーロー願望を、最悪の形で刺激してしまったのだ。



「ああ、なんてことだ……。君は、そんな目に遭っていたのか……」


 お腹に自分との愛の結晶を宿した妻がいることも。

 この六年間、どれほど多くの人々に支えられて幸せを築いてきたかも。


 すべてが、コリンヌの流す汚れた涙の前に、綺麗さっぱり消し飛んでしまった。



「私が……私が君を守らなければ。今度こそ、私が君を救う……」


 愚かにも、ウィリアムは再びその毒に絆された。


 彼がコリンヌの手を取り、王都の裏通りにある怪しげな宿へと同行したその日、私たちの幸福な結婚生活は、内側から音を立てて完全に崩壊した。



 ――そして、数日後。


 外から帰ってきたウィリアムの外套から漂う、あの安っぽくて甘ったるい香水の匂いを、妊娠して鼻が利くようになっていた私が、気づかないはずはなかったのだ。


 幸せの絶頂から、奈落の底へ。


 最悪の再会を果たした夫を迎える私の元に、今、あの第1話の修羅場の幕が、冷ややかに上がろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