第53話 黄金の雲海鯨
グライツ王国を出て、私たちは『聖なるマップ』に現れた足跡を追っていた。
目指すのは、王国から西へ外れた険しい大渓谷。
地図に現れた足跡は一つだけ。
星でもなく、『???』でもない。
今まで一度も見たことのない、不思議な虹色の印だった。
「この先で間違いないよ」
私は地図を確認しながら、慎重に岩場を進んだ。
左右には切り立った崖。
谷底を覗けば、霧に隠れて底すら見えない。
「フール、あんまり端に寄るなよ」
後ろからオラクルが言う。
「分かってるよ」
「お前の『分かってる』は信用ならねぇんだ」
「なんで!?」
「合成の聖杯」
「それはもう反省したってば!」
肩に乗るメリーが小さく頷いた。
「信用ならない」
「メリーまでまだ言うの!?」
少し前を歩いていたフランアーデルさんが、堪えきれずに笑った。
「でも本当に危険な場所だ。フールちゃん、手を貸そうか?」
「大丈夫です!」
言った直後。
ズルッ。
「わっ!?」
足元の小石が崩れた。
すぐにフランアーデルさんが腕を掴む。
「……大丈夫?」
「……ありがとうございます」
後ろから。
「ほらな」
オラクルの声。
「何も言わないで!」
谷を下りるほど、風が強くなっていった。
ゴォォォォ……。
岩壁の間を吹き抜ける風が、低い唸り声のように聞こえる。
けれど。
さらに奥へ進んだ時。
「……止まった?」
突然。
風が消えた。
完全な静寂。
代わりに聞こえてきたのは。
すぅぅぅ……。
ごおぉぉ……。
「何、この音?」
規則的。
大きく。
ゆっくり。
オラクルの耳がぴくりと動く。
「呼吸だ」
「え?」
「何かデカい奴が寝てる」
メリーが私の服を掴んだ。
「龍?」
「また龍だったら嫌だなぁ……」
黒龍王のことを思い出す。
するとフランアーデルさんが、少し楽しそうに短剣へ手を添えた。
「もし龍なら――」
「戦おうとしないでください!」
「まだ何も言ってないよ?」
「絶対戦う顔でした!」
オラクルが頷く。
「こいつ、案外戦闘狂だな」
「人聞きが悪いなぁ」
そんなことを話しながら。
最後の岩壁を回り込んだ。
そして――。
「……わぁ」
それ以上。
声が出なかった。
渓谷の最深部。
そこには。
巨大な結晶洞窟が広がっていた。
壁も。
天井も。
床も。
無数の透明な結晶で覆われている。
淡い青。
紫。
金。
色とりどりの光が反射し合い、まるで星空の中へ迷い込んだみたいだった。
洞窟の中央には。
静かな地底湖。
その水面に――。
何かが浮かんでいた。
「……あれ」
私は目を疑った。
鳥じゃない。
竜でもない。
「クジラ……?」
巨大な。
クジラだった。
だけど。
普通のクジラとは全然違う。
地底湖の半分を埋めるほどの巨体。
滑らかな身体は、太陽そのものを固めたような黄金色。
その身体が呼吸するたび。
皮膚から金色の光の粒が、ふわりと舞い上がる。
一粒。
二粒。
何百。
何千。
光が洞窟の天井へ昇っていき。
そこだけが。
まるで黄金の雲海。
「きゅ……きゅーう……」
メリーが。
珍しく小さな声しか出せない。
フランアーデルさんも。
ただ見つめている。
「こんな生き物……本当にいたんだ」
オラクルまで。
煙草をくわえるのを忘れていた。
「……こりゃ、金に換算する気にもならねぇな」
「そこは換算しようとしないで!」
でも。
私も分かる。
これは。
お宝なんかじゃない。
もっと違う何か。
神様の世界から迷い込んできたみたいな。
そんな存在。
私は『聖なるマップ』を開いた。
その瞬間。
カァァァ……。
地図全体が。
虹色に光った。
「えっ!?」
いつもの星マークとは違う。
『???』でもない。
黄金のクジラが眠っている場所。
そこに。
巨大な虹色の印が浮かぶ。
【――――――】
文字は。
読めない。
でも。
その印から。
一本の光の線が伸びる。
上へ。
上へ。
地図の端。
雲海の向こう。
【天空の国 カサンドラ】
「繋がった……」
私は息を呑んだ。
フランアーデルさんも地図を見る。
「間違いない」
「うん」
このクジラが。
カサンドラへの道。
「この子に乗れば……」
雲の上へ行ける。
No.10のいる場所へ。
TIMEの本拠地へ。
もしかしたら。
両親へ続く何かがある場所へ。
私は地図を胸へ抱いた。
「やっと……見つけた」
私たちは地底湖の岸へ降りた。
近くで見ると。
さらに大きい。
「これ……どうやって背中に乗るんだ?」
オラクルが見上げる。
