59話 知らない思い出
雪は私を見ていた。
鴨川の流れる音が続いている。
風は冷たいはずなのに、不思議と寒さを感じなかった。
私は雪から目を離せないでいた。
未来を知っている女。
私を知っている女。
だが私には、その理由が分からない。
「どうしたの」
雪が少し笑う。
「いや……」
私は言葉に詰まる。
聞きたいことは山ほどある。
だが何から聞けばいいのか分からなかった。
「なんか思ってた反応と違うなあ」
雪が川を見る。
「もっと怒ると思ってた」
「怒ってますよ」
「そう?」
「知らない人に呼ばれて京都まで来たんです」
雪は小さく吹き出した。
「それはそうだね」
その反応が自然すぎて、私は逆に戸惑う。
まるで昔から知っている相手と話しているみたいだった。
雪はしばらく黙ったあと言った。
「でも来た」
私は答えない。
「来ないと思ってた?」
「半分くらい」
「じゃあ半分は来ると思ってたんですね」
「うん」
雪は迷わず頷いた。
「あなたそういうところあるから」
私は眉をひそめる。
「会ったことないでしょう」
「あるよ」
雪はさらりと言った。
私は言葉を失う。
「私はないです」
「今のあなたはね」
意味が分からない。
だが雪は説明しなかった。
川の向こうを見る。
少しだけ寂しそうだった。
「変わってないなあ」
雪がぽつりと言う。
「何がですか」
「考え込む時、黙るところ」
私は思わず顔を上げた。
「そんなの誰でもするでしょう」
「しないよ」
雪は笑う。
「あなたは昔からそうだった」
昔から。
その言葉が引っかかった。
「だから、昔っていつですか」
雪はすぐには答えない。
風が吹く。
長い髪が揺れる。
やがて小さく言った。
「覚えてないんだね」
私は黙る。
覚えているはずがない。
今日が初対面だ。
だが雪の表情を見ると、
それを強く言い切ることもできなかった。
雪は少し笑った。
「うん、知ってた」
まるで自分に言い聞かせるようだった。
「知ってたけど、やっぱり少し期待しちゃうね」
私は何も言えない。
雪は鴨川の水面を見る。
街の灯りが揺れていた。
「ねえ」
雪が言う。
「カレー作ったら、鍋焦がしたこと覚えてる?」
「は?」
私は思わず声を出した。
「ないです」
「だよね」
雪はまた笑う。
楽しそうだった。
でもその笑顔の奥に、
少しだけ痛みが見えた気がした。
私は雪を見る。
「それ、本当に私の話なんですか」
雪は少し考えてから答えた。
「私の知ってるあなたの話」
その言葉だけが、
妙に胸に残った。
私の知っている私ではない。
だが雪の知っている私は、確かに存在していたようだった。




