第36話 世紀のヒヨコレース
ヒヨコレース場へ辿り着いた私たちは、出走を待つ六羽のヒヨコを前にして足を止めた。
赤、青、黄、緑、白。
そして――紫。
オラクルが全チップを賭けようとしている、倍率百二十八倍の大穴だ。
前のレースまで圧倒的な一番人気だった赤と、本来なら誰にも期待されていない紫。その二羽の色が入れ替わっているという情報を、舎弟がカジノ中を走り回って掴んできた。
つまり、情報が正しければ。
今、紫色に染められているヒヨコこそ――本物の一番人気。
「……ねえ」
私は紫をじっと見た。
もう一度見る。
「オラクル」
「何だ?」
「……あの子、寝てない?」
「……」
オラクルも見る。
紫のヒヨコは。
寝ていた。
他のヒヨコたちは出走前の囲いの中を歩き回ったり、羽をぱたぱた動かしたりしている。
なのに。
紫だけ。
目を閉じ。
地面へぺたんと座り。
完全に寝ている。
「ピヨ……」
気持ちよさそうな寝息まで聞こえてきそうだった。
「寝てるね」
メリーが言う。
「やっぱり!?」
「兄貴……」
舎弟ゴブリンの顔が青くなっていく。
「お前」
オラクルがゆっくり振り返った。
「本当にあいつなんだろうな?」
「じょ、情報では間違いないでぷ!」
「寝てるぞ」
「休んでるだけかもしれないでぷ!」
「目閉じてんぞ」
「精神統一かもしれないでぷ!」
「ヒヨコが!?」
私はもう一度、紫を見る。
起きる気配はない。
「本当にこの子へ全部賭けるの?」
「……」
オラクルが黙った。
さすがに。
迷ってる。
当然だ。
百二十八倍。
全チップ。
外れれば。
今まで増やしてきたものが全部なくなる。
メリーが最初の一枚から当てたチップも。
バルジャンのイカサマを暴いてもらった十万チップも。
全部。
「オラクル」
「分かってる」
低い声。
でも。
その視線は。
紫のヒヨコの脚へ向いていた。
「……フール」
「何?」
「脚見ろ」
「脚?」
言われて。
紫の脚を見る。
「……あれ?」
身体は小さい。
丸い。
寝てる。
どう見ても。
頼りない。
なのに。
脚だけ。
妙に太い。
「何か……すごくない?」
「ああ」
オラクルの目が。
鋭くなる。
「他の奴と比べてみろ」
赤。
青。
黄。
緑。
白。
そして。
紫。
明らかに違う。
紫だけ。
身体に似合わないほど。
脚が発達している。
「走るための脚……?」
「かもしれねぇ」
舎弟が必死に頷く。
「だから言ったでぷ! あいつが本物の一番人気でぷ!」
「まだ寝てるけどね」
「そこは見ないでほしいでぷ!」
その時。
係員のゴブリンが。
出走するヒヨコたちをゲートへ誘導し始めた。
赤。
素直に入る。
青。
入る。
黄。
緑。
白。
そして。
紫。
「入るでぷよー」
係員が抱き上げようとする。
「ピヨ」
紫が。
目を開けた。
「あ、起きた!」
よかった。
これなら――。
「ピヨ!」
逃げた。
「ええっ!?」
紫が係員の腕をすり抜け。
反対方向へ。
てててててっ。
「待つでぷー!」
係員が追いかける。
紫。
逃げる。
「何で!?」
「兄貴……」
舎弟の顔色が。
さらに悪くなる。
「俺の布団、売らないでほしいでぷ……」
「まだ負けてねぇ!」
係員二人。
三人。
紫を追いかける。
「こっちでぷ!」
「挟むでぷ!」
「ピヨ!」
逃げる。
速い。
「あれ?」
私は目を瞬いた。
「……速くない?」
オラクルの口元が。
僅かに上がった。
「だろ?」
係員三人から。
小さなヒヨコが。
普通に逃げている。
「捕まえるでぷ!」
「ピヨピヨ!」
右。
左。
急停止。
方向転換。
「すごい……」
身体は小さい。
でも。
脚が違う。
「やっぱり」
オラクルが。
確信したように言った。
「こいつだ」
◇ ◇ ◇
数分後。
紫は。
ようやくゲートへ入れられた。
かなり嫌そうだった。
「ピヨ……」
「絶対走りたくなさそうなんだけど」
「走れば速ぇんだよ」
「走れば、でしょ?」
そこが一番心配。
でも。
もう時間はない。
巨大なオッズ表。
【紫 128倍】
変わっていない。
ほとんど誰も賭けていない。
観客席からも。
好き勝手な声が飛ぶ。
「紫なんて来ないでぷ!」
「百二十八倍は罠でぷ!」
「賭ける奴は馬鹿でぷ!」
オラクルの猫耳が。
ぴくぴく動いている。
「聞くな、オラクル」
「聞いてねぇ」
「尻尾すごい動いてるよ」
「気のせいだ」
舎弟が。
我慢できず。
観客席へ向かって叫んだ。
「俺の兄貴は紫に全部賭けるでぷぅぅぅ!」
「お前ぇぇぇぇ!!」
観客が。
一斉にこちらを見る。
「全部!?」
「紫に!?」
「正気じゃないでぷ!」
「顔を見たいでぷ!」
「見るな!」
オラクルが顔を隠した。
メリーが。
紫を見ながら言う。
「かわいい」
「師匠だけだよ、俺の味方は……」
「勝ったらパンいっぱい」
「味方じゃなかった!」
私は吹き出した。
でも。
すぐに。
胸がどきどきしてきた。
全額。
百二十八倍。
本当に。
やるの?