「まず起こさないと」
私は湖へ向かって手を振った。
「クジラさーん!」
返事なし。
「起きてくださーい!」
すぅぅぅ……。
ごおぉぉ……。
気持ち良さそうに寝ている。
「メリー、呼んでみて」
「うん」
メリーが飛んでいく。
黄金のクジラの顔の近くまで。
「起きてー!」
「……」
「朝だよー!」
「……」
「パンあるよー!」
「パンで起きるのはメリーだけだよ!」
反応なし。
メリーが頬らしき場所を小さな手でぺちぺち叩く。
「起きて」
ぺち。
「起きて」
ぺちぺち。
「起きない」
「見れば分かるよ」
オラクルが湖岸でしゃがむ。
「酒の匂いでも嗅がせてみるか?」
「クジラに!?」
「酒で目覚める生き物は多いぞ」
「どこの世界の常識!?」
すると。
フランアーデルさんがカバンから取り出した。
『俺とお前と鬼殺し』
「なんでフランアーデルさんまで持ってるんですか!?」
「宿に置いてあった」
「いつの間に!」
「試してみようか」
「真面目にやらないでください!」
でも。
本当に。
何をしても起きない。
呼ぶ。
叩く。
音を鳴らす。
いい匂いの食べ物。
鬼殺し。
メリーが耳元で大声。
オラクルが石を二つ鳴らす。
フランアーデルさんが短剣の鞘を軽く叩く。
「……」
全滅。
クジラは。
ただ静かに眠っている。
私は地底湖の岸へ座った。
「うーん……」
「相当深い眠りだな」
オラクルも横へ座る。
「魔法で寝かされてる可能性もある」
フランアーデルさんが言った。
「魔法?」
「普通の睡眠なら、ここまで何をしても反応しないのは不自然だ」
確かに。
私は。
黄金のクジラを見る。
呼吸はしてる。
苦しそうでもない。
でも。
何百年も。
何千年も。
ずっと眠っているような。
そんな感じ。
「無理やり起こすのは……」
私は首を振った。
「やめよう」
オラクルが頷く。
「賛成だ」
「短剣で刺激するのは?」
フランアーデルさんが言った。
「絶対ダメです!」
「冗談だよ」
「この人の冗談、怖い!」
メリーが戻ってくる。
「フール」
「何?」
「分からない時」
小さな指を一本立てる。
「情報」
私は。
ハッとした。
「……そうだ!」
オラクルを見る。
「何だよ」
「オラクルが教えてくれた!」
「何を?」
「分からないことがあったら、まず情報を集めろって!」
オラクルは少し驚いて。
それから。
ニヤッとした。
「やっと俺の教育が身についてきたか」
「教育って言うほど教えてないじゃん」
「授業料払え」
「やっぱりいらない教育!」
フランアーデルさんが笑う。
「でも、いい考えだね」
「うん!」
私は立ち上がった。
「一回グライツ王国へ戻ろう」
「街へ?」
「これだけ珍しい生き物なら、昔の記録とか……知ってる人がいるかもしれない」
大図書館。
世界中から集まった冒険者。
古い店。
変わった人。
探せば。
きっと。
何かある。
「このクジラさんを起こす方法を見つけよう」
メリーが拳を上げる。
「起こす!」
フランアーデルさんも頷いた。
「それが一番確実だ」
オラクルは立ち上がり。
黄金のクジラを見た。
「待ってろよ、デカブツ」
「名前みたいに言わないで!」
私たちは。
もう一度。
黄金のクジラを振り返った。
眠ったまま。
金色の光を舞い上げている。
「すぐ戻ってくるからね」
カサンドラへの翼は。
もう見つけた。
残るのは。
この翼を。
目覚めさせる方法。
そう思っていた。
この時は。
それを探すために。
あんなに怪しい男へ。
お金を払うことになるなんて――。
まだ誰も知らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに『聖なるマップ』の特殊な足跡の正体が判明しました。
渓谷の最深部、結晶洞窟で眠っていたのは――黄金の巨大なクジラ。
地図でも☆や『???』とは違う、特殊な虹色の反応を示しています。
そしてその反応は、天空の国カサンドラへ直接繋がりました。
つまり、この黄金の雲海鯨こそが、地上からカサンドラへ到達するための「翼」。
……なのですが。
どれだけ呼んでも、叩いても、パンで誘っても、鬼殺しの匂いを嗅がせても起きません。
そこでフールたちは、オラクルから学んだ「分からないならまず情報を集める」という考え方で、グライツ王国へ引き返すことに。
次回。
黄金のクジラを起こす方法を探すフールたちの前に現れるのは――。
一度しか出ないのに、とんでもなく胡散臭い宣教師です。




