スグル、まさかの提案
それから俺も大学へ行き、久留米と再会した。
「おい、安藤。どうだよ、あの家庭教師案件は」
講堂の奥の方に座っていた俺を見つけ出したのか、久留米はそそくさと寄って来た。
それからからかうように腹を突いてくる。
「心折れちゃったか?」
「冗談じゃない、むしろ元気でやってるさ」
「なんだ、そうなのかよ。あんだけ給料が高いなら骨が折れる仕事かと思ったけどな」
まあ骨が折れるかと言われたら、振り回されている感はあるけれど。
「でも生徒さん、思ったよりいい子だよ。ちょっと・・・、いやだいぶ変わってはいるけど」
「へえ、ああそう」
久留米はもうあまり興味もない様子で、ペン回しをしている。
コイツから聞いてきたくせに。
「だけど心折れてないならよかったな、これでお前の家計もちょっとは楽になるだろ」
「うーん、そうだな。まあ時給は悪くないからな」
きょうだい五人を養うのは容易なことじゃない。
だがこの仕事があれば、何とかなるかもしれないと希望が見えていた。
大学が終わり、スグルの家へ帰ってくる。
渡された合鍵を使って扉を開く。
「わああっ、どうしよう、やばいかも⁈」
やけに慌てたような声が家の中から聞こえてくる。
異様に緊迫感があると言うわけではないが、スグルが慌てているようだ。
「スグル、大丈夫か⁈」
スグルが焦っている声をあまり聞いたことがなかったので、急いで家に上がり込む。
すると脱衣所から何か泡のようなものが流れ出してくるのに気が付く。
泡⁈
「ちょ、スグル、この泡何⁈」
急いで脱衣所の扉を開くと、そこには目を見張るような光景が広がっていた。
脱衣所全体を覆いつくすような、巨大な泡の壁。
そしてその中に巻き込まれ、あたふたとしているスグル。
どうも泡の出所は洗濯機らしい。
ごうんごうんと、とんでもない音を立てている。
「スグル、何でこんなことになってるの?」
急いで泡の中にいるスグルを助け出した。
スグルは泡まみれになっていて、まるで泡の妖精みたいになっている。
笑っちゃいけないのは分かっているが、流石に状況が状況だ。
「凛斗、ごめん・・・昨日料理ができたからって調子に乗っちゃって・・・自分で洗濯をしてみようかと思っちゃったんだ・・・!」
頭の上に泡を乗せて、申し訳なさそうにしているスグル。
「まあスグルが無事ならいいんだけど・・・洗濯機が無事じゃないか・・・」
スグル自身は怪我などをしているわけではないようだが、泡まみれになっている。
「とりあえずこの泡の片づけは俺がしておくから、スグルはお風呂に入って」
「ごめん、凛斗・・・」
今まで意気揚々としていることが多いスグルのことだ、ここまで落ち込んでいるのを見るのは初めてだった。
「いいよ、まずは体に着いた泡を流しておいで」
そうして俺はスグルを風呂に入れたが、泡が溢れてしまった洗濯機は壊れてしまったようだった。
床や壁にまで広がった泡を片付けるものの、廊下まで濡れてしまっている。
何とか脱衣所周辺を綺麗にしたものの、これではしばらくの間洗濯ができない。
「新しい洗濯機買った方がいいのかな・・・」
俺は寝室に戻ってから、ネット通販で洗濯機を探してみた。
すると一通のメールが届いた。
「朱莉・・・」
朱莉からのメールだった。
〈お兄ちゃんへ。家庭教師は上手く行ってるかな。こっちもこっちで何とかやってるよ。でもお兄ちゃんがいないとやっぱり足りない部分もあるみたい。私もまだまだね。でも、お仕事だから私も分かってる。頑張ってね〉
健気な妹だと思った。
時には家に帰ると言うことを伝えようと思いメールを書いていると、おもむろに部屋の扉が開いた。
「凛斗、ドライヤーも壊れちゃったみたい・・・」
そこに立っていたのは、タオル一枚で髪を濡らしたスグルだった。
「ぎゃああああっ!」
俺は慌てて両目を手で覆い、スグルの姿を見ないようにした。
セーフ、セーフ、俺は何も見てない!
