第12話 温情という名の終身刑
ダグラス伯爵邸の地下深く。鉄格子が嵌まったその薄暗い部屋は、不祥事を起こした身内を謹慎させるための場所だ。
かつては輝かしい貴公子だった男が、今はそこで無様に沙汰を待っている。ウィリアムに下された処分は、王都の華やかな社交界から完全に存在を抹消される、彼にとってはあまりにも残酷な「生殺し」だった。
不貞行為と、伯爵家の公金横領。
外聞を恐れた両家の話し合いにより、あえて公に裁判沙汰にはせず、貴族社会の内々で処理される形で行われた。
すなわち、公式には『病気療養のための引退』。
そして実際には、ダグラス伯爵領の最果て――年中、冷たい泥雨が降り注ぎ、作物もまともに育たない僻地へと、一生出ることの叶わぬ最下級の「名ばかりの代官」として生涯左遷されることが決定したのだ。
領地へ向かう馬車が発つ前日の夕方。
私はセバスチャンを伴い、ウィリアムが押し込められている煤けた部屋へ足を運んだ。
それが、私がウィリアムという男と交わす、生涯最後の対話になるはずだった。
「……マーガレット……っ!」
部屋の奥で、ウィリアムは身を縮めていた。
かつての仕立ての良い上着は没収され、地味な作務衣のような服を纏った彼の姿は、あまりにも惨めだった。私の姿を見るなり、彼はガタガタと鉄格子に駆け寄り、その隙間から泥に汚れた両手を必死に伸ばしてきた。
「マーガレット! 来てくれたんだね、私を助けに……っ! お願いだ、父上やお兄様に言って、この沙汰を取り消してくれ! あんな田舎に行くなんて嫌だ、地味な事務仕事と領民の苦情処理だけで一生を終えるなんて耐えられない……っ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、鉄格子を激しく揺らす男。
その必死の形相を、私は一歩引いた場所から、酷く冷めた目で見つめていた。私の横に立つセバスチャンが、いつでも剣を抜けるよう、静かに私の前に半歩進み出てウィリアムを威嚇する。
「見苦しいぞ、兄上。いや、ウィリアム。……マーガレット、こんな男の声をまともに聞く必要はない。すぐに戻ろう」
「いいえ、大丈夫よ、セバスチャン。最後に、お伝えしておきたいことがありますの」
私は優しくセバスチャンの腕に手を添えて宥めると、鉄格子の向こうで縋るような目を向けている元夫へと、視線を戻した。
「ウィリアム。貴方が平民に落とされず、名ばかりとはいえ『代官』の身分を保証された理由を、ご存知かしら?」
「え……? そ、それは、君が私を……」
「ええ。私が、お父様とお兄様にお願いして、貴方の最低限の身分だけは守って差し上げるよう手配いたしましたのよ」
私の言葉に、ウィリアムの瞳にパッと浅ましい希望の光が宿った。
「やっぱり! 君は優しいから、私を愛してくれているから……っ!」と叫ぼうとした彼の言葉を、私は遮るように、さらに冷徹な言葉を突きつけた。
「勘違いしないでくださる? 貴方を愛しているからでも、憐れみを感じたからでもありませんわ。……ひとえに、私が産んだ、我が子の父親だからです」
「あ……」
「どんなクズで無能な男であれ、この世に生まれてきた我が子の半分は、貴方の血が流れている。その父親が『不貞の果てに横領不義の罪で処罰された』などという不名誉な泥を、私は我が子の未来に一滴たりとも残したくないのです。だから、命だけは救いました」
私はお腹から手を離し、今や王都の別邸で乳母に抱かれて眠っている、愛おしい我が子の姿を思い浮かべた。あのみずみずしい命の未来を守るためなら、私はどんな泥でも被るし、どんな冷徹な計算でもしてみせる。
「ですが、これが貴方への最後の温情です。……いえ、温情という名の、一生そこから抜け出せない泥沼ですわ」
「泥沼……?」
ウィリアムが呆然と呟く。
「貴方が送られる最果ての地では、ダグラス家の目付けが貴方の行動をすべて監視します。かつてのような贅沢や娯楽は一切許されず、日々、地味な事務仕事と領民からの容赦ない苦情処理に追われる生活が待っているでしょう。貴方は死ぬまで、二度と華やかな王都の土を踏むことも、社交界に戻ることも叶いません。……当然、我が子に対しても、自分が父親であると名乗ることは一生禁止いたします」
「そんな……! 自分の子供に、父親だと名乗ることもできないなんて、そんなのあんまりだ! 一生あんな田舎で、日陰者として生きろというのか!?」
「あんまり、ですか?」
私は一歩、鉄格子へと近づいた。
十四歳の秋、そして二十五歳の今、彼から浴びせられた言葉のすべての重みを、その瞳に叩きつけるように。
「私を二度も裏切り、あろうことか妊娠中の私を欺いて毒婦に伯爵家の金を貢ぎ続けた貴方が、どの口で『父親』などと名乗るつもりですか? 貴方は、あの子に何も与えなかった。ただ、裏切りという不名誉だけを与えようとしたのよ。貴族の籍を失い、ただの雇われ代官として一生を終える身となった貴方に、あの子の父親を名乗る資格などありません」
ウィリアムは、私の圧倒的な拒絶と怒りのオーラに圧され、言葉を失ってへなへなと床に崩れ落ちた。
「かつて、貴方は私に言いましたわね。『君は強いから、一人でも生きていけるだろう』と」
十四歳の私が流した血の涙が、今、完璧な刃となってウィリアムの胸に突き刺さる。
「ええ、私は強いですわ。貴方のような無能で、自分の保身のために女の涙に流されるだけの男など――もう、私の人生には一ミリたりとも必要ないのです。さようなら、ウィリアム。一生、その最果ての地で、己の愚かさを悔いて働きなさい」
「マーガレット! マーガレットォッ!」
背後で、狂ったように名前を呼び、鉄格子を叩く音が響き渡る。
私は一度も振り返ることなく、セバスチャンがそっと差し出してくれた逞しい腕に己の手を絡め、地下室の重い扉を押し開けた。
外に出ると、夕暮れの赤い光が、私たちの行く先を美しく照らしていた。
私の初恋の残骸は、これで本当に、一欠片の未練もなく、冷たい地下の闇へと葬り去られたのだ。




