5.黒幕
その夜、ダレンはいつもと変わらぬ様子で夕食を終えた。
「少し商会へ行ってくるよ」
食後の紅茶を飲み終えると、穏やかな口調でそう言った。
「この時間からですか」
クリステアは何も知らない妻を装って尋ねる。
「急ぎの用があってね。遅くなるかもしれない」
「分かりました。お気をつけて」
ダレンは満足そうに微笑むと、クリステアの肩へ軽く手を置き、そのまま屋敷を後にした。
馬車が門を抜けていく。クリステアは窓辺に立ち、その姿が見えなくなるまで見送った。
「部下が後を追っています」
背後からアーネストが静かに告げた。
「今夜、何か分かるでしょうか」
「少なくとも、ご主人が誰と会っているのかは確認できるはずです」
クリステアは黙って頷いた。
その夜は寝室へ戻っても眠ることができなかった。本を開いてみても文字は頭へ入らない。暖炉の火が静かに揺れる音だけが、広い部屋に響いていた。
日付が変わる頃になって、ようやく馬車の音が聞こえた。クリステアは明かりを消えたまま寝台へ横になり、眠っているふりをする。ほどなくして扉が開いた。ダレンは足音を忍ばせて部屋へ入り、クリステアの寝顔を確かめるようにしばらく立ち尽くしていたが、やがて静かに隣へ横たわった。その夜、クリステアは一度も眠ることができなかった。
翌朝、アーネストが父の執務室へ報告に現れた。父と兄、そしてクリステアが席に着くと、アーネストは王都の地図を机へ広げた。
「ご主人は東門近くの酒場で、以前から接触していた男たちと会いました。その後、裏口から出て、王都外れの廃倉庫へ向かっています」
「中へは入れたのですか」
父が尋ねる。
「いいえ。護衛が六人いました。相当訓練を受けた者たちです。無理に近づけば気づかれると判断しました」
「ダレンは誰と会っていたのでしょう」
「そこまでは確認できていません。ただ、一つ分かったことがあります」
アーネストは地図の一点を指した。
「廃倉庫へ出入りしていた馬車の一台は、借用証書の貸主である金融商会のものでした」
クリステアは思わず父と顔を見合わせた。やはり借金と機密漏洩はつながっている。
「表向きは金融商ですが、それだけではありません」
アーネストは静かに続けた。
「情報局では以前から、この商会を監視しています」
「理由は」
兄が尋ねる。
「隣国の工作員と接触している疑いがあるためです」
部屋が静まり返った。アーネストは机の上へ数枚の紙を置いた。
「まだ決定的な証拠はありません。しかし、ご主人は借金を抱え、その貸主は工作組織との関係を疑われている。そして昨夜、その商会と接触しました」
一枚一枚は決め手にならない。だが、それらを並べると、一つの姿が浮かび上がる。ダレンは単独で動いているのではない。誰かの指示を受け、伯爵家の情報を流している可能性が高い。
父は腕を組んだまま静かに言った。
「ダレンを捕らえれば終わる話ではなさそうだな」
「はい」
アーネストは頷いた。
「こちらが追うべき相手は、その背後にいる工作組織です」
クリステアは静かに息を吐いた。法廷では、ダレンだけが見えていた。だが今は違う。運命を書き換えたことで、あのとき見えなかったものが、少しずつ姿を現し始めている。
ダレンは終着点ではない。その先にいる者たちまで突き止めてこそ、この事件は終わるのだ。