スグルは胸元までタオルで隠しているものの、その姿はタオルでしか隠されていない。
というか俺が乙女みたいなリアクションしちゃってる!
「もーうるさいなぁ。どうしたの?」
「どうもしてるよ! その格好はダメ! すぐにパジャマ着て!」
「えーっ、ボク女の子じゃないから、そんなにおどおどしなくてもいいよ?」
女の子じゃない、と言われてもそれを容易に飲み込めはしない。
指の隙間から覗いたスグルの姿は、真っ白い肌と長い銀髪で目に毒だ。
確かに体にしなやかさが十分にあるわけではないが、もはやスグルの美しさは性別を超越したものなのだ。
男だろうと女だろうと、その二つのどちらでないとしても!
「・・・ごほん、いいか、スグル」
「うん、なあに?」
濡れた髪をうっとうしそうにしているスグルに言い聞かせる。
「お前の性別がどうかは深入りしないよ。そこはお前を尊重する。だけど性別に関係なく、人は自分の体を大事にしなきゃいけない」
「・・・うん」
「そうやって無防備な姿を見せるのは、たとえ相手を信頼していたとしても良くない。それに俺はお前の先生だ。先生として、生徒が危なっかしい姿でいるのは看過できない」
俺はできるだけスグルの体には目をやらないで、目だけをまっすぐに見つめた。
彼なのか、彼女なのか、断定のできない端正な顔立ち。
スグルはしばらく黙っていたが、それから嬉しそうに微笑んだ。
「・・・凛斗って、ホントにいい人だね」
「えっ・・・」
「わかった。パジャマに着替えてくるから、ちょっと待ってて。着替えたら髪乾かしてくれないかな」
「・・・いいけど」
良い人、と言われたことなど今までにあっただろうか。
というか、人のことをいい人と評価する人自体があまりいない気がする。
それにしてもドライヤーまで壊れてしまったのは先が思いやられる。
とにかく脱衣所の周りにある機器は一通り壊れてしまったのかもしれない。
「まあ、いい人と言われて悪い気はしないけど・・・」
だがこれから風呂や洗濯をどうすればいいのやら・・・。
そんなことをしばらく考えていると、スグルがパジャマに着替えて戻って来た。
「髪、乾かしてほしい」
タオルを手渡され、俺はベッドに腰かける。
そしてスグルは俺に背を向ける形で床に座り、そのまま俺は銀髪にタオルを添える。
さらりと長い髪の毛。
しっとりと水には濡れているが、それでも艶やかだ。
「スグルが髪を伸ばしてるのは趣味なのか?」
「いや、髪を切るのが嫌いなんだよ。耳元にハサミが来るのが怖くて・・・」
「へえ、そうなんだ」
怖いもの知らずと言った様子のスグルにも、案外弱点があるらしい。
「それにしてもさ、スグル。これから洗濯とかどうする。洗濯機壊れちゃったみたいだし、ドライヤーとかも巻き込まれて故障したみたいだしさ・・・」
「・・・うーん、そうだよね。そんなすぐに洗濯機が買えるわけでもないからね・・・」
スグルも事態の大変さは分かっているようだ。
悩むような声を上げて、唇を尖らせている。
「凛斗の家に行きたい」
「うーん、そうかあ・・・」
ごしごし、とスグルの髪の毛を乾かす。
「うん?」
今スグルがさらっと何かを言わなかったか?
「ちょっと待ってスグル、今何か言ったよね」
「え、うん。言ったけど」
「なんて言った?」
動揺する俺をよそに、スグルはけろりとしている。
「え、凛斗の家に行きたいって言った」
「お、俺んち・・・⁈」