オラクルは。
最後にもう一度。
紫を見る。
紫は。
ゲートの中で。
「ピヨ……」
また。
目を閉じかけていた。
「寝るなぁぁぁ!」
オラクルの叫びが。
ヒヨコレース場いっぱいに響いた。
◇ ◇ ◇
『まもなくBETを締め切るでぷ!』
アナウンス。
オラクルが。
残っているチップを全部抱える。
「オラクル」
「何だ?」
「本当に?」
「ああ」
「全部?」
「全部だ」
迷いは。
もうなかった。
「情報は揃った。脚も見た。逃げ足も確認した」
そして。
笑う。
「ここまで揃って降りたら、カジノまで来た意味がねぇ」
受付へ。
チップを置く。
ドサッ――!
「ぜ、全部でぷか?」
受付ゴブリンが目を丸くする。
「ああ」
「どのヒヨコへ賭けるでぷ?」
オラクルが。
指差す。
「紫」
周囲が。
ざわめく。
でも。
オラクルは。
もう気にしなかった。
『BET締め切りでぷ!』
受付が閉じる。
もう。
取り消せない。
私たちのチップ。
全部。
大穴。
紫。
倍率。
百二十八倍。
スタート地点へ。
六羽が並ぶ。
赤。
青。
黄。
緑。
白。
そして。
紫。
「……」
私は。
目を細めた。
「オラクル」
「今度は何だ?」
「紫……」
「何だよ」
「また寝てない?」
「…………」
ゲートの中。
紫のヒヨコは。
目を閉じていた。
「起きろおおおおおお!!」
オラクルの絶叫。
でも。
紫は。
「ピヨ……」
まったく。
起きなかった。
そして。
無情にも。
スタートを告げる合図が――鳴り響いた。
パァン――!
スタートの合図が鳴り響いた。
五つのゲートから、ヒヨコたちが一斉に飛び出す。
赤、青、黄、緑、白。
小さな脚で砂を蹴り、先頭を奪おうと一気に加速していく。
そして――紫。
「……」
動かない。
「え?」
私は瞬きをした。
もう一度見る。
紫は、まだゲートの中にいた。
「ちょっと待って……」
目は開いている。
だから寝てはいない。
でも。
走ってもいない。
「紫ぁぁぁぁぁ!!」
オラクルの絶叫が競技場中に響いた。
「スタートしてるぞ! 走れぇぇぇぇ!」
紫が、ゆっくり顔を上げる。
「ピヨ?」
「『ピヨ?』じゃねぇぇぇ!」
観客席から爆笑が起こった。
「紫、まだゲートにいるでぷ!」
「百二十八倍どころじゃないでぷ!」
「紫に賭けた奴、かわいそうでぷ!」
「笑うなぁぁぁ!」
オラクルが完全に壊れ始めた。
舎弟は顔面蒼白になっている。
「兄貴……俺の布団が危ないでぷ……」
「今は布団の話すんな!」
その間にも、他の五羽はどんどん先へ進んでいく。
赤が先頭。
そのすぐ後ろを青。
白、黄、緑。
紫だけ。
スタート地点。
「お願い、走って……!」
私まで祈るような気持ちになってきた。
すると、ようやく紫が一歩だけゲートの外へ出た。
「出た!」
「行け!」
オラクルが拳を握る。
紫は二歩、三歩と進み――。
地面を見た。
「……?」
小さな嘴で。
砂をつつく。
つん。
つん。
何かを探すように、のんびり地面をつついている。
「餌を探してるでぷ……」
舎弟が呟いた。
「レース中に!?」
「紫ぃぃぃ! 今飯食ってる場合じゃねぇぇぇ!」
オラクルが柵へしがみつく。
メリーは、じっと紫を見ていた。
「お腹へったのかな」
「メリー、共感しないで!」
「パンあげる?」
「レースが終わってから!」
「紫ぃ! 師匠がパンくれるってよ! だから走れ!」
「オラクルまで何言ってるの!?」
でも、紫は当然聞いていない。
その間にも先頭の赤は第一コーナーを抜け、さらに第二コーナーへ差しかかっていた。
「もう無理なんじゃ……」
思わず声が漏れる。
差がありすぎる。
