54話 準備
翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。
外はまだ薄暗い。
窓の向こうには雪が残っていた。
山の冬は静かだ。
音が少ない。
私は布団の中でしばらく天井を見ていた。
昨日のやり取りが、頭から離れなかった。
京都。
そこに雪がいる。
だが、本当に会えるのかは分からない。
そもそも、存在しているのかさえ。
私は小さく息を吐き、起き上がった。
囲炉裏に火を入れる。
鉄瓶の湯が温まるまでの間、スマホを開いた。
通知は来ていない。
私は少し迷ってから、雪にメッセージを送る。
『京都のどこですか』
送信。
既読はつかなかった。
私はスマホを伏せる。
返事が来ないことにも、少し慣れ始めていた。
朝食を済ませ、作業場へ向かう。
空気は冷たい。
踏み固められた雪が、靴の下で鳴った。
蚕室では、いつものように葉を食べる音がしている。
「おはようございます」
「おはようございます」
星さんは変わらない。
桑を運びながら、淡々と作業している。
私は黙って手を動かした。
だが頭の中では、ずっと京都のことを考えていた。
どう行くのか。
何日かかるのか。
金は足りるのか。
それに。
本当に行くべきなのか。
昼前、少し休憩になった時、私はスマホを確認した。
既読がついている。
だが返事は一行だけだった。
『広いからね』
私は画面を見つめる。
それだけだった。
場所の説明もない。
私は眉をひそめる。
『会う気あるんですか』
少し強めに打ってしまった。
送信したあと、すぐ後悔する。
返事はしばらく来なかった。
星さんが湯飲みを置く音だけが聞こえる。
私はスマホを伏せた。
すると数分後、短く通知が鳴った。
『来ても、会えないかもしれないよ』
私は小さく息を止めた。
また、それだった。
会わせたいのか、
会わせたくないのか分からない。
私は文字を打つ。
『それでも行きます』
既読。
返事はなかった。
その日の帰り、私は町の小さな店へ寄った。
旅行用の鞄など持っていない。
作業着と、着替えを少し買い足す。
財布の中身を確認しながら、必要最低限だけ選ぶ。
京都までの行き方も調べた。
電車を乗り継ぎ、
さらに新幹線。
金額を見て、私は少し黙る。
安くはない。
だが行かないという選択肢は、もう消えかけていた。
夜。
家へ戻る。
囲炉裏の火を見ながら、私は荷物をまとめ始めた。
着替え。
充電器。
財布。
それだけで鞄はほとんど埋まる。
自分でも妙だった。
まるで、
本当に数日で戻ってくるつもりでいる。
私は作業着を畳む手を止める。
雪は言っていた。
『戻れなくなるかもしれない』
あれは何だったのか。
比喩ではない気がしていた。
囲炉裏の火が揺れる。
私はスマホを手に取る。
通知は来ていない。
京都へ行く。
だが、どこへ行けばいいのかは分からない。
それでも私は、もう向かうつもりでいた。
たぶん私は未来のことより先に、
雪という存在を確かめたくなっている。




