第41話 その二択は、選ばない
「さあ、選べ」
TIME No.4の声が、白黒の巨大な盤上へ冷たく響いた。
チェックのお兄ちゃんの首元には、紫黒の刃が突きつけられている。ほんの少し深く食い込むだけで、その命を奪えてしまいそうな距離だった。
そして私の鞄には――カジノでようやく手に入れた、☆5《幻獣種召喚の本》。
「本を渡せば、そいつは返してやる。だが拒めば、ここで死ぬ」
No.4は楽しむように口元を歪めた。
「簡単な話だろう?」
簡単なわけがない。
チェックのお兄ちゃんは助けたい。でも、☆5の秘宝をTIMEへ渡せば、何に使われるのか分からない。
グラティスでは《古の目覚めの笛》を奪われた。あの時と同じように、またTIMEへ大きな力を渡してしまえば、今度はもっと多くの誰かが傷つくかもしれない。
だからといって――チェックのお兄ちゃんを見捨てるなんて、絶対にできない。
私は拳を強く握った。
「お嬢」
すぐ隣から、オラクルの低い声が聞こえた。
顔を向けると、オラクルはNo.4ではなく、その周囲を観察している。
床。
巨大な《王将》。
チェックのお兄ちゃんを拘束している黒い縄。
首元へ伸びている紫黒の刃。
そして、No.4が右手に持つ禍々しい魔導書。
「よく見ろ」
「え?」
「人質を縛ってる魔法も、首に当ててる刃も、全部あの本から出てる」
言われて目を凝らす。
本当だ。
チェックのお兄ちゃんを締めつけている黒い魔力には、細い糸のようなものが伸びている。その先はすべて、No.4の魔導書へ繋がっていた。
「だったら一瞬でいい」
オラクルは、ほとんど唇だけを動かして続ける。
「奴が魔導書の制御から意識を外せば、隙ができる」
「でも、どうやって……」
その時、肩にいたメリーが私の耳元へ近づいた。
「フール」
「何?」
「光る?」
見ると、メリーの小さな両手の間に白い光が集まっている。
ほんの一瞬。
それで十分なのかもしれない。
私は鞄へ手を入れ、☆5《幻獣種召喚の本》を取り出した。
「フールちゃん!?」
ピンクのお兄ちゃんが驚いて声を上げる。
「待つでぷ! それを渡しちゃダメでぷ!」
傷だらけの白銀のお兄ちゃんも、無理を押して前へ出ようとした。
私は二人へ、小さく首を振る。
「大丈夫」
本を両手で抱えたまま、一歩前へ出た。
No.4の目が細くなる。
「ほう。物分かりのいい小娘だ」
「……チェックのお兄ちゃんを、本当に返してくれる?」
「無論だ」
信じていない。
この男が本だけ受け取って、私たちを無事に帰すとは思えなかった。
でも今は、それでいい。
私が信じたように見えればいい。
一歩。
もう一歩。
ゆっくりと距離を詰めていく。
背後からオラクルの気配を感じる。メリーも、ピンクのお兄ちゃんも、白銀のお兄ちゃんも、全員が私の次の動きを待っている。
あと五歩。
四歩。
三歩。
No.4の視線は、《幻獣種召喚の本》へ完全に吸い寄せられていた。
「さあ」
男が左手を伸ばす。
その手の甲には、はっきりと数字が刻まれていた。
【4】
TIMEの証。
「早くよこせ」
あと一歩。
私は、本を差し出すように両腕を伸ばした。
そして――。
「メリー!」
「きゅうううううっ!!」
カァァァァッ!!
次の瞬間、白黒の盤上すべてが真っ白な光に呑み込まれた。
「ぐあああっ!?」
No.4が両目を押さえる。
「目が……っ!」
魔導書を持つ右腕が大きく逸れた。
同時に、チェックのお兄ちゃんの首元へ伸びていた紫黒の刃が消える。
「今だ!」
オラクルが地面すれすれまで身体を沈め、一気に駆け出した。
「ピンク! 白銀!」
「分かってるでぷ!」
三人が同時に動く。
オラクルの短剣が、チェックのお兄ちゃんを縛る黒い縄の根元へ突き刺さった。
「切れろ!」
バチンッ!
魔力の糸が一本弾ける。
そこへ白銀のお兄ちゃんが☆2《聖なる聖杯》を掲げた。
聖杯から溢れた透明な水が白い光へ変わり、残っていた黒い拘束へ降り注ぐ。ジュッという音とともに闇が次々と消え、チェックのお兄ちゃんの身体が自由になった。
「チェック!」
最後にピンクのお兄ちゃんが飛び込み、崩れ落ちる弟を抱き止めた。
「オラクル!」
「分かってる!」
オラクルも床を蹴り、こちらへ戻ってくる。
直後。
ドゴォォン!!
