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第14話 新しい風と、不器用なプロポーズ

  ウィリアムが王都から去り、私との離婚が正式に成立してから、二年の歳月が流れた。


 通常であれば、離婚した夫人は実家へと戻るのが筋というもの。しかし、義両親であるダグラス伯爵夫妻はそれを頑なに拒み、涙ながらに私を引き留めた。


『マーガレット、どうかこの邸に残って、我が家の孫を育てておくれ。ウィリアムの仕でかしたことは万死に値するが、君こそがダグラス伯爵家に最もふさわしい若夫人だ。それに、我が家には……君を誰よりも必要としている男がいる』


 義両親の深い親愛と、何よりその「必要な男」の必死な視線に押される形で、私はダグラス伯爵邸の別邸で、愛息であるルカを育てながら穏やかな日々を送っていた。


 この二年という時間、私とルカの傍には、常にセバスチャンがいた。


 彼はダグラス伯爵家の次期当主としての膨大な激務をこなし、騎士団での地位も確固たるものにしながら、少しでも時間が空けば必ず私たちの元へと駆けつけてくれた。


『ルカ、高い高いだ。……お前は兄上とは違って、ずっしりと良い身体をしているな』


 ある時は、私の代わりにルカを逞しい腕で抱き上げ、不器用ながらも精いっぱいの笑顔で父親代わりに遊んでくれた。


 またある時は、夜遅くまで書類仕事に追われる私の前に、彼自らが淹れたハーブティーを「少しは休め」と言って差し出してくれた。


 彼は決して、私に無理をさせなかった。私の心が、かつての裏切りによってどれほど深く傷つき、男という存在に対してどれほど臆病になっているかを、誰よりも理解していたからだ。


 ただ一人の騎士として、そして一人の友人として、無償の優しさと誠実さを、行動で示し続けてくれた二年間だった。



 そして、王都に柔らかな春の風が吹き抜ける、ある日の夕暮れ。

 ルカが乳母の腕の中で気持ちよさそうに眠りについた後、私はサンルームで、沈みゆく夕日を眺めながらお茶を飲んでいた。


「マーガレット、入るぞ」


 聞き慣れた、低く心地よい声とともに、セバスチャンが姿を現した。


 今日の彼は、いつもの厳格な騎士服ではなく、仕立ての良い上質な私服を纏っている。心なしか、その表情はいつになく硬く、その大きな手は微かに緊張で震えているように見えた。


「セバスチャン? どうしたの、そんなに畏まって」


「……ああ。いや、少しな」


 セバスチャンは私の正面の席に座ることもせず、ゆっくりと私の歩み寄ると、その場にすっと膝を突いた。かつて、私が最も苦しかったあの日と同じように。


 夜空のような深く澄んだ瞳が、まっすぐに私を射抜く。その目の奥に揺らめくあまりにも強い熱量に、私の胸はドクンと小さく跳ね上がった。


「セバスチャン……?」


「マーガレット。約束の、二年が経った」


 彼の低い声が、静かな室内に響く。


「お前が前を向けるまで、あいつの影が消えるまで、俺はいくらでも待つと決めていた。……この二年間、お前とルカを傍で支えながら、俺がどれほどお前を愛おしいと思ってきたか、お前には想像もつかないだろう」


 セバスチャンは躊躇いがちに、しかし確かな意志を持って、私の膝の上に置かれていた両手をそっと包み込んだ。彼の大きく、剣ダコのある無骨な手のひらが、ひどく熱い。


「俺の初恋は、お前がダグラス家に初めて訪れたあの十歳の時から、一瞬たりとも変わっていない。兄上の影に隠れ、ただお前たちの幸せを願うしかなかったあの頃も……お前が傷つき、一人で泣いていたあの十四歳の秋も、俺の心にお前以外の女が灯ったことはただの一度もないんだ」


 溢れ出すような彼の告白に、私の視界がじんわりと滲み始める。



 彼は不器用な男だ。ウィリアムのように、甘く耳に心地よい言葉で女性を口説くことなどできやしない。けれど、だからこそ、その言葉のひと言ひと言に、私のために十数年温め続けられてきた本物の情愛の重さが、痛いほどに伝わってくる。


「俺は、兄上のような洗練された王子様にはなれない。お前を退屈にさせるかもしれないし、気の利いた台詞も言えない。……だけど、お前を二度と泣かせないことだけは、この命に代えても誓える」


 セバスチャンは私の手を自分の頬へと寄せ、愛おしそうに目を細めた。その姿は、まるで獰猛な狼が、最愛の主人の前にだけ完全に牙を引っ込めて、無条件の従順を誓っているかのようだった。そのギャップに、私の心は甘酸っぱい切なさと、猛烈な愛おしさで満たされていく。


「マーガレット。今度は俺が、一生をかけて君を幸せにする。……もう、義理の弟なんかじゃない。一人の男として、俺を、君の隣に置いてくれないか?」


 ――俺を、君の隣に置いてくれないか。


 それは、主導権をすべて私に委ねた、彼なりの最大限に謙虚で、そして誠実なプロポーズだった。



「君は強いから一人でも大丈夫」と私を突き放した兄とは違う。この男は、私がどんなに強くあろうとも、その強さごと私を丸ごと抱きしめ、盾になると言ってくれているのだ。


 私の目から、ついに堪えきれなくなった涙がポロポロと零れ落ち、セバスチャンの手の甲を濡らした。



「泣かないでくれ、マーガレット。俺はまた、お前を困らせてしまったか……?」


「いいえ……いいえ、違うの、セバスチャン」


 私は首を横に振り、彼の大きな手を、今度は私のほうから強く、強く握り返した。


「嬉しくて、涙が止まらないのよ。……私の心には、もうあの方の影なんて一欠片も残っていないわ。今、私の心をいっぱいに満たしているのは……あなただけよ、セバスチャン」


 私の言葉を聞いた瞬間、セバスチャンの瞳が驚きに見開かれ、次の瞬間には、これ以上ないほど鮮やかで、愛おしそうな笑みがその端正な顔に広がった。


「っ……マーガレット……!」


 彼はたまらずといった風に立ち上がると、私をその大きな腕の中に、優しく、しかし離さないという強い拒絶の意思を込めて、深く抱きしめた。


 彼の胸から伝わる、トントンと激しく脈打つ心臓の音。それは、私を心から欲してくれている男の、本物の愛の証明だった。



 新しい春の風が、サンルームのカーテンを優しく揺らす。


 死んだ初恋の残骸を乗り越え、私は今、私を世界で一番大切にしてくれる本物の光に包まれていた。セバスチャンと共に歩む、本当の幸福に満ちた未来が、今ここに新しく始まったのだ。


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