一番人気と大穴の色が入れ替わっているという情報が本当でも、どれだけ速いヒヨコでも、走らなければ絶対に勝てない。
舎弟がその場へ膝をついた。
「終わったでぷ……俺の布団ともお別れでぷ……」
「まだだ!」
オラクルだけは紫を見ていた。
「まだ終わってねぇ!」
「でも、もう第二コーナーだよ!」
「あいつの脚を見ただろ!」
オラクルは柵を握り締める。
「走りさえすりゃ――」
そして。
腹の底から叫んだ。
「走れえええええええええ!!」
競技場中へ響く大声。
その声が届いたのか。
ただの偶然か。
紫が顔を上げた。
「ピヨ?」
オラクルを見る。
「そうだ! お前だ!」
紫が首を傾げる。
「ピヨ」
次の瞬間。
地面を蹴った。
ドンッ――!
「……え?」
砂が爆発した。
本当に、そう見えた。
紫の小さな身体が、一瞬で前へ飛ぶ。
「えええええっ!?」
速い。
さっきまでスタート地点で餌を探していたヒヨコと、同じとは思えない。
「来た!」
オラクルの目が見開かれる。
「来たぞぉぉぉ!」
紫が走る。
最後尾の緑へ一気に追いつき、その横をあっという間に駆け抜けた。
「紫が一羽抜いたでぷぅぅぅ!」
実況ゴブリンの声が裏返る。
「と、とんでもない速度でぷ! 最後尾から紫が追い上げてきたでぷよぉぉぉ!」
次は黄。
追いつく。
並ぶ。
抜いた。
「二羽目を抜いたでぷぅぅぅ!」
私も立ち上がっていた。
「頑張って!」
紫は止まらない。
白へ追いつく。
抜く。
さらに青との差まで一気に縮めていく。
「速い……!」
メリーの翠色の瞳も輝いている。
「紫、すごい」
「うん!」
観客席の空気が完全に変わった。
さっきまで紫を笑っていたゴブリンたちが、一斉に立ち上がる。
「何でぷ、あの紫!?」
「速すぎるでぷ!」
「百二十八倍でぷよ!?」
「紫に賭けた奴なんているでぷか!?」
舎弟が勢いよく立ち上がった。
「ここにいるでぷぅぅぅ!! 俺の兄貴が全額いってるでぷぅぅぅ!!」
「また言うな!」
もう遅い。
周囲の視線が全部オラクルへ集まった。
「本当に全部賭けたんでぷか!?」
「正気じゃないでぷ!」
「当たったらとんでもないことになるでぷよ!」
でも、今度のオラクルは何も気にしていなかった。
紫しか見ていない。
「行け……」
紫が青へ追いつく。
最終コーナー。
先頭は赤。
二番手は青。
そして紫。
「抜けぇぇぇぇ!!」
オラクルが叫ぶ。
「頑張れぇぇぇ!」
私も叫ぶ。
「兄貴のために走るでぷぅぅぅ!」
舎弟も。
「がんばれー!」
メリーまで。
全員で紫を応援する。
紫が青へ並び――抜いた。
「紫、二番手に浮上でぷぅぅぅ!!」
残るは赤。
一羽だけ。
でも、まだ差がある。
ゴールまで、もう長くない。
「間に合う!?」
「間に合わせろ!」
赤も速い。
当然だ。
あれも本来は、大穴の紫として出るはずだったヒヨコ。
それでも。
今走っている紫は、さらに加速した。
「うそ……!」
差が縮まる。
十歩。
八歩。
六歩。
赤も必死に走る。
紫も追う。
「行けぇぇぇぇ!」
四歩。
三歩。
二歩。
ゴールラインは、もう目の前。
赤。
紫。
並ぶ。
「紫ぁぁぁぁぁ!!」
二羽が同時にゴールへ飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
競技場が静まり返った。
「……どっち?」
私には分からなかった。
本当に同時に見えた。
赤と紫。
二羽ともゴールラインを越えている。
実況ゴブリンも、すぐには結果を発表しない。
「写真判定に入るでぷ!」
競技場上空へ、巨大な魔法映像が映し出された。
ゴールの瞬間。
赤。
紫。
映像が少しずつ拡大されていく。
誰も声を出さない。
オラクルも。
舎弟も。
私も。