さっきまでオラクルが立っていた場所へ、巨大な黒い刃が突き刺さった。
「チッ!」
間一髪。
オラクルが私たちのところまで滑り込む。
そして、メリーの光が消えた。
◇ ◇ ◇
「……う、うう……」
ピンクのお兄ちゃんの腕の中で、チェックのお兄ちゃんがゆっくり目を開けた。
「チェック!」
「兄ちゃん……?」
「よかったでぷぅぅぅ!」
白銀のお兄ちゃんが、泣きながら抱きつく。
「く、苦しいでぷ……」
「喋れるなら大丈夫でぷ!」
「その判断、おかしいでぷ……」
弱々しいけれど、いつもの調子で返事が返ってくる。
その声を聞いた瞬間、胸の奥へ詰まっていたものが一気にほどけた。
「よかった……」
間に合った。
本当に、間に合った。
でも――安心できたのは、ほんの一瞬だった。
「貴様らぁぁぁ……!」
怒声が、盤上全体を震わせる。
No.4がゆっくり顔を上げた。
目は真っ赤に充血し、額には太い血管が浮き上がっている。さっきまで余裕たっぷりだった笑顔は、完全に消えていた。
「よくも……この私を謀ったな」
オラクルが私の前へ立つ。
「人質を取るような奴が、騙されたくらいで怒るなよ」
「猫風情が……!」
No.4が右手の魔導書を掲げる。
その表紙が、まるで生き物の心臓のように大きく脈打った。
ドクン――。
紫黒の魔力が本から溢れ、白黒の盤面を這うように広がっていく。
「奈落の門よ、開け」
空気が変わった。
冷たい。
ただ寒いわけじゃない。
息を吸い込むだけで、身体の中まで黒く汚されそうな嫌な魔力だった。
「出でよ――《悪魔召喚・デビルズゲート》!」
巨大な魔法陣が床へ浮かび上がる。
ズズズズズ……。
そこから黒い霧が噴き出し、その奥より二本の巨大な角が現れた。
鋭い牙。
漆黒の翼。
黒い鱗に覆われた巨体。
「グルァァァァァァッ!!」
悪魔の咆哮だけで、周囲に並んでいた巨大な駒が震える。
「で、でか……」
思わず声が漏れた。
悪魔が片腕を振る。
ドガァン!!
近くにあった巨大な《金将》が、一撃で粉々になった。
「嘘でしょ……!?」
「フール、下がれ!」
オラクルが短剣を構える。
でも、その前へ三つの小さな背中が並んだ。
ピンク。
チェック。
白銀。
「お兄ちゃんたち……」
チェックのお兄ちゃんは救出されたばかりで、まだ傷だらけだ。白銀のお兄ちゃんだって満身創痍で、本来なら立っているだけでも辛いはずだった。
それでも。
三匹は、一歩も退かなかった。
「今度は、俺たちの番でぷ」
ピンクのお兄ちゃんが言う。
その視線が、私の指にある☆2《慈愛のリング》へ向いた。
「フールちゃん。ちょっとだけ、貸してほしいのでぷ」
私は迷わず指輪を外した。
「うん!」
投げる。
ピンクのお兄ちゃんが受け取る。
カシャン。
《慈愛のリング》を指にはめた瞬間、桃色の魔力が全身を包んだ。
チェックのお兄ちゃんは☆2《知恵の駒》を握り締め、白銀のお兄ちゃんは☆2《聖なる聖杯》を掲げる。
「六兄弟の守護者として――」
チェックのお兄ちゃんが、痛みに耐えながら息を整えた。
「弟たちの分まで」
白銀の聖杯から、光を帯びた水が溢れ出す。
「この国と、大切な仲間を守るでぷ!」
三つの秘宝が、同時に輝いた。
桃色。
格子状に走る青白い光。
そして白銀。
三色の魔力が空中で絡み合い、一つの巨大な壁を作っていく。
「三色一体――」
三兄弟の声が重なる。
「《ゴブリン・ガーディアン・シールド》!!」
バァァァン!!
巨大な結界が展開された。
直後。
悪魔の爪が振り下ろされる。
ドゴォォォォン!!
「うわっ!」
衝撃だけで身体が後ろへ持っていかれそうになり、オラクルが咄嗟に背中を支えた。
「踏ん張れ!」
結界が激しく軋む。
でも――割れない。
「ぐ……っ!」
三匹のお兄ちゃんたちが歯を食いしばる。
「今でぷ!」
ピンクのお兄ちゃんが叫んだ。
「メリーちゃん!」
「任せて!」
メリーが空中へ飛び上がる。
小さな身体の周囲で、真紅の炎が渦巻き始めた。
一瞬で、迷宮の空気そのものが熱で歪む。
「メリー!」
「きゅうううううっ!!」
両手の間へ集まった炎は、まるで燃え盛る太陽のようだった。
「――《プロミネンス・レガリア》!!」
轟ッ!!
