第22話 海の底の街リーリエ
メビウス村を出て二日。
私たちは、ようやく海へ辿り着いた。
「わぁ……」
崖の上から見えた景色に、思わず声が漏れる。
空と海の境目が分からなくなるほど、一面の青。
太陽の光を受けた水面がきらきらと輝き、その向こうでは白い鳥たちが円を描くように飛んでいる。
潮風が髪を揺らした。
「綺麗……!」
隣を見る。
「ね、オラクル!」
「……帰ろう」
「なんで!?」
黒い猫耳をぺたりと伏せたオラクルが、海をものすごく嫌そうな顔で睨んでいた。
艶のある黒い毛並み。
金色の瞳。
いつもは自信満々なのに、今日は尻尾まで落ち着きなく揺れている。
「海だぞ」
「見れば分かるよ」
「濡れる」
「海だからね」
「毛が乾かねぇ」
「猫っぽい理由!」
「猫なんだよ!」
聖なるマップを広げる。
青い海の中央。
光が一つ、ゆっくり明滅していた。
【海底都市 リーリエ】
でも。
目の前にあるのは海だけ。
当然、街なんて見えない。
「どうやって海の底まで行くんだろ」
「泳ぐとか言うなよ」
「オラクルならいけるんじゃない?」
「何百メートル潜らせる気だ!」
「猫って魚好きじゃないの?」
「魚が好きなのと海底生活は別だ!」
その時。
聖なるマップに新しい表示が現れた。
【リーリエへの入口を検索】
【現在地より南東――四百二十歩】
「入口あるみたい!」
「最初から出せよ、その情報」
「地図に文句言わないで」
崖を下り。
海沿いの細い道を進む。
しばらくすると、小さな入り江へ出た。
そこには――。
一艘の舟があった。
いや。
舟……なのかな?
船底は大きな真珠色の貝。
その周囲を透明な泡が丸ごと包んでいる。
「……何これ」
オラクルが近づく。
「乗り物、だよね?」
舟の上には、一人の女性が座っていた。
腰まで流れる水色の髪。
日光を受けると、髪の一部が淡い緑色に光る。
耳の後ろには小さな青い鰭。
白い薄布の服の下から伸びる脚は人間と同じだけれど、足首には銀色の鱗が並んでいた。
女性が私たちを見る。
青緑色の瞳が細くなる。
「地上人?」
声まで、水の中で響く鈴のようだった。
「はい」
私は答える。
「リーリエへ行きたいんです」
女性の表情が変わった。
「……何のために?」
「《人魚の旋律》っていうものを探してます」
その瞬間。
女性が立ち上がった。
「どこでその名を知ったの?」
「この地図に」
聖なるマップを少しだけ見せる。
女性は目を見開いた。
でも。
すぐに視線を逸らした。
「帰った方がいい」
「え?」
「今のリーリエに、地上人が行っても良いことはない」
オラクルが腕を組む。
「何かあったのか?」
女性は答えなかった。
真実のカードを出そうとした瞬間。
オラクルが私の手首を掴む。
「やめとけ」
「でも」
「言いたくないことまで暴くなって、アデューで決めただろ」
私は手を止めた。
そうだった。
便利だからって。
何でもカードで聞けばいいわけじゃない。
「……ごめんなさい」
女性は少し驚いた顔をした。
そして。
「ミレア」
「え?」
「私の名前」
彼女はもう一度、私たちを見る。
「リーリエの人魚族よ」
「人魚!?」
思わず足元を見る。
普通の脚。
ミレアは苦笑した。
「地上ではこの姿。海へ入れば変わるわ」
「見たい!」
「観光に行くんじゃねぇぞ」
オラクルに頭を軽く叩かれた。
「いたっ」
ミレアが少し笑った。
「……乗って」
「いいんですか?」
「止めても行く顔をしてるから」
オラクルが私を見る。
「否定できねぇな」
「行くって決めてるもん」
「ほらな」
私たちは、巨大な貝の舟へ乗った。
「絶対、壊れないよね?」
オラクルが泡の壁を指でつついている。
「壊れない」
ミレアが答える。
「本当に?」
「たぶん」
「今たぶんって言った!?」
泡舟が海へ入った。
ザブン――。
水面が頭上へ遠ざかる。
「うわぁ……!」
目の前に広がった光景に、不安なんて一瞬で吹き飛んだ。
魚の群れ。
赤や黄色に光る珊瑚。
透明な身体をした小さなクラゲ。
巨大な海亀が、ゆっくり私たちの横を泳いでいく。
太陽の光が海面から差し込み、何本もの光の柱になって深い海へ落ちている。
「すごい……!」
泡の壁へ顔を近づける。
青い魚が目の前まで来た。
私を見た。
私も見る。
「かわいい!」
オラクルは舟の真ん中に座り込んでいる。
「俺は絶対、外見ねぇ」
「もったいないよ!」
「泡一枚の向こう全部海なんだぞ!」
「綺麗だよ?」
「水だ!」
「知ってる!」
ミレアが笑った。
「あなた、本当に猫なのね」
「猫で悪いか」
「少し可愛い」
「……」
オラクルの耳が立つ。
私は見逃さなかった。
「今ちょっと喜んだ?」
「喜んでねぇ」
【FALSE】
真実のカードが光った。
「しまえええ!」
深く潜るほど。
海は暗くなっていった。
さっきまで色鮮やかだった魚たちも少なくなる。