息を止める。
メリーだけが、小さく呟いた。
「紫」
さらに拡大。
そして。
見えた。
「……あ」
紫。
本当に。
ほんの少しだけ。
鼻先が前へ出ている。
実況ゴブリンが大きく息を吸った。
「勝者――」
一瞬の間。
そして。
「紫でぷぅぅぅぅぅぅぅ!!」
競技場が爆発した。
「うおおおおおおおお!!」
オラクルが飛び上がる。
「勝ったぁぁぁぁぁ!!」
「やったぁぁぁ!」
私も思わずメリーを抱き締めた。
「紫、勝ったよ!」
「うん!」
メリーも嬉しそうに笑う。
そして。
「パンいっぱい」
「やっぱりそこ!?」
舎弟は泣いていた。
本気で。
「兄貴ぃぃぃぃでぷ!!」
オラクルへ飛びつく。
「俺の布団が助かったでぷぅぅぅ!」
「最初にそれかよ!」
「兄貴についてきて本当に良かったでぷ!」
「分かったから離れろ!」
それでも、オラクルも笑っていた。
◇ ◇ ◇
倍率――百二十八倍。
しかも全額。
払い戻されたチップは、☆5《幻獣種召喚の本》との交換に必要な百万枚を余裕で超えていた。
「……すごい」
目の前にはチップの山。
本当に。
山だった。
「これ全部、私たちの?」
「ああ」
オラクルが得意そうに笑う。
「勝ったんだからな」
メリーがチップを一枚持ち上げる。
「パン何個?」
「もう数えられないくらい」
「……!」
メリーの目が、今日一番輝いた。
その時。
オラクルがチップの山へ両手を突っ込んだ。
「何してるの?」
「百万ありゃいいんだろ?」
「うん」
「じゃあ――」
余ったチップを両腕いっぱいに掴む。
嫌な予感がした。
「オラクル?」
「景気よくいこうぜ!」
「待って!」
遅かった。
オラクルが大量のチップを空へ放り投げた。
「うおらぁぁぁぁ!!」
魔法灯の光を反射したチップが、きらきらと輝きながら雨のように降り注ぐ。
一瞬。
周囲のゴブリンたちは呆然としていた。
次の瞬間。
「チップでぷぅぅぅぅ!!」
「拾うでぷ!」
「こっちにも落ちたでぷ!」
「俺のものでぷ!」
「もっと投げるでぷぅぅぅ!」
カジノ中が大騒ぎになった。
「何してるのぉぉぉ!?」
「余った分だ!」
「だからってばら撒かないでよ!」
「こういうのは派手にやった方がいいんだよ!」
オラクルがさらにチップをばら撒く。
舎弟ゴブリンは感動で震えていた。
「兄貴……!」
そして。
両手を高く掲げる。
「兄貴でぷぅぅぅぅ!!」
その声に、チップを拾っていた一人のゴブリンが顔を上げた。
「兄貴でぷ!」
別のゴブリンも続く。
「兄貴でぷぅぅぅ!」
さらに一人。
また一人。
「兄貴でぷ!」
「兄貴でぷ!」
「兄貴でぷぅぅぅぅ!!」
いつの間にか。
カジノ中から声が上がっていた。
「兄貴でぷ! 兄貴でぷ! 兄貴でぷ!」
大合唱。
私は隣にいるメリーを見る。
メリーも楽しそうに小さな両手を上げた。
「兄貴」
「メリーまで!?」
オラクルは大量のゴブリンたちに囲まれ、完全に調子に乗っていた。
「お前らぁ! 好きなだけ持ってけぇぇぇ!」
「兄貴でぷぅぅぅぅぅ!!」
「だから百万枚は絶対に残してよぉぉぉ!!」
私の叫びは、ゴブリンたちの大歓声に完全にかき消された。
こうして。
長かったカジノでの大勝負は、私たちの勝利で幕を閉じた。
そして――。
ついに。
☆5《幻獣種召喚の本》へ、手が届く。
「だから百万枚は絶対に残してよぉぉぉ!!」
私の叫びは、ゴブリンたちの大歓声に完全にかき消された。
「兄貴でぷ!」
「兄貴でぷぅぅぅ!」
「こっちにも投げてほしいでぷ!」
「兄貴、一生ついていくでぷぅぅぅ!」
「お前ら、好きなだけ持ってけぇぇぇ!」
「オラクルぅぅぅ!!」
駄目だ。
完全に調子に乗っている。