巨大な火柱が、結界に押さえ込まれた悪魔へ真正面から直撃する。
「グギャァァァァッ!!」
爆炎が盤上を飲み込み、悪魔の影が真紅の光の中で崩れていく。
その奥ではNo.4も爆風に巻き込まれ、地面を何度も転がった。
やがて炎が消える。
そこにいたはずの悪魔は――跡形もなく消滅していた。
「やった!」
思わず叫んだ。
メリーの身体が、空中でふらりと揺れる。
「メリー!」
慌てて両手を伸ばし、小さな身体を受け止めた。
「大丈夫?」
「ちょっと疲れた……」
「十分だよ!」
オラクルも口元を上げる。
「やるじゃねぇか、チビ」
「チビじゃない!」
「そこは元気なんだな」
勝った。
そう思った――その時。
「……殺す」
背筋が凍った。
「全員……殺してやる」
爆煙の中。
No.4が立っていた。
服は焼け、身体中から血を流している。
それなのに。
笑っていた。
「この程度の悪魔を一体倒して……勝ったつもりか?」
男が魔導書を開く。
ページが、誰も触れていないのに高速でめくれ始めた。
バラバラバラバラッ!!
「やめろ!」
オラクルが駆け出す。
でも――遅い。
No.4は、自分の掌を噛み裂いた。
溢れた血を、そのまま魔導書へ叩きつける。
「我が血を贄に――」
魔導書が、悲鳴のような音を上げた。
「深淵の、さらに奥を開け!」
ドクンッ!!
一瞬。
迷宮全体が、地面の下へ沈み込んだように感じた。
「《大悪魔召喚――ギガ・デビルズ・ライズ》!!」
ドゴォォォォォォン!!
床が爆発した。
「きゃああっ!」
巨大な魔法陣の中央から、まず一本の黒い腕が現れる。
それだけで、さっきの悪魔の胴体ほどもあった。
続いて頭。
巨大な角。
そして全身を鎧のような黒い皮膚で覆った、山のような怪物。
「……嘘」
見上げる。
ただ、見上げるしかない。
立ち上がった大悪魔は、頭が迷宮の天井へ届きそうなほど巨大だった。
ズンッ!!
一歩踏み出しただけで、白黒の盤面全体へ亀裂が走る。
「これは……まずいな」
オラクルの声からも、完全に余裕が消えた。
三兄弟の《ゴブリン・ガーディアン・シールド》が、もう一度展開される。
けれど。
大悪魔が拳を一度振り下ろしただけで――。
バキッ。
「……え?」
結界に、亀裂が入った。
「耐えるでぷ!!」
三匹が叫ぶ。
二撃目。
バキバキバキッ!!
亀裂が、一気に広がる。
このままじゃ持たない。
私は必死に鞄へ手を入れた。
☆3《真実のカード》。
《慈愛のリング》は、今ピンクのお兄ちゃんが使っている。
そして――。
指先が、分厚い表紙へ触れた。
☆5《幻獣種召喚の本》。
「そうだ……!」
私は本を取り出した。
☆5。
ゴブリン王国カジノ最高峰の秘宝。
もし本当に、それだけの力を持つ本なら――。
「お願い……!」
私は必死に表紙を開いた。
今度は。
開いた。
真っ白なページが、私の前へ広がる。
「何でもいい! みんなを助けられるものを――!」
ページが青白く輝いた。
そして文字が浮かび上がる。
【幻獣種召喚条件】
【召喚対象と縁を結ぶ『固有の鍵』を捧げよ】
「……固有の鍵?」
そんなもの、知らない。
大悪魔の三撃目が結界へ迫っている。
「何か……何かないの!?」
鞄の中を必死に探る。
カード。
聖なるマップ。
旅の途中で集めた道具。
そして。
指先が、一つのものに触れた。
「……これ」
取り出す。
淡い青色の光。
海底都市リーリエで手に入れた――《人魚の旋律》。
その瞬間。
☆5《幻獣種召喚の本》が、青く輝いた。
「え……?」
《人魚の旋律》も呼応するように光り始める。
二つの青い光が重なった。
そして。
水なんてどこにもないはずの《知恵の迷宮》に――。
波の音が響いた。
ザァァァ……。
No.4が振り返る。
「なんだ……?」
大悪魔まで動きを止めた。
私の目の前。
何もない空中へ。
一滴の水が生まれる。
ぽちゃん――。
見えない水面へ落ちたような音が響いた。
次の瞬間。
青い光が――世界を呑み込んだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回はチェック救出から、TIME No.4との本格戦闘へ突入しました。
No.4が突きつけた「仲間か、☆5の秘宝か」という二択に対して、フールたちが選んだのは――どちらも諦めないこと。
オラクルの観察、メリーの閃光、そしてピンクと白銀の連携によってチェックの救出に成功しました。
さらにピンク・チェック・白銀の三兄弟による『ゴブリン・ガーディアン・シールド』、メリーの炎魔法で最初の悪魔を撃破。
しかしNo.4は、さらに強大な大悪魔を召喚。
そして最後、ついに『☆5:幻獣種召喚の本』と『人魚の旋律』が共鳴しました。
次回――初めての幻獣種召喚。
フールの旅で出会ったものが、また一つ大きな力へ繋がります。