代わりに。
青白く光る生き物が増えていく。
「リーリエは、もっと下?」
「もう見える」
ミレアが前を指差した。
最初は。
暗闇の中に、星があるのかと思った。
一つ。
二つ。
何百。
何千。
海底に無数の光が広がっている。
「……街だ」
巨大な透明の膜に包まれた都市。
珊瑚でできた塔。
貝殻を重ねたような家。
道には青い光を放つ石が敷き詰められ、巨大な魚が建物の間をゆっくり泳いでいる。
都市の中央には。
ひときわ高い塔があった。
その頂上には、大きな真珠のような球体。
「海底都市――リーリエ」
ミレアが静かに言った。
あまりに綺麗で。
しばらく言葉が出なかった。
でも。
近づくにつれて。
私は違和感に気づいた。
「……人がいない」
街の大通り。
誰も歩いていない。
店も閉まっている。
窓には板が打ちつけられている。
ところどころに。
壊れた槍や盾まで落ちていた。
「何があったの?」
ミレアの表情が曇る。
「三ヶ月前から」
泡舟が都市を覆う膜へ入る。
水が消えた。
舟が石造りの港へ静かに着く。
私たちは外へ出た。
「この街では」
ミレアが続ける。
「夜になると、精霊の声が聞こえるようになった」
「精霊?」
「最初は歌声だった」
彼女は遠くを見る。
「優しい声」
「それが?」
「だんだん……悲鳴に変わった」
風が吹くはずのない海底都市で。
どこからか冷たい風が通り過ぎた。
オラクルの耳が動く。
「何か聞こえる」
「え?」
静かにする。
その時。
――たすけて。
小さな声。
「……今の」
――ここから、だして。
女の子?
子供?
一人じゃない。
あちこちから聞こえる。
――くらい。
――こわい。
――たすけて。
私は周囲を見る。
誰もいない。
「精霊たち……?」
ミレアが頷いた。
「街中にいた精霊が、次々に消えた」
「消えた?」
「捕まったのよ」
「誰に?」
ミレアの青緑色の瞳が。
都市中央の巨大な神殿を見た。
「海魔――《ネレウス》」
聖なるマップが反応する。
【WARNING】
【海底都市リーリエ】
【多数の精霊反応を確認】
続けて。
【拘束状態】
「やっぱり……」
さらに。
地図の中央。
神殿に一つの印が浮かんだ。
【特殊秘宝】
【人魚の旋律】
「そこにある!」
私は神殿を指差した。
ミレアが首を振る。
「簡単には取れない」
「なんで?」
「あれは物じゃないから」
「え?」
ミレアは自分の胸へ手を当てた。
「《人魚の旋律》は――」
一瞬。
彼女の表情に寂しさが浮かぶ。
「リーリエの王族だけが歌える、精霊を導く歌」
「歌?」
つまり。
持っていく道具じゃない?
「じゃあ誰かに歌ってもらえば――」
「歌える者はもういない」
ミレアが小さく言った。
《真実のカード》は。
光らなかった。
本当。
「……どうして?」
答えはなかった。
その時。
ドンッ!!
地面が大きく揺れた。
「何!?」
都市の奥。
黒い水が噴き出した。
石畳が割れる。
そこから。
巨大な触手が一本。
二本。
三本。
建物よりも太い。
表面には無数の吸盤。
さらに、その吸盤一つ一つに――。
「目……!?」
目玉が付いていた。
全部が。
こちらを見る。
ミレアの顔色が変わった。
「逃げて!」
「何あれ!?」
「ネレウスよ!」
ドオオオオン!
神殿の奥から。
巨大な何かが姿を現す。
上半身は魚。
下半身は何十本もの触手。
頭には黒い珊瑚のような角。
身体中に。
小さな光が閉じ込められている。
赤。
青。
緑。
黄色。
精霊たちだ。
『……歌……』
ネレウスの口が開く。
『歌を……寄越せ……』
ミレアが後ずさった。
「どうして……」
私は彼女を見る。
「何?」
「ネレウスが求めてるのは、精霊じゃない」
「じゃあ何を?」
ミレアの顔から血の気が引く。
『王女……』
巨大な怪物の目が。
ミレアを捉えた。
『見つけた』
私は固まった。
「……王女?」
オラクルもミレアを見る。
ミレアは。
何も答えなかった。
聖なるマップに、新しい表示。
【人物情報更新】
【ミレア】
【海底都市リーリエ――第一王女】
「王女様だったの!?」
オラクルが叫ぶ。
「今そこ!?」
怪物の触手が。
私たちへ振り下ろされた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに海底都市へ到着しました。
今回は海中の景色をしっかり見せつつ、オラクルの「猫だから海が嫌い」というところでも少し息抜きを入れました。
そして《人魚の旋律》の正体も判明。
物ではなく、人魚王族に伝わる特別な歌です。
さらにリーリエでは、多くの精霊たちが何者かに捕らえられている状態。
最後には案内役だったミレアが、実はリーリエの第一王女だと判明しました。
次話はネレウスとの戦い、そして《人魚の旋律》を巡る物語へ入ります。