オラクルが投げるたび、金色のチップが宙を舞い、それを何十人ものゴブリンたちが歓声を上げながら拾っていく。
ついには舎弟までチップを拾い始めた。
「お前まで拾うの!?」
「これは兄貴からのご祝儀でぷ!」
「さっきまで投げる側だったでしょ!」
「拾えるものは拾うでぷ!」
「強い!」
さすが三ヶ月もカジノで布団生活を続けていただけはある。
こういうところだけは、ものすごく逞しい。
メリーも地面へ落ちた一枚を拾った。
「メリーまで!?」
「パン代」
「それ一枚でどれだけパン買うつもりなの!?」
メリーは大切そうにチップを握り締める。
「いっぱい」
「でしょうね!」
周囲では、まだ「兄貴でぷ!」の大合唱が続いている。
ヒヨコレースに勝っただけなのに。
いつの間にかオラクルは、ゴブリン王国のカジノで妙な人気者になっていた。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
ようやく騒ぎが落ち着いた。
正確には。
私がオラクルの腕を掴み、これ以上チップを投げないよう強制的に止めた。
「もう駄目!」
「まだ余ってるだろ」
「百万枚なくなったらどうするの!?」
「そこまでは投げねぇよ」
「信用できない!」
☆3《真実のカード》を取り出そうとすると、オラクルが慌てて私の手を押さえた。
「分かった! もう投げねぇ!」
「本当に?」
「ああ!」
カードは反応しない。
「……よし」
「お前、最近俺よりカード信用してねぇか?」
「だって嘘つかないもん」
「俺だって――」
カードへ目を向ける。
オラクルが黙った。
「続きは?」
「何でもねぇ」
賢明な判断だと思う。
その横では、舎弟が拾い集めたチップを一枚ずつ数えていた。
「一枚、二枚、三枚……今日はいい日でぷ……」
「お前、ちゃっかりしてんな」
「全部兄貴のおかげでぷ!」
「都合いい時だけ持ち上げんな」
「一生ついていくでぷ!」
「それは断る」
即答だった。
でも。
オラクルは少しだけ笑っていた。
たぶん。
本気で嫌がってはいない。
◇ ◇ ◇
私たちは改めて、残ったチップを確認した。
何度数えても。
百万枚を超えている。
「……本当に届いたんだ」
胸の奥が熱くなった。
最初は。
一枚。
メリーが最初にもらった、たった一枚のチップだった。
それをメリーが大当たりさせ。
オラクルが情報を集め。
布団で寝ていたゴブリンを叩き起こし。
《ROYAL JACKPOT》の情報を手に入れ。
バルジャンのイカサマを暴き。
そのあとオラクルが勝手に賭けてチップを半分近くまで減らして。
「そこ振り返る必要あるか?」
「大事なところだよ」
「忘れろ」
「忘れない」
そして。
最後に。
誰も期待していなかった紫のヒヨコへ。
全部。
賭けた。
百二十八倍。
「……すごいなぁ」
改めて考えると。
めちゃくちゃだ。
「もう一回やる?」
メリーが尋ねる。
「絶対やらない!」
私は即答した。
オラクルが笑う。
「何でだよ。次はもっと増えるかもしれねぇぞ」
「減るかもしれないでしょ!」
「それがカジノだ」
「だから怖いの!」
舎弟が大きく頷く。
「お嬢ちゃんが正しいでぷ」
「三ヶ月住んでる人に言われたくない!」
「ぐうの音も出ないでぷ……」
◇ ◇ ◇
その時。
競技場の方から。
「ピヨ」
声がした。
「あ」
紫だ。
レースを終えたヒヨコたちが、係員に連れられて戻っていくところだった。
紫は。
さっきまでの爆発的な走りが嘘みたいに。
のんびり歩いている。
「紫!」
私は駆け寄った。
「すごかったね!」
「ピヨ?」
分かっていないらしい。
メリーも私の肩から降り、紫の前へ飛んでいく。
「速かった」
「ピヨ」
「パン食べる?」
