お兄ちゃんは、私のものなの
スグルが家族の中に加わってから、どのくらいが経っただろうか。
きょうだいの中にスグルが存在する状態が普通になり始めて、家に帰ってくればスグルが待ってくれていることも自然になってきたころだった。
俺が大学から帰ろうとしたとき、とある一人の女の子が声を掛けてきたのだ。
「あ、あの、安藤くん」
「・・・どうしたの?」
話しかけてくれた女の子は、あまり面識のない子だった。
ゼミこそ一緒だが、話したことはあまりない気がする。
「あのね、安藤くん・・・その、ちょっと話があって・・・」
話とは何だろう、とどきりとする。
夕暮れ時の空気がしんとしていて、彼女が緊張している様子が手に取るようにわかる。
女の子はしばらく黙っていたが、ふと何か手紙のようなものを取り出した。
「あの、これ、受け取ってほしくて・・・」
「手紙・・・?」
女の子が渡してきたのは一通の手紙だった。
「・・・へ、返事は今じゃなくても大丈夫です・・・。また、後日・・・!」
そう言うと女の子は身をかわして去って行ってしまい、大学の中庭には俺だけが取り残された。
(この手紙は何だろう・・・)
俺はしばし固まっていたが、返事は後日、という言葉が気になった。
誰もいない中庭。
俺はちょっとだけ手紙の封を開いて中を覗いてみることにした。
〈凛斗君へ、突然の手紙ごめんね 私、同じゼミの藤川です。前におんなじ班でレポート一緒に作成したの覚えてるかな。その時から、ずっと凛斗君のことが好きで・・・〉
そこまで読んで、俺は慌てて手紙を閉じた。
い、今、好きって書いてあったよな?
人生の中でラブレターをもらったのなど、高校生の頃が最後だろうか。
「こ、これ、どうしよう・・・」
返事は後日でいいと言われたが、その肝心の返事をどうしたらよいのか。
あの女の子のことは、確かに今言われるとぼんやり覚えている。
一緒にレポートを作ったことはあったが・・・。
しかしともかく家に帰らない事には・・・。
俺は家路を急いだが、カバンの中の手紙の存在をそのうちに忘れてしまっていた。
「お兄ちゃん、これ、何?」
それは夕食を終えた後の出来事だった。
床に放置されていた俺のカバンを見て、あからさまに朱莉が表情を変えていたのである。
「え?」
俺が唖然として振り返ると、そこには手紙を手にしたまま仁王立ちの朱莉がいた。
「あ、それは・・・」
そういや昼に手紙をもらっていたな・・・とそんなことを思いだしたが、正直言って今はそれが第一課題ではなかった。
なぜなら目の前に立っている朱莉がとんでもない形相だからだ。
「へえ・・・安藤凛斗くんへ・・・ってねえ。これって、おんなじ大学の子からもらったのかしら?」
どうも朱莉にはあの手紙がラブレターだと見抜かれているのだろうか、朱莉は今までに見たことがないほど不満そうだ。
「これ、ラブレターよね?」
「えっと、まあ、そうなのかなあ・・・」
「・・・そうなのかなあって言うか、あたしにはそうにしか見えないんだけど」
まあ実際そうだろう。
だって手紙の中には好きって書いてあったし・・・・
俺はそれをこの目で見たわけだし・・・。
「・・・ねえ、返事したの?」
朱莉は手紙を片手に持ったまま、俺の方へずいずいと近づいてきた。
すごい剣幕であるが、それは怒っているというよりすねていると言った方が正しいだろうか。
彼女は手を腰に当て、いかにも不満そうだ。
「・・・いや、返事はまだしてないけど・・・」
俺がそう言うと、ほんの少しだけ朱莉の肩から力が抜けたように見えた。
「そう・・・それならまあ、まだぎりぎり許してあげるけど・・・」
ぎりぎりってことは、あとちょっとで許されてなかったのかよ!
許されてなかった場合のことを想像して背筋が少し寒くなるが、朱莉は俺の方をじっと見つめたまま動かなかった。
「ねえお兄ちゃん、単刀直入に聞くけど、告白してきた子のこと、好きなの?」
本当に単刀直入な質問だった。
単刀直入過ぎて、もはや変な声が出そうになったくらいで。
「うーん、好きかどうかと言われると・・・」
俺は言葉に詰まったが、好きかどうかと言われると難しいのは事実だ。
確かに告白して来てくれた子は可愛らしかったし、思い返せば一緒にレポートを作ったりした思い出もある。
しかしそれまでのことではあるのだ。
思い出はあるにはある、だが〈あるにはある〉というのが限度だった。
「嫌いではないかな・・・、面識はあるかなってくらいで・・・」
「ふうん」
朱莉はつとめて興味のなさそうな声を出そうとしていたようだったが、その声の矛先が俺であることに間違いはなさそうだった。
何と言うか、私の勝ちね、と聞こえるような・・・。
「で、今後の返事はどうするつもりなの?」
朱莉からそう問われ、俺はもう一度固まってしまうことになった。
・・・返事は、本当にどうすれば良いのだろう。
ここずっとバイト漬けだったこともあるし、それに加えてスグルが家族に加わるという騒動もあったわけだ。
だから恋愛ごとに対してはすっかり疎くなってしまっていた自覚があるが・・・。
「ねえ、お兄ちゃん」
しかしそんな思考を遮るように声を掛けられ、俺は首をかしげながら朱莉の方を見た。
「・・・スグルさんの脱出ゲームで私が書いた紙、まだ持ってる?」
そんなことを言われ、俺はポケットから自分のスマホを取り出した。
「もちろん、まだ持ってるよ。スマホケースに挟んでる。なくさないようにね」
当然のことだった。
朱莉から大事に持っていろと言われたのだから、なくすわけがない。
すると朱莉は納得したように頷いてから、どこかに向かい始めた。
「あれ、朱莉、どこ行くの?」
「・・・ん? お風呂だけど」
「お風呂?」
俺は思わずきょとんとしてしまった。
確かにもう学校は終わっただろうが、風呂に入るにしてはまだ時間が夕方だ。
しかし朱莉はしゃんとしたまま風呂場の方へ向かって行ってしまう。
そしてその道中でこちらを振り返り、俺の目を見つめて告げてきた。
「・・・あたしがお風呂から帰ってくる前に、その紙の中身見ておいて。私の方が先手だったって、分かるから」
「先手って・・・、あっ、朱莉・・・」
先手とは何なのか、と俺が真相を聞こうとしたのも束の間、朱莉はさっさと風呂場の方へ消えて行ってしまった。
朱莉がついに動き出す・・・




