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第10話 命の誕生と、審判の幕開け

  その日は、驚くほどに澄み渡った青空が広がる朝だった。

 張り詰めた潜伏生活から数ヶ月。実家と義実家の完璧な警護体制のもと、私はついにその時を迎えた。



「――おぎゃあ! おぎゃあ!」


 シシリー伯爵邸の一室に、割れんばかりの元気な産声が響き渡る。

 凄まじい痛みと疲労の果てに、私の胸へと抱き上げられたのは、驚くほど肌の白い、元気な男の子だった。



「よく頑張ったな、マーガレット。本当に、よく無事でいてくれた……っ」


 寝台の脇で、私の手を破れんばかりの強さで握り締めていたセバスチャンが、男泣きに暮れていた。騎士団の任務を放り出して駆けつけてくれた彼は、生まれたばかりの我が子のように小さな命と、ボロボロになった私を、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめてくれた。



 そのすぐ後ろでは、実家の両親と兄、そして義両親であるダグラス伯爵夫妻が、安堵と喜びの涙を流している。


 誰もがこの命の誕生を祝福していた。



 ――ただ一人、この子の本当の父親であるはずの男、ウィリアムを除いて。



 出産から数日後。体力を回復させた私は、ダグラス伯爵邸の厳かな大サロンのソファに腰掛けていた。


 私の隣には一人の騎士として剣を帯びたセバスチャンが、そして正面には、ダグラス伯爵夫妻とシシリー伯爵夫妻、そして私の兄が、まるでおぞましい罪人を裁く裁判官のように、冷徹な面持ちで並んでいる。


 そこへ、何も知らない男が、軽い足取りで部屋へと入ってきた。


「マーガレット! 無事に帰ってきたんだね! 男の子が生まれたと聞いて、私も本当に嬉しくて……っ。ああ、これからは三人で、もっと幸せな家族に――」


 満面の笑みを浮かべ、いかにも良き「父親」といった風に両手を広げて近づいてくるウィリアム。その顔は、ここ数ヶ月、コリンヌの隠れ家で極上の甘い蜜を吸い続けてきた男の、だらしなく弛緩した表情そのものだった。



 私は、彼が私の体に触れることすら忌まわしく思い、冷たく片手を挙げて制した。


「……マーガレット?」


「ウィリアム。それ以上、私に近づかないでくださる?」


 氷点下の声音に、ウィリアムの足がピタリと止まる。



 彼はそこで初めて、部屋を包む異常な空気と、自分に向けられた親族一同の「虫ケラを見るような目」に気がついた。


「な、なんだい、みんなしてそんな怖い顔をして……。せっかく我が家の跡取りが生まれたというのに」


「跡取り、ですか。面白いことを仰るのね」


 私がパチンと指を鳴らすと、控えていたセバスチャンが、机の上に一冊の分厚い革綴じの書類を、ドサリと重い音を立てて叩きつけた。



「それは何だい……?」


「貴方の『裏切りの証明書』よ。ウィリアム」


 ウィリアムが怪訝そうにその書類を開き、最初の一ページ目を読んだ瞬間、彼の顔からスッと血の気が引いていった。



 そこには、ここ数ヶ月の間にウィリアムがコリンヌ・メーンに貢いだ伯爵家の資産の流出目録。彼女のために手配した隠れ家の住所。そして、彼がコリンヌと肌を重ねていた日時の克明な記録が、言い逃れのできない証拠と共に並んでいた。


「な、何だこれは……っ! 誰がこんなデタラメを! マーガレット、違うんだ、私はただ、困窮している彼女を人道的に助けていただけだ!」


「人道的に助ける男が、妻の妊娠中に、他の女のベッドに潜り込むのか? この恥知らずが」


 シシリー家の長男である私の兄が、低く凄みのある声で言い放つ。その手は、今にも腰の長剣の柄に伸びそうだ。



「セ、セバスチャン! これには深いわけが……! コリンヌは昔、悪い男たちに脅されて私を裏切るしかなかったんだ! 彼女は被害者なんだ、今度こそ私が守ってあげないと……!」


「まだそんな泥棒猫の嘘を信じているのか、この愚か者がっ!!」


 ついに限界を迎えたダグラス伯爵が、怒髪天を突く勢いで立ち上がり、ウィリアムの顔面に痛烈な拳を見舞った。


 激しい音が響き、ウィリアムが床にぶつかる。


「父上……っ? なぜ、なぜ私を叩くのですか!?」


「その書類の後半をよく見ろ! お前が命がけで守っているその女の、本当の姿がそこに書いてある!」


 ウィリアムは震える手で、這いつくばったまま書類をめくった。


 そこに並んでいたのは、コリンヌが現在進行形で社交界の別の子爵の愛人であり、さらにスラムの破落戸の情夫と深い関係にあるという事実。そして、二人がウィリアムを「十一年前と変わらないチョロい金蔓」と嘲笑っていた、隠密による決定的な証言の数々だった。

「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ! コリンヌが、私を騙していただなんて……! 私を愛していると言ってくれたのに……っ!」



 十一年前と全く同じ。


 自分が信じた可憐なヒロインが、ただの欲深い毒婦であり、自分はまたしても「都合のいいピエロ」として踊らされていただけだと知ったウィリアムは、頭を抱えて狂ったように叫んだ。



「ウィリアム。貴方は私に言いましたわね。『君は強いから、一人でも生きていけるだろう』と」


 私はソファからゆっくりと立ち上がり、床に無様に転がる夫を、冷徹に見下ろした。


「ええ、私は強いですわ。貴方のような無能な男の支えなど、最初から一ミリたりとも必要ないほどに。……ですから、本日をもって、貴方との婚姻関係を正式に解消いたします」


「ま、マーガレット! 待ってくれ、私はまた騙されていたんだ! 悪いのはあの女で、私は、」


「見苦しいぞ、兄上」


 すがりつこうとするウィリアムの前に、セバスチャンが立ちはだかり、その胸元を容赦なく踏みつけた。


「お前に、二度目のチャンスなどない。マーガレットを傷つけ、そのお腹の子供まで蔑ろにした罪、その身でたっぷりと償ってもらう」


 何も知らぬ道化たちの、輝かしい破滅の幕が、今ここに切って落とされた。




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