「メリー!?」
ポケットから。
自分用に残していたパンを取り出した。
小さくちぎる。
「はい」
紫が。
つん。
パンを見る。
もう一度。
つん。
そして。
ぱくっ。
「食べた!」
メリーが嬉しそうに笑う。
「おいしい?」
「ピヨ!」
たぶん。
おいしいらしい。
メリーも満足そうだった。
「友達」
「もう!?」
本当に。
メリーはマイペースだ。
オラクルも近づいてくる。
紫を見る。
「お前」
「ピヨ?」
「スタート直後から走れよ」
「ピヨ」
「分かってねぇだろ」
「ピヨ」
「……まあいい」
オラクルがしゃがむ。
そして。
紫の頭を。
軽く撫でた。
「ありがとな」
紫は。
気持ちよさそうに。
目を閉じた。
「寝るな!」
「ピヨ!?」
また。
みんなで笑った。
◇ ◇ ◇
ヒヨコレース場を離れ。
私たちはカジノの中央へ戻った。
さっきまでとは。
景色が違って見える。
「兄貴でぷ!」
通りすがりのゴブリンがオラクルへ手を振る。
「……おう」
「兄貴! 次も勝負するでぷか?」
「もうしねぇよ」
「兄貴でぷぅぅぅ!」
「何なんだ、この人気」
別のゴブリンまで。
「兄貴、さっきのチップありがとうでぷ!」
「おう」
「兄貴、格好良かったでぷ!」
「おう」
「兄貴!」
「おう」
私は隣を歩く。
「ちょっと嬉しそうだね」
「別に」
「顔に出てるよ」
「出てねぇ」
メリーが。
「兄貴」
と呼ぶ。
「師匠までやめろ!」
やっぱり。
ちょっと嬉しそうだった。
そして。
カジノの奥。
あの場所が見えてきた。
景品交換場。
私は自然と足を止めた。
そこには。
まだ。
あの本がある。
分厚いガラスケース。
厳重な警備。
そして。
六種類の獣が描かれた。
重厚な表紙。
鞄の中。
《聖なるマップ》が震えた。
取り出す。
【☆5《幻獣種召喚の本》】
間違いない。
ずっと。
地図に表示されていた秘宝。
「フール」
オラクルが私を見る。
「百万ある」
「うん」
「だったら」
言われなくても。
分かってる。
私は。
チップの入った箱を。
ぎゅっと抱えた。
グラティスでは。
《古の目覚めの笛》へ。
あと少しで手が届かなかった。
目の前まで来て。
No.10に奪われた。
でも。
今度は。
違う。
メリーが繋いだ最初の一枚。
オラクルが集めた情報。
舎弟が走り回って掴んできた大穴。
そして。
紫のヒヨコが。
最後まで走り切ってくれた。
みんなで。
ここまで来た。
「行こう」
私は笑った。
「☆5を――もらいに」
私。
オラクル。
メリー。
そして。
なぜか当然のようについてくる舎弟。
四人で。
景品交換場へ向かって歩き始めた。
目指すのは。
☆5《幻獣種召喚の本》。
カジノでの長い大勝負を終え。
ようやく。
その秘宝へ――手が届く。
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます
第35話は、ゴブリン王国カジノ編の大きな山場となるヒヨコレース決着回です。
大穴128倍の紫ヒヨコへ、オラクルがまさかの全額勝負。スタートしても一羽だけ走らないという最悪の展開から、一気に追い上げて一番人気の赤を僅差でかわし、大勝利となりました。
そして大金を手にしたオラクルは、必要な百万チップだけ確保して残りを周囲へばら撒き、カジノ中からまさかの**「兄貴でぷ!」コール**。
そのまま念願の**☆5《幻獣種召喚の本》**も入手しましたが、六つの幻獣はまだ未覚醒で、使用条件も不明です。
最後に現れたのは、三つの☆2を持つピンク・チェック・白銀の三人。
そしてピンクのゴブリンは、フールが今も大切に持っている黄色いゴブリンのお金袋に気づきました。




