42話 名前の続き
翌日も同じ道を歩いた。
迷いはなかった。門の前に立つと、昨日よりも躊躇が薄い。小さく息を整え、声をかける。
「失礼します」
ほどなくして男性が現れた。
「来ましたか」
「はい。昨日はありがとうございました」
頭を下げると、男性は軽く頷く。
「中へどうぞ」
門をくぐる。昨日と同じはずの一歩が、わずかに違って感じた。完全な外ではない、という程度の変化だった。
作業場に入ると、準備はすでに始まっている。棚の上の蚕は、昨日よりも少し大きく見えた。
私は昨日と同じ位置に立ち、様子を見る。男性は何も言わず、ただ手を動かしている。視線だけが、ときどきこちらに向く。
しばらくして、桑の葉を運ぶ作業が始まった。
動きを追っていると、男性が言う。
「持てますか」
「はい」
顎で示された場所に行き、積まれた葉を抱える。量はあるが、運べないほどではない。足元を確かめながら、棚の近くまで運んだ。
「ここでいいですか」
「そこに置いてください」
言われた通りに置く。
「ありがとうございます」
自然に口に出る。男性は応じず、作業を続けた。
「葉は新しいものを使います。古くなると食いつきが落ちるので」
短い説明が加わる。
「はい」
それだけ返す。
運ぶ、置く、離れる。求められるのはそれだけだが、昨日とは違う。見ているだけではない。
作業の合間、男性がふと口を開いた。
「北海道と言っていましたね」
「はい」
「農作業は、その時に」
「田植えの手伝いを少し」
男性は小さく頷く。
「季節で仕事が動く感覚は分かりますか」
「多少は」
「ここも似たようなものです」
それだけのやり取りだが、距離が少し縮まる。
しばらくして、男性が続けた。
「昨日の話ですが」
「はい」
「同じ名前の方の件です」
自然と背筋が伸びる。
「この近くではなく、もう少し山側に家がありました」
初めて具体的な場所が示される。
「今はもう、人は住んでいませんが」
私は黙って聞く。
「養蚕をやっていた家です」
静かな言葉だった。
胸の奥が、わずかにざわつく。
「詳しくは知りません。ただ、長く続いていたと聞いています」
そこで話は止まる。
それ以上は踏み込まない。
「場所は……」
言いかけて、飲み込む。
男性は手を止めずに言った。
「興味があるなら、いずれ分かります」
突き放すでもなく、急かすでもない。
「急ぐ話でもありません」
私は頷くだけにした。
視線を戻し、作業を見る。さっきまでとは違う意味で。
ここに来た理由が、形を持ち始めている。
やがて、男性が言う。
「今日はここまでにしておきましょう」
「はい」
外に出ると、空気が軽い。門の前で一度立ち止まる。
「また来てもいいですか」
「構いません」
短い返事だった。
頭を下げ、道に出る。
歩きながら、言葉を反芻する。
山側の家。養蚕。同じ名前。
偶然とは思えなかった。
確かめる必要がある。
ただ、それは今日ではない。
私は足を止めず、そのまま歩き続けた。




