55話 出発
出発の日の朝、空はまだ暗かった。
私は静かに荷物を持ち、玄関に立つ。
囲炉裏の火は落としてある。
冷えた家の空気が、やけに広く感じた。
鞄は軽い。
数日分の着替えしか入っていない。
本当に戻ってくるつもりなのか。
自分でも分からなかった。
外へ出る。
雪は止んでいた。
白くなった道を踏みながら、私は振り返る。
山木屋の冬。
静かな山。
蚕室の匂い。
ここへ来た頃は、
まさか京都へ向かうことになるとは思っていなかった。
私は小さく息を吐き、そのまま歩き出した。
最寄り駅へ着く頃には、空が少し明るくなっていた。
ホームに人は少ない。
電車が来る。
扉が開く、私は乗り込み、窓際へ座った。
ゆっくりと景色が動き始める。
雪に埋もれた畑。
凍った川。
遠くの山。
見慣れた景色が、少しずつ離れていく。
スマホを開く。
通知は来ていない。
私は少し考え、
雪へ短く送った。
『今日、京都へ向かいます』
送信。
既読はつかなかった。
乗り換えを繰り返す。
駅へ着くたび、人が増えていく。
車内の空気も変わっていった。
山木屋では聞かなかった音がある。
話し声。
着信音。
広告。
足音。
私は少し疲れを感じながら、窓の外を見る。
雪は減っていた。
灰色だった景色に、少しずつ色が戻っていく。
途中、駅の売店で弁当を買った。
温かい缶コーヒーも。
だが味はほとんど覚えていない。
頭の中は、ずっと雪のことで埋まっていた。
未来を知る女、私を知っている女。
そして、私が戻れなくなると言った女。
新幹線へ乗り換える頃には、外はもう夕方になっていた。
人が多い。
スーツ姿の男。
旅行客。
学生。
誰も私を見ていない。
だが私は、妙に落ち着かなかった。
もし京都へ着いても、
雪に会えなかったら。
そもそも最初から、
全部嘘だったら。
私は窓へ視線を移す。
夜の景色が流れていく。
スマホが震えた。
私はすぐ画面を見る。
雪だった。
『ほんとに来るんだ』
短い文章。
私は少し迷ってから返す。
『もう向かっています』
既読。
返事はすぐ来た。
『後悔するかもよ』
私は画面を見つめる。
何度も同じことを言う。
止めたいのか、
試しているのか分からない。
私は打つ。
『あなたは、会いたくないんですか』
送信。
数秒後、
返事が来た。
『会いたいよ』
その一文に、
私は逆に不安を覚えた。
感情が見えない。
本心が分からない。
私はスマホを閉じ、深く座席へもたれた。
京都へ着いた頃には、夜になっていた。
ホームへ降りた瞬間、
空気の違いが分かる。
寒い。
だが北海道の寒さとは違う。
湿った冷気だった。
人が多い。
駅は明るく、
絶えず音が響いている。
私は少し立ち止まり、周囲を見渡した。
知らない街だった。
雪は、ここにいる。
だが、どこにいるのかは分からない。
スマホを開く。
雪から通知は来ていなかった。
仕事が忙しく、小説のストックがなくなってしまったので少し休載します。




