32話 仙台港
日が傾き始めた頃、フェリーがゆっくりと岸壁に寄っていく。
低く響くエンジン音と、規則正しい振動。
甲板に出ると、潮の匂いがふわりと広がった。
目の前に広がるのは、仙台の港。
整然と並ぶコンテナ、静かに動くクレーン。
それぞれが無駄のない動きで、港全体が一つの流れとして機能している。
派手さはない。
けれど、確かな力強さがあった。
タラップを降りると、足元から現実が戻ってくる。
行き交う人々。
作業着の男たちが手際よく動き、トラックが一定のリズムで出入りしている。
その一つ一つが、日々の仕事として積み重ねられているのが分かる。
誰かが特別に目立つわけじゃない。
それでも、この場所を支えているのは、こういう人たちなんだと思った。
少し歩くと、港の外へと続く道に出る。
広い道路に、整った区画。
遠くには工場や倉庫が見え、生活と仕事が隣り合っているような風景だった。
海からの風は強いが、どこか柔らかい。
長くこの土地で吹いてきた風なのだろう。
(不思議な場所だな)
思わず、そんな感想が浮かんだ。
ここには人の営みがある。
静かだけど、確実に続いてきた時間がある。
コンビニに入り、缶コーヒーを買う。
レジの店員は落ち着いた手つきで対応し、
「ありがとうございました」と、当たり前のように言った。
それだけのやり取りなのに、妙に現実味があった。
外に出て、近くのベンチに腰を下ろす。
トラックの走る音。
遠くで作業する人たちの声。
クレーンの動く機械音。
どれもが、この場所の日常だった。
缶を開け、一口飲む。
苦みが、少しだけ体に馴染む。
「はぁ」
息を吐く。
ここに居れば、紛れることはできるかもしれない。
けれど。
(ここにいる理由は、ない)
そう思った。
この場所には、この場所で生きている人たちがいる。
自分は、ただ通り過ぎるだけの人間だ。
ふと、頭の奥に残っていた記憶が浮かぶ。
祖父の産まれた町。
聞いたことがあるだけの土地。
"福島―川俣町"
理由なんて、はっきりしない。
それでも、なぜか引っかかっていた。
缶を飲み干し、立ち上がる。
「行くか」
小さく呟く。
風が吹く。
さっきよりも、少しだけ前に進める気がした。




