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最終話 もう一人でも大丈夫、貴方がいるから

  セバスチャンからのプロポーズを受け入れた数ヶ月後、私たちは親族だけでささやかな、けれど温かな結婚式を挙げた。

 二度の裏切りを経験し、社交界の冷たい視線に晒されてきた私の人生に、今度こそ本物の、揺るぎない春が訪れたのだ。


 豪奢なウェディングドレスに身を包んだ私を、セバスチャンはそれはもう愛おしそうに、世界で一番の宝物を見るような目で見つめてくれた。その夜空のような瞳には、かつて彼が私のために流してくれた切ない涙の代わりに、満ち足りた幸福の光が宿っている。


「本当に綺麗だ、マーガレット。……俺の生涯をかけて、お前を世界一幸せな妻にすると誓う」


「ええ、私も誓いますわ。貴方の妻として、貴方を一生愛し、支え続けると」


 誓いの口付けは、驚くほど優しく、そして熱かった。

 これまでの苦難も、孤独も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと思えるほどに、私の心は満たされていった。



 披露宴の夜、二人きりになった静かな寝室で、私はふと、ずっと私の胸の奥にこびりついていた「呪い」の言葉を口にしていた。


「ねえ、セバスチャン。私はずっと……自分が『強い人間』でいなければいけないと思っていたの」


「……兄上が言った、あの言葉か」


 セバスチャンは私の隣に腰掛け、私の少し寂しげな横顔を見つめた。


「ええ。『君は強いから、一人でも大丈夫だろう』って……。あの言葉は、私にとってずっと呪いだった。強くあらねば、裏切られた時に立ち上がれない。泣き言を言わず、完璧な令嬢として、完璧な若夫人として振る舞うことだけが、自分を守る唯一の手段だったから。でも……本当は、私だって怖かったし、傷ついていたのよ」


 ぽつりぽつりと、今まで誰にも言えなかった本音を溢す。


 すると、セバスチャンは何も言わずに、その大きく逞しい腕で私を後ろからそっと抱きしめてくれた。彼の広い胸の温もりが、私の背中からじんわりと染み渡っていく。



「マーガレット。お前は強いよ。兄上に裏切られた時も、一人でお腹の子を守り抜いた時も、お前の気高さと強さは誰よりも美しかった。……だけどな、お前が一人でその強さを維持する必要は、もうどこにもないんだ」


 セバスチャンは私の頬に優しく触れ、私と視線を合わせた。


「強いお前も、本当は泣き虫で脆いお前も、俺が全部丸ごと愛する。お前が強くいられない時は、俺がお前の盾になる。お前が泣きたい時は、俺の胸の中でいくらでも泣けばいい。……もう、一人で大丈夫なんて思うな。これからは、俺がいるんだから」


 ウィリアムが私に押し付けた都合のいい免罪符を、セバスチャンはもっと大きな、深い愛の言葉で完璧に上書きしてくれた。

「強い君も、弱い君も、俺が全部愛する」――その言葉が、私の心を十数年もの間縛り付けていた冷たい鎖を、音を立てて粉砕していく。


「……ええ。もう、一人でも大丈夫だなんて、強がらないわ。私には、貴方がいるもの」


 私はセバスチャンの胸に顔を埋め、今度は嬉し涙ではなく、本当の安堵の涙を流した。

 愛する我が子ルカと、真に信頼できる夫セバスチャン。私は今度こそ、誰に怯えることもない、本物の幸せをその手に掴んだのだ。



 ◇◇◇



 それから、数年の歳月が流れた。


 ダグラス伯爵家の新当主となったセバスチャンの領政は、見事なものだった。彼は騎士団での経験を活かして領内の治安を劇的に向上させ、聡明なマーガレットの助力を得て新たな産業を興し、領民から絶大な支持を得ていた。


 ある年の夏、私たちは領地の視察を兼ねて、ダグラス伯爵領の最果てにある小さな街へと赴いていた。


 数年前にウィリアムが『名ばかりの代官』として送られた、年中冷たい雨が降る僻地だ。しかし、今日のその街は珍しく、抜けるような美しい青空が広がっていた。



「お父様、お母様! 見て、お花が咲いているよ!」


 すっかり大きくなったルカが、元気に草原を駆け回り、小さな花を摘んで私たちに見せてくれる。その容姿はセバスチャンに似て、精悍で意志の強い、美しい少年に育ちつつあった。


「本当ね、ルカ。とても綺麗な花だわ」


「ああ、ルカが摘んでくれた花なら、お母様の部屋に一番に飾らないとな」


 セバスチャンがルカの頭を豪快になで、三人で笑い合う。その様子は、誰の目から見ても、絵に描いたような幸福な家族そのものだった。



 ――その三人の姿を、遠く離れた木陰から、じっと見つめている一人の男がいた。



 日焼けして肌は荒れ、かつての貴公子としての華やかさは微塵もない、地味な作務衣を着た男――ウィリアムだった。


 彼はこの数年間、この最果ての地で、目付けの厳しい監視のもと、日々領民からの容赦ない苦情処理と、泥に塗れる事務仕事に追われていた。贅沢など一切許されず、かつて自分がどれほど恵まれた環境にいたかを思い知らされる毎日。


 しかし、今の彼の目に宿っていたのは、かつてのような醜い逆恨みや保身の不満ではなかった。



 毎日、領民たちの生の声を聞き、己の仕でかした横領の罪の重さと向き合い続ける中で、ウィリアムは精神的に「本当の猛省」へと至っていたのだ。


(ルカ……本当に、大きくなったな……)


 ウィリアムの目から、一筋の涙が静かに零れ落ち、土へと染み込んでいく。


 遠くから見る我が子は、ダグラス家の血を引くにふさわしい、まっすぐで優秀な少年に育っている。そして何より、かつて自分が酷く傷つけたマーガレットが、セバスチャンの隣で、心からの輝かしい笑顔を浮かべている。


(私は……二度と、あの子の父親を名乗ることはできない。マーガレットの隣に立つ資格もない。……でも、それでいいんだ)


 マーガレットは言った。「私は強いので、貴方はもう必要ない」と。

 今のウィリアムには、その言葉の本当の意味が分かっていた。彼女の強さは、自分が傷つけたからこそ身に纏わせるしかなかった鎧だったのだ。そして今、彼女はその鎧を脱ぎ捨て、セバスチャンの愛の中で心から笑っている。



「私の、生涯かけて償うべき罪の証だ……」


 ウィリアムは静かに胸に手を当て、三人に背を向けた。


 彼はもう、過去に縋って泣き叫ぶ道化ではなかった。自分の罪を背負い、この最果ての地で、領民たちのために生涯を捧げて代官としての職務を全うする――それだけが、今の彼にできる唯一の、そして最後の「贖罪」だった。



「さあ、セバスチャン、ルカ。邸に戻りましょうか。今日のお昼はルカの好きなオムレツを焼いてもらいましょうね」


「やったー!」


「はは、俺も楽しみだ。マーガレット」


 爽やかな夏の風が、私たちの髪を優しく揺らす。


 去りゆく男の後悔を遠い過去へと置き去りにして、私たちは今度こそ、永遠に続く本物の幸せの中を、三人でしっかりと歩んでいくのだった。


 ハッピーエンド



